一生、お仕えします その5

第5話 期末試験

 気づかぬうちに、季節が移り変わっていく。木々の葉はますます青さを増し、道端の草は花を咲かせては実を結び、バトンタッチするように、それぞれの種類が、次々に命を表現していく。まぶしい天色あまいろの空も、その色を少しずつ変えていき、しだいにどんよりと暗く、もったりと重い雲がかかるねずみ色の空の日が増えてくると、草木は水の恵みを享受する。ときどき、天色とも、紺碧こんぺきともつかない、暑さを予感させる空が顔を出すと、心まで晴れやかになるような時季になっていった。
 それに合わせて、ころもも替わっていく。茉莉花まりかたちが学校に行くときにも、涼しさを表現する制服を着用するようになった。茉莉花まりかの着ている夏のワンピースは、冬の制服と、基本的なデザインは変わらず作られている。だが布地により、かなり印象が変わって見える。濃色の生地が使われている冬服とは違い、夏服の身生地みきじには、水色と白の、たてうねストライプの綿めん平織ひらおり生地が使われている。冬と同じ形の角衿かくえりには、やはり学校の紋章が刺しゅうされており、半袖にも白のカフスがつけられている。首元には、冬とは違ってフリルタイはなく、第1ボタンが飾りボタンになっている。すそから数センチ上に縫いつけられているリボンは、細幅の白のグログランリボンだった。
 礼諒なりあきの着ている制服も、冬の制服とは大きく変わらず、ジャケットを脱ぎ、シャツが半袖になっただけといえばそうである。だがスラックスの生地には、夏用の平織りの毛織物けおりものが使われており、通気性が考えられている。冬服と共通のネクタイは必須だが、ベストは正装時のみ、着用を指定されており、日常的にはシャツのみで過ごしていた。
 しばらく前に、礼諒なりあきに本を借りて以来、茉莉花まりかはときどき、本を借りるようになった。礼諒なりあきに、主人と使用人としての線を引くことを言外に表明されてしまったがために、礼諒なりあきに「いつでも」とは言われたものの、やはり最初は本を借りることは言いづらかった。だが茉莉花まりかが本を借りたいと申し出ると、いつも嫌な顔ひとつせず、それどころか笑顔で貸してくれる。それが礼諒なりあきの仕事だとわかっていても、礼諒なりあきの態度には、惹かれざるを得なかった。
 勉強に、今まで以上に大変さを感じるようになると、茉莉花まりかの本を読む時間が増えていった。新しく習い、覚えなければならない内容もありながら、今までの復習もしなければならない。数多くの問題を解いて、やがてくる本番に備えなければならない。大学進学を希望している茉莉花まりかは、受験のための勉強に、多くの時間を割かざるを得なかった。それに加えて、一宮いちのみや家の当主を継ぐための勉強も、忘れずにおこなわなければならない。茉莉花まりかは勉強が苦手や嫌いなわけではなかったが、かつてないほどの勉強の負担に、息抜きの時間を求めずにはいられなかった。
 本を借りるとき、はじめのころは、礼諒なりあきに、茉莉花まりかの部屋まで本を持ってきてもらっていた。礼諒なりあきに「おすすめ」の本を選んでもらい、それをそのまま読む、という形を取っていた。だが本を借りる頻度が増えてきてしまい、礼諒なりあきが本を選ぶ負担が気になった茉莉花まりかは、読む本を自分で選ばせてくれないか、礼諒なりあきに頼んでみた。そのためには、茉莉花まりかが個人的に、礼諒なりあきの部屋に行くことになってしまうため、礼諒なりあきはしばらく迷っていたが、茉莉花まりかを支えるという目的を第一に考え、茉莉花まりかの頼みを受け入れることにした。
 その日の夜もまた、茉莉花まりか礼諒なりあきの部屋に行き、新しく本を借りた。礼諒なりあきは休暇の日であったため、本を借り終わった茉莉花まりかは、一人で礼諒なりあきの部屋を出、自分の部屋へと向かっていた。するとちょうど、父の重元しげもとが、向こうから歩いてきた。重元しげもとは、休暇中であるはずの、礼諒なりあきの部屋から出てきた茉莉花まりかを不思議に思った。茉莉花まりかの手には本があった。重元しげもと茉莉花まりかに尋ねる。
茉莉花まりか、今礼諒なりあきの部屋から出てきたみたいだが、何か用事があったのか?」
 茉莉花まりかは一瞬、ぎくりとしたが、冷静さを呼び起こすと、1秒も経たないうちに頭の中で考えを巡らせ、何食わぬ顔で答えた。
「ええ、お父様。礼諒なりあきさんに本を借りたの。」
「本? 今、手に持っているものか。なぜ礼諒なりあきに?」
「前、少し嫌なことがあって……。そのときに礼諒なりあきさんが貸してくださった本を読んだら、とても面白くて、気分が晴れたの。それから息抜きのために、本を借りるようになったわ。自分で買うのとは違う本が読めるから、新しい世界に出会えて、とても刺激になるのよ。」
 茉莉花まりかは無難な言葉を選びつつ、説明する。それを聞いた重元しげもとは、考え込むように、手を顔の下あたりに持っていき、視線を斜め上へと向けたが、やがて口を開いた。
「なるほど。確かに息抜きは大切だな。だが、本にばかりうつつを抜かすことなどないように。勉強もしっかりやりなさい。」
「ええ、承知しているわ、お父様。」
 茉莉花まりかはそう言うと、少し下を向いた。重元しげもとは用事があるようで、その場所へと赴いていった。
 部屋に戻った茉莉花まりかは、机の前に座ると、心臓の鼓動が少し速くなっているのを感じていた。悪い予感がするような、不安な音がしていた。重元しげもとの言葉に、思い当たるというか、引っかかるというか、そんなことがあった。いや、重元しげもとの言ったこと以上に深刻だった。
 正直に言うと、「本にうつつを抜かす」だけならば、まだよかった。礼諒なりあきの本は、茉莉花まりかにとっても面白いことが多く、いつも夢中になってしまう。新しい本を読みたくなるのも、当然のことと言える。もし本に夢中になっているというだけ・・で、勉強が進まないのだとしたら、そこは少し我慢して、後での楽しみに取っておけばいい。
 だが最近の茉莉花まりかは、勉強が手につかない不安をまぎらわすために、本を読んでいるという一面があった。本の世界に没頭しているあいだは、不安を忘れられる。どうせ勉強が進まないのなら、いっそのこと本を読むほうが、有意義な時間を過ごせる。そう思って本を読むのだが、結局のところ、勉強が進まない現実からは逃げられなかった。茉莉花まりかは本を読み終わるといつも、面白く、感動したという明るい気持ちと、時間を無駄にしてしまったような自己嫌悪の気持ちの葛藤に悩まされていた。そして、そもそもの、勉強が手につかない原因は――ほかならぬ、礼諒なりあきだった。
 今までは、いずれは親の決めた相手と結婚するからということで、人を好きになったりはしないようにしてきた。そんな茉莉花まりかにも、いいな、素敵だなと思えるような相手が現れたこともある。大人からすると、「子どものかわいい恋未満」になるのかもしれないが、茉莉花まりかにとっては、そこから気持ちを大きくすると、本格的な恋にはまり込んでしまうおそれがあるような、そんな気持ちだった。だからこそ、いいな、と思えるような相手がいたり、出来事があったりしても、その場だけの感情でとどめ、気持ちを押し殺してきた。
 だが礼諒なりあきに対しては、そうはならなかった。礼諒なりあきと屋敷で初めて対面したときは、拒絶したい気持ちがあった。それは礼諒なりあきだからというよりは、「よくわからない相手」であったからだった。はじめはなかなかうまく接することができなかった。だが、同じ学校に通うことになり、級友でもある礼諒なりあきとは、勉強の話から始まって、少しずつ話せるようになってきた。そのうち話の内容も広がっていき、礼諒なりあき自身についても理解を深めてきた。いつも自分に対して誠実な礼諒なりあきは、茉莉花まりかにとって、心を開ける相手になった。そんな安心感を得ると、そこからさらに気持ちは進んでしまう。仕事だとわかっていても、自分に尽くしてくれるその態度に、心を揺さぶられる。気づけば、ずっとそばにいてほしい存在になっていた。
 だが、名家の令嬢である茉莉花まりかが、使用人と交際したり、ましてや結婚など許されるはずがない。いつかは封印しなければならない――そもそも、表沙汰にしてはいけない――気持ちに、茉莉花まりかは切なさを覚えた。だがそれでも、どうしようもなく湧き上がってくる、礼諒なりあきへの想いは、自分では制御できないものになっていた。
 そうやって、礼諒なりあきのことをあれこれと考えたところで、勉強が手につかない問題が解決するわけではない。むろん、礼諒なりあきに相談することも、できやしない。
 外ではずっと、雨が静かに降り続いていた。茉莉花まりかはふと窓際に行き、カーテンを少しひらく。つかみどころのない夜の闇に、すべてを吸い取られてしまいそうだった。もうすぐおこなわれる期末試験の内容と、自分が取るべき成績について考えると、茉莉花まりかは深いため息をついた。
 茉莉花まりかは机に戻り、手帳を見て、期末試験の日程を確認した。覚え、理解しなければならない内容の量と、期末試験までに残された時間が釣り合いそうにない事実に、打ちのめされていた。

 あっという間に期末試験が終わり、答案も返却された。すべての答案が返された後、各人に、試験の点数や順位が印刷された紙が配られる。教室は、試験の結果に一喜一憂する生徒たちで騒がしかった。
 茉莉花まりかはその紙を見て、顔が青ざめていた。すべての科目の点数を合計したものから割り出されている、「総合順位」の欄には、「7位」の文字が、黒くくっきりと刻まれている。茉莉花まりかは何度もその文字を確認した。何かの間違いではないのか、先生に聞きに行こうかとも考えたものの、ちょうど近くの席の生徒がたまたま6位だったとのことで、成績の紙を見せてもらった。何度計算しても、間違いなく、茉莉花まりかは7位だった。
 帰る時間になり、礼諒なりあき茉莉花まりかのところへやってきた。礼諒なりあき茉莉花まりかに、期末試験の成績について尋ねた。
「お嬢様、期末試験の成績はいかかでしたか? わたしはいつも通りな感じでした。」
 試験結果を見た後の、ざわついた気持ちをほぐすように、優しく言う礼諒なりあき。だが、茉莉花まりかは下を向いたまま、何も言わない。 「お嬢様……?」
 礼諒なりあきは悪い予感がした。茉莉花まりかの成績を勝手に見るわけにはいかないので、憶測ではあったものの、結果がかんばしくなかったことを感じ取った。
 やがて茉莉花まりかは上を向くと、震えた感じの声で、
礼諒なりあきさん、帰りましょう。」
と言うと、かばんを持ってさっと歩き出し、いつも吉川よしかわを待っている場所へと向かっていった。礼諒なりあきは慌てて、茉莉花まりかの後をついていった。
 帰りの車の中でも、茉莉花まりかは何もしゃべらなかった。吉川よしかわも、そんな茉莉花まりかの様子に驚き、心配の言葉を何度もかけるほど、車内はいつもとは違う、異様な雰囲気だった。
 その日の夕食は、父の重元しげもと・母の桜子さくらこもそろって食べていた。期末試験の成績の話になり、重元しげもと桜子さくらこも、茉莉花まりかの成績に驚いていた。
「珍しいわね。いつもはだいたい1位から3位くらいなのに。」
「今回の試験は難しかったのか?」
 口々に、成績について話してくる桜子さくらこ重元しげもとに、茉莉花まりかはどう答えるべきか、戸惑っていた。
「ええ、今回の範囲は、わたしにとっては苦手で、難しい内容が多かったの。あまり良くなくて、ごめんなさい。」
 茉莉花まりかは暗い顔で、頭を下げた。
「誰にだって苦手なことはあるわよ。次がんばればいいのよ。」
「そうだな。一度の失敗で、落ち込まないことだ。」
 桜子さくらこ重元しげもとの励ましに、茉莉花まりかは胸が痛んだ。実を言うと、今回の範囲が特別苦手なわけではなかったし、特別難しくもなかった。だが、単純に「難しかった」とだけ言うと、いつもの成績とあまり変わらない礼諒なりあきとの比較で、不審に思われる気がした。そのため、「苦手である」と少しうそをつくことで、あまり勉強できなかった事実を取り繕うしかなかった。
 成績が良くなかった落ち込みと、うそで取り繕った罪悪感から、あまり食欲はなかった。だが、食事を作ってくれた料理人や、給仕してくれる礼諒なりあき、自分の食べた食器を片付けてくれる家事人かじにんたちを思うと、残すわけにはいかなかった。茉莉花まりかはかなりの時間をかけて、夕食を食べ終えた。
 その後、いつもの夜のように、礼諒なりあき茉莉花まりかの部屋に、お茶を持ってきた。
「お嬢様、今日は飲まれますか? もしお気が進まないようでしたら……。」
「いえ、大丈夫よ。飲むから、淹れてくださる?」
 礼諒なりあきは何も言わずにお茶を淹れ、茉莉花まりかに出すと、茉莉花まりかも何も言わずにゆっくりとお茶を飲み干した。
 しばらく沈黙が続いた。重い空気に、礼諒なりあきは耐えられなくなり、思わず口を開いた。
「お嬢様、試験の結果のことですが……。お嬢様だって人間なのですから、調子が悪いときだってありますよ。だから、どうか必要以上にお気になされませんように……。」
「気にするわ!」
 礼諒なりあきの言葉をさえぎるように、茉莉花まりかがにわかに、少し大きな声で叫んだ。驚いて、肩を震わせる礼諒なりあき。ふと茉莉花まりかを見ると、目には涙がにじんでいた。
「ごめんなさい、急に大声を出したりして……。」
 茉莉花まりかは謝ると、一呼吸置いたのち、続けた。
「悔しいの。今回の試験が……。でも、成績が良くなかったことが悔しいんじゃないわ。自分の気持ちにかき乱されて、振り回されたことが悔しいの。」
「振り回された、というのは?」
 茉莉花まりかの口から、意外な言葉が出たことに、疑問符を浮かべる礼諒なりあき。今までは、多少嫌なことや不安に思うことがあっても、茉莉花まりかの持ち前の粘り強さで、嫌な思いや不安は横に置いて、乗り越えてきた。それが、常に成績は1位から3位くらい、という実績を作り上げてきた。
「ここだけの話だけれど、さっきお父様やお母様にはああ言ったけど……。本当は、今回の範囲、特に苦手だとか、難しく感じたとか、そういうわけではないの。」
「そうでいらっしゃるのですか? では、なぜ……。」
「あまりまともに勉強できなかったのよ。現実逃避ばかりして……。」
 そこまで言うと、茉莉花まりかはまた口を結んだ。礼諒なりあきは現実逃避の内容が気になったが、無理やり聞き出すわけにもいかない。必死になって、頭の中で考えを引き出していると、あるとき一つの考えに思い当たった。
「あの、お嬢様、もしかしてわたしのせいなのでしょうか?」
 礼諒なりあきの突然の言葉に、今度は茉莉花まりかが驚く。
「ち、違うわ。なぜそう思うの?」
「いえ、その……。わたしが本をお貸ししたせいなのではないかと思いまして……。それで、勉強のお時間が減ってしまったのではと……。」
「いいえ、礼諒なりあきさんのせいでは、断じてないわ!」
 茉莉花まりかはそう言うと、少し考え込んだ。何をどう説明するべきか、言葉を慎重に選ぶ。
「実は最近、勉強が手につかなかったの。でもそれは全部、わたしが至らないせいなの。礼諒なりあきさんが貸してくださった本とは何も関係ないわ。だから、どうか責任を感じないでほしいの。」
 茉莉花まりかは、今回の成績は、あくまでも自分のせいであって、礼諒なりあきのせいではないことを強調して説明する。だが、礼諒なりあきは別のところに引っかかりを感じたようだった。
「お嬢様、勉強が手につかないとは、何か心配事などがおありなのですか?」
「あっ……。別にたいしたことではないわ。だから気になさらなくて大丈夫よ。」
 茉莉花まりかは、しまった、という顔で、慌てたように両手を振る。
「ですが、お嬢様のお心が心配です。以前も申し上げました通り、わたしはお嬢様をお支えし、苦しみも引き受けます。ですからどうか、お話しくださいませんか?」
「いえ、いいの。だってその……礼諒なりあきさんには、話せないわ……。」
 茉莉花まりかは困惑した表情で、下を向く。その顔は、どこか赤くなっているようにも見えた。
「お嬢様、わたしにお話しできないことなら、志歩しほさんにお話しになってみてくださいね。とにかく、お一人でお抱えになってはよくありません。」
 礼諒なりあきは優しく、しかし少し寂しげな表情で言った。
「ありがとう、礼諒なりあきさん。いつもお心遣いに、とても救われているわ。」
 茉莉花まりかは下を向いたまま、小さな声で言った。
 礼諒なりあきは、なんとも言えないもやもやとした雰囲気を変えたくなり、別の話題を出す。
「ところでお嬢様、もうすぐ夏休みになりますし、気分転換されてはいかかでしょうか? たまには遊ぶなどされたら、また勉強もはかどるかもしれません。」
 精一杯の笑顔を作り、にこやかに言う礼諒なりあき。だが茉莉花まりかは困惑した顔色を変えない。
「いいえ、遊んでいる時間なんてないわ。夏休みはずっと勉強するつもりよ。」
「え……。なぜそんなにこだわっていらっしゃるのですか?」
「だって、礼諒なりあきさんのせいにされたくないもの……。」
 茉莉花まりかの意図がつかめなくて、戸惑う礼諒なりあきに、茉莉花まりかは以前の出来事を絡め、話す。
「お父様は、さっきは何も言わなかったけれど、今回のわたしの成績について、礼諒なりあきさんが原因のひとつだと思っているかもしれないの。」
「え? それはどういう……。」
「前、礼諒なりあきさんに本を借りた後、礼諒なりあきさんの部屋から出たのを、お父様に見られたの。お父様は、わたしが礼諒なりあきさんに本を借りていることも知っているわ。つまり、わたしが本ばかり読んで、勉強しなかったと思っている可能性もあるの。そしてその原因を作ったのが、礼諒なりあきさんだと思っている可能性も……。礼諒なりあきさんのこと、そんなふうに思われるのは、絶対に嫌なの。だから、夏休み明けの試験では、何がなんでも1位を取るわ。」
 茉莉花まりかは宣言するように、一気に言った。少し息が上がっていた。礼諒なりあき茉莉花まりかを見て、真面目な顔ではっきりと言った。
「お嬢様、どうか思いつめたりなど、なさらないでください。それに、もともと最初にお嬢様に本をお貸ししたのはわたしなのですから、わたしのせいであることには間違いありません。その責任を、お引き受けしましょう。」
「そんなこと、礼諒なりあきさんにはさせられないわ!」
 茉莉花まりかが力を込めて言う。手を強く握り、言葉だけでなく、体にも力が入っていた。
「もし、礼諒なりあきさんのせいだということになったら、礼諒なりあきさんがどういうことになるのか、わからないもの……。わたしのせいで、礼諒なりあきさんをそんな目にあわせるわけにはいかないわ。」
「お嬢様……。」
 茉莉花まりかは何も言わず、ただ礼諒なりあきを見つめた。
「わかりました、お嬢様。そうおっしゃってくださるお嬢様のためにも、よけいなことをしゃべらないよう、お心がけ申し上げます。」
 礼諒なりあきは深々と頭を下げると、静かに口を開いた。
「ですがお嬢様、どうか、夏休みは少しお休みされませんか? わたしは、執事見習いとしてではなく一人の人間として、お嬢様のお体とお心が、心配でなりません。」
 「一人の人間として」という言葉に、一瞬胸が高鳴ったものの、すぐに抑え込むと、茉莉花まりかは、
「ありがとう。考えておくわ。」
と静かに答えた。
 それから二人はまた無言になった。しばらくすると、礼諒なりあき茉莉花まりかの飲んだ湯飲みを持って、部屋を出た。
 茉莉花まりかは窓際に行き、カーテンを少し上げて外を見た。空にはおもったい雲がかかり、月も星も見えなかった。