一生、お仕えします その1

第1話 今日からお仕えします

 非の打ち所がないくらいに高く澄み渡る青空の下、にぎやかな声が聞こえる。
 レンガ積みの塀と高く茂る樹木に、長く広く囲まれたその一部に、簡素な門がある。その門を抜けると、先ほどよりも装飾が施され、よく手入れのされている二つ目の門がある。さらにその門を開けて進んで行くと、色とりどりの花と緑であふれる庭が見えてくる。
 数々の花が植えられ、木の枝葉えだはが美しく切りそろえられている、おとぎ話の中のような庭。その一角に堂々とたたずむ、大きな屋敷。淡いミントグリーンの板張りの壁に、窓の両側に取り付けられている焦げ茶色の鎧戸よろいど、濃色のスレート瓦の落ち着いた屋根は、家の印象に繊細さも加えていた。
 庭には十数人の大人が、外用そとようのいくつかのテーブルの席についていた。テーブルには、生地の良さを感じさせる白いテーブルクロスが敷かれ、美しい食器類に、料理や飲み物、花束や飾りの花が用意されている。
「もうすぐお嬢様が来られて、パーティーを開始しますよ。」
 テーブルの近くに立っている、進行役らしき男性がそう説明すると、すぐあとに、一人の小柄な少女が、空いている席へと向かって歩いてきた。少女の後ろを、付き人らしき女性が歩いている。
 少女はドレスをまとっていた。少女のために特別に考えられた、フリルをたっぷりとり、細やかな装飾を施した、ぜいたくなデザイン。少女の体のシルエットを引き立てつつ、動きやすさまで計算された、少女のためだけの特別な型紙パターン。一針の縫い落としも許さない、熟練の職人による仕立て。ドレスのあらゆる部分が、少女の気品を表現している。
 小ぶりなパールのネックレスとイヤリングは、控えめな輝きを演出し、小柄な少女を引き立てている。
 やや赤みがかった髪は、肩下数センチほどの長さがあり、毛先が控えめにカールしている。誰もが触れたくなるほどのつやと質感を持ち、少女の存在を印象付けていた。
茉莉花まりかお嬢様、15歳のお誕生日おめでとうございます。」
 茉莉花まりかと呼ばれた少女が席につくと、先ほどの男性が、お祝いの言葉を述べた。
「おめでとう、茉莉花まりか。今年も無事に、お誕生日を迎えられたわね。」
「気品だけでなく、威厳も出てきたような気がするぞ。」
 茉莉花まりかの両隣にそれぞれ座っている、40代前半くらいの女性と男性が、それぞれ茉莉花まりかに声をかけた。
「お母様、お父様、ありがとうございます。」
 両隣の女性と男性――母親と父親に頭を下げてお礼を述べた茉莉花まりかだが、沈んでいるような顔色を、あまり変えたようには見えなかった。
 その後、パーティーの食事に入った。茉莉花まりかはどことなく、食べるのがゆっくりのように感じられた。茉莉花まりかの母親、桜子さくらこが、心配そうに尋ねる。
茉莉花まりか、何だか顔色が悪い気がするし、食事も進んでいないみたい。気分が悪いのなら、無理しなくていいのよ。」
 すると茉莉花まりかは、
「いいえお母様、何も問題ないわ。」
と、微笑んで見せた。
 その様子を見ていた周囲の者が、茉莉花まりかについて話し始める。
「さすが茉莉花まりかお嬢様、やはり15歳になられて、次代ご当主様としての風格も出てきましたわね。」
「ご自分のことよりも、周囲への気配りをお忘れにならない、一宮いちのみや家のご当主様としての基本が、しっかり身についていらっしゃるのね。」
 茉莉花まりかは何も言わずに、食事を続けていた。
 しばらくしてだいたいの食事が終わると、茉莉花まりかは席を立ち、庭の花を眺めながら散策していた。実りの季節を迎え、庭は草木の青色を前面に出しながらも、少しずつ落ち着いた色合いも混ざり始めていた。
 茉莉花まりかは特に誰とも話さず、一人でいくつかの花を見ていたが、あるときふと思い立ったように、近くにいる若い女性に話しかけた。
「すみません。ちょっとお聞きしますが、あなたは誕生日会を開いてもらったことはあるのですか?」
「えっ、わたしのことですか? あの……わたしのような、新入りのにんがお答えしてもよろしいのですか?」
 女性は茉莉花まりかに話しかけられて、動揺しているようだった。彼女はこの屋敷で家事などをして働く、いわゆるメイド――この家、一宮いちのみや家では女性も男性もいるため、「家事人」と呼ばれている――で、屋敷に来て日が浅いため、「お嬢様」である茉莉花まりかに話しかけられて、戸惑ってしまったのだ。
 するとそこへ、やや年配の女性が近づいてきた。
ちょう様!」
 家事長と言われたその女性は、特にためらうこともなく、家事人の女性に言った。
「かまわないわよ。お嬢様からお聞きしているのだから。答えてあげなさい。」
「承知いたしました。それではお嬢様、わたしも8歳頃までは、家族や友人に祝ってもらいました。」
 家事人の女性がにこやかに話すと、茉莉花まりかは少し微笑んで、女性に返した。
「まあ、すてきですね。」
「でも庶民の誕生日会ですし、茉莉花まりかお嬢様のこのお誕生日会にはかないません。お嬢様がお召しのドレスもとても高級ですし、お食事も豪華で……。それに、15歳になってもお祝いの会がおありだなんて、うらやましいです。」
「いいえ、こちらこそ、うらやましいです。答えてくれてありがとうございました。」
 微笑みながら軽く頭を下げると、茉莉花まりかはくるりと向きを変えて、また散策に戻った。家事人の女性は、どことなく、茉莉花まりかが本心から笑っていないことを感じ取っていた。女性はおそるおそる、口を開いた。
「家事長様、わたし、何か茉莉花まりかお嬢様のお気に障るようなこと、申したのでしょうか……?」
 家事長は軽くため息をつきつつ、質問に答える。
「いいえ、気にしなくても大丈夫よ。茉莉花まりかお嬢様はいつもああいう感じでいらっしゃるの。」
「そうなのですか……。でも、どうしてなのでしょう?」
 家事人の女性は、自分の「恵まれているお嬢様」の、にこやかなイメージとかけ離れている気がする茉莉花まりかの行動に、ふと疑問を口にした。
「そりゃあね、なんといっても名家一宮いちのみや家の一人娘、跡を継がれることはほとんど確定しているもの。次代ご当主様として、まわりからの期待や重圧は、相当なものだと思うわ。」
 家事長は、家事人の女性に説明する。
「そう言われてみれば……。わたしのような、ただの庶民にはわからない、とてつもないご苦労があるのでしょうね。」
 家事人の女性は納得したようだった。
 茉莉花まりかは少し離れたところから、無言で二人の様子を見つめていた。

 その夜、眠りにつく前に、茉莉花まりかは自分の部屋で、小ぶりな花瓶と、そこに飾られている花を、ぼんやりと眺めていた。昼間に庭師が、屋敷の庭で切ってくれた、茉莉花まりかの名前の由来である「マツリカ」の花だった。
 マツリカは南国生まれで寒さに弱いらしく、茉莉花まりかの誕生日の頃は花期を過ぎてしまっている。茉莉花まりかの母、桜子さくらこが、マツリカの花が好きであるということで、この名前になったと聞いた。そのため、このマツリカは、庭の一部に作られた温室の中で育てられている。
「あなたも、自分の都合では生きられないのね……。」
 茉莉花まりかは、「人間の都合」によって温室で育てられ、最後には人間のために花切りばさみで切られた、目の前のマツリカに、自分を重ね合わせていた。

 それから数か月の時が経ち、茉莉花まりかは高校入学を控えていた。
 茉莉花まりかが自分の部屋で、高校のことについてあれこれと考えを巡らせているとき、父の重元しげもとに、居間に来るように呼ばれた。
 居間に行くと、父重元しげもと、母桜子さくらこ重元しげもとと同じくらいの年の男性で、執事をしている吉川よしかわ、そして茉莉花まりかと同年代くらいの、見慣れない少年がいた。背の高い吉川よしかわ重元しげもとよりはいくらか小柄とはいえ、中肉中背という表現がちょうどよい体つき。穏やかな顔つきに、長いとも短いとも言えない、ややふわりとした黒髪が似合っていた。
 茉莉花まりかたちは、居間のテーブルの席についた。
「お父様、お母様、そちらの方はどなたなの?」
 茉莉花まりかが戸惑いながら尋ねると、重元しげもとが、
「さあ、茉莉花まりかに自己紹介しなさい。」
と促したので、少年はゆっくりと口を開いた。
「初めまして、茉莉花まりかお嬢様。今日から執事見習いとしてお嬢様にお仕えします、笹原礼諒ささはらなりあきと申します。茉莉花まりか様とは同じ年の、15歳でございます。」
 そう言うと少年、礼諒なりあきは深々と頭を下げた。そして、自分の名前を書いた紙を、茉莉花まりかが読める方向に向け、そっとテーブルの上に置いた。
「執事……見習い? わたしについてくださるの?」
 突然の話に、茉莉花まりかが混乱していると、重元しげもとは、
「そうだよ、茉莉花まりか。今まできちんと説明したことがなかったが、一宮いちのみや家では、一番上の子どもが15歳になったら、見習いの執事をつけることになっているんだ。」
と言って、桜子さくらこと一緒に、「執事見習い」と、礼諒なりあきのことについて説明し始めた。
 一宮いちのみや家に生まれた子どもは、将来当主になったとき、あらゆる仕事を、執事をはじめとする使用人に任せることになる。そのための勉強の一環として、また若いうちから使用人との信頼関係を築くため、「練習」のような意味合いで、見習いの執事をつけるのだという。
 礼諒なりあきは、数年前に親を亡くし、施設暮らしだったのだが、重元しげもと桜子さくらこ、そして執事の吉川よしかわが、礼諒なりあきに執事としての素質を見出したため、執事見習いとして、屋敷に連れてきたのだという。
 吉川よしかわも、かつては貧しい家で、高校を続けられるか厳しいことがあったのだが、17歳のときに、重元しげもとに仕える執事見習いとして屋敷に来ることになり、結果、大学まで卒業させてもらえた、と語った。一宮いちのみや家で働くことは、この地域では名誉と思われているため、吉川よしかわの親もとても喜んだそうである。
「説明が長くなってしまったが、わかってくれたか?」
 重元しげもとが、静かに茉莉花まりかに尋ねる。
「はい、わかりました、お父様。」
 そう言うと茉莉花まりかは、礼諒なりあきが置いた、名前の書かれている紙を、改めて見直した。
「ええと……礼諒なりあき、さん? よろしくお願いします、礼諒なりあきさん。」
 茉莉花まりかがそう言うと、礼諒なりあきは少し慌てたように言った。
「いえ、茉莉花まりかお嬢様、『さん』はつけなくてかまいません。」
「あっ……。ごめんなさい、わたし、呼び捨てするのが苦手で……。お父様、『さん』をつけて呼んでもいいかしら?」
 少し困ったような顔をしつつ、茉莉花まりかは現在の当主である、父重元しげもとの意見をうかがう。
「そうだなあ、どうするか……。」
 重元しげもとが少し考えていると、桜子さくらこが言った。
重元しげもとさん、茉莉花まりかはまだ15歳なんだし、好きなように呼ばせてあげたらいいんじゃないかしら。」
「確かに桜子さくらこさんの言うとおりだな。幼いころからいろいろと、つらい思いをさせているだろうし……。」
 重元しげもとが、茉莉花まりかの気持ちと性格を思いやるように、そう言った。
「では茉莉花まりか、好きなように呼びなさい。」
「ありがとうございます、お父様、お母様。」
 茉莉花まりかは深々と頭を下げた。そして改めて、礼諒なりあきに挨拶をした。
礼諒なりあきさん、どうかよろしくお願いします。次代当主としては未熟の域にも達していませんが、どうかお力になってください。」
 茉莉花まりかは戸惑っているような表情でそう言うと、先ほどよりももっと、深々と頭を下げた。
 礼諒なりあきは、にこりともしなかった茉莉花まりかの態度に、少しの不安を覚えていた。ただ緊張しているだけだろうとは思ったが、まだ15歳の経験では、「育ちの良いお嬢様」なら表面上くらいは少しでも微笑むのではないか、という考えに至るしかなかった。表情一つ変えない茉莉花まりかと、果たして信頼関係などというものが築けるのか、心の中に暗雲がたちこめる思いだった。
 茉莉花まりかのほうも、いきなり「執事見習い」という存在ができて、自分にやっていけるのかという思いでいっぱいだった。それ以上に、ここまできた時点でもう逃げられない、という気もしていた。ふと、誕生日に庭師が切ってくれたマツリカに自分を重ねた夜を思い出し、いわば「勝手に与えられた」相手と信頼関係を築けと言われても、なぜそんなことをしなければならないのかという反発と、だまって受け入れるしかないあきらめを感じていた。
 だが、戸惑いつつも、屋敷での生活を共にしたり、同じ年なので、同じ学校に通い、同じクラスで級友としても時間を共有したりするうちに、お互い、少しずつ相手のことがわかってきた。学校の宿題を一緒にすることもあれば、茉莉花まりかが当主になるための勉強をする時に、礼諒なりあきも同じ内容を勉強することもある。
 茉莉花まりかにとっては、特に「当主になるための勉強」をする仲間のような存在ができたことは大きかった。少しずつではあるが、以前まで感じていた苦しさが、薄れていくような気がしていた。
 そうやって、重元しげもと桜子さくらこが言っていた「信頼関係」は、傍目にも、少しずつ育っているようで、気づけば2年ほどが過ぎていた。