一生、お仕えします その9

第9話 街歩きの一日

 茉莉花まりかがいったん部屋を出、手洗いを済ませてまた戻ってくると、部屋のドアの前にはいつものように、志歩しほが立っていた。だが志歩しほは、いつものひざ下丈のワンピースに白いエプロン、という制服姿ではなく、私服を身にまとっていた。薄青色のスキッパーカラーのカットソーにカーディガンを羽織り、少しゆとりのあるシルエットの、濃色のジーンズ。ふだんとはかなり違う志歩しほの印象に、茉莉花まりかは目を大きく見開いていた。志歩しほがまだ専門学校に通っていたときには、私服姿を目にする機会もあったが、卒業して数か月もすれば、制服姿にすっかり慣れきっていた。
「おはようございます、お嬢様。今日は準備の時間の都合上、私服で失礼いたしますね。」
 志歩しほ茉莉花まりかに微笑みかけると、茉莉花まりかと一緒に部屋に入った。
 茉莉花まりか志歩しほは、さっそく着替えを始める。志歩しほは、今日着る服について、ある程度は考えていたが、あらためて茉莉花まりかに確認する。
「お嬢様、今日はスカートにブラウスでよろしいですか?」
「ええ、お店に行くだけなら、スカートで大丈夫そうですし、おしゃれもしたいんです。そもそも、わたしはあまりパンツは持っていないし……。」
「かしこまりました。カーディガンも羽織られますか? 今日の気候を考えると、肌着とブラウスの2枚だけでは、少し肌寒い可能性もありますわ。」
「そうですね。カーディガンは脱ぐこともできますものね。お願いします。」
 茉莉花まりかに希望を聞いた後、クローゼットを見て、志歩しほは今日の街歩きにふさわしい装いを決める。
 志歩しほがまず選んだのは、白の細番手の糸で織られた、綿めん平織ひらおり生地のブラウス。台衿だいえりのないシャツカラーで、丸衿まるえりがかわいらしい印象を与える。左右各5本のピンタックが縦にほどこされ、そのあいだには、生地と同色の綿めんレースがあしらわれている。やわらかくて肌触りもよく、茉莉花まりかもお気に入りのブラウスだった。
 スカートは、黄味がかった淡い赤色を基調にした小花柄の、ひざ下丈のフレアスカート。細いたてうねのある、やや薄手の綿の生地で作られており、今の時季にちょうどよい。フレアのシルエットは美しく、分量は多すぎず少なすぎずといったところで、ふくらみすぎず、歩きやすさも確保されている。裏地もついていて、スカートの下にはインナーを着用するため、厚さに問題はない。少し長めの濃色の靴下を合わせることにした。
 カーディガンは、淡い紅色の、ハイゲージの毛製品、クルーネックのものを選んだ。一見簡素なデザインだが、白蝶貝しろちょうがいのボタンが使われており、ひとあじ違った趣を感じさせる。
 茉莉花まりかが服を着終わると、志歩しほ茉莉花まりかを見て、うれしそうに言った。
「やっぱりお嬢様には、上品な服装がお似合いですわね。これなら、礼諒なりあきさんとのお出かけにも、ばっちりですわ。」
 礼諒なりあきの名前に、なぜか一瞬、不自然さを感じた茉莉花まりかは、驚いて志歩しほに聞き返す。
「えっ……。礼諒なりあきさん……?」
 志歩しほははっとしたように、手を口許くちもとに当て、取り繕うように、苦笑しながら言った。
「あ、いえ、なんでもありませんわ。では朝食に参りましょう、お嬢様。」
 二人はいったん、ダイニングへと向かった。ダイニングでは、いつものように、礼諒なりあき吉川よしかわが、仕事の制服姿で給仕をしていた。
 朝食が終わると、茉莉花まりかの部屋に戻り、身支度の続きをする。今日は休日であるということで、化粧をしようということになった。ふだん学校に行くときには、日焼け止めを塗る程度であり、ほかの化粧をする機会では、ある程度様式が決められているが、今日の化粧は完全に、茉莉花まりかの好みに合わせてのものになる。茉莉花まりかはどこか、心を躍らせていた。
 茉莉花まりかが部屋のドレッサーの前に座り、待機していると、志歩しほが小さな包みを茉莉花まりかに差し出した。小さな直方体の箱に、ベビーピンクと白の、細かいチェック柄の包装紙。蝶結びにされた、コーラルピンクのサテンリボンがかけられている。
「お嬢様、お開け下さいませ。礼諒なりあきさんからの、お誕生日の贈り物でございます。」
「え、礼諒なりあきさんから……? 本当に……?」
 茉莉花まりかは、にわかには信じられない様子で、急いで包みをほどいた。
 箱を開けるとそこには、アイシャドウのパレットと、名刺くらいの大きさのカード。紙の表面を少し盛り上げる、細かい細工がほどこされた、上質なカードには、手書きで、茉莉花まりかへのメッセージが書かれていた。
茉莉花まりかお嬢様へ
お誕生日おめでとうございます。ささやかですが、化粧品をお贈りします。きっとお似合いになると思います。
礼諒なりあき
礼諒なりあきさんの字だわ。本当に、礼諒なりあきさんが贈ってくださったのね……。」
 自分の中に刻み込むように、礼諒なりあきの書いた文字を、何度も何度も読み返す茉莉花まりか。やがて、カードを胸元に持ってきて、そっと抱きしめた。
 カードをもう一度見つめた後、ドレッサーの天板の上に置くと、茉莉花まりか志歩しほに尋ねた。
「この化粧品、とても素敵ですね。色も、とてもわたしが好きな色で……。礼諒なりあきさんが選んでくださったのですか?」
 茉莉花まりかは、礼諒なりあきがそんなに化粧品に詳しそうには思わなかった。
「いえ、実際にお選びしたのはわたしですわ。礼諒なりあきさんに頼まれたのです。」
「そうだったんですね。志歩しほさん、こんな素敵な化粧品を選んでくださって、ありがとうございます。」
 納得するとともに、志歩しほへの感謝の気持ちも、自然と湧いてきた。
 全身から喜びがにじみ出ている茉莉花まりかを見て、志歩しほは話を続ける。
「気に入っていただけたようで、光栄ですわ。実はこのアイシャドウ、色が素敵なだけでなく、ほかにも夢のある工夫がなされていますのよ。お嬢様、パレットの裏をご覧くださいませ。」
 志歩しほに言われた通り、茉莉花まりかがパレットをひっくり返すと、商品名や成分表示のなされているラベルが貼られていた。
 やや大きめの、目立つ字で、「ローズクォーツ入り」と書かれていた。
「ローズクォーツが入っているのですか?」
 茉莉花まりかが少し、不思議そうに言う。
「ええ、ローズクォーツ、やや厳密に申し上げますと、石英せきえいを粉末状にして、混ぜ込んであるのです。」
「そういえば、そういう化粧品があるのを、聞いたことがある気がします。」
 志歩しほはさらに、笑顔で説明を続ける。
「ローズクォーツは、お嬢様の誕生石でもありますのよ。10月の誕生石といえば、真っ先にオパールが思い浮かびますが、ほかにローズクォーツやトルマリンも、誕生石であるそうです。」
「そうなんですね。」
「ローズクォーツを混ぜることによって、化粧品としても、きらきら感を演出することができますし、お嬢様の誕生石でもあって……。贈り物にぴったりだと思いましたの。ローズクォーツは美しさや心の癒しのお守りになると言われていますし、きっとお嬢様の良さを引き出してくれますわ。」
 そこまで聞いて、茉莉花まりかはふと、軽い引っ掛かりを覚えた。「お守りとしての天然石」について、茉莉花まりかもそれなりに興味があり、ある程度の知識もある。お守りのローズクォーツと聞いて、まず思い浮かべる「効果」は……。
 そこまで考えて、茉莉花まりかはやめた。志歩しほの意図は気になったが、茉莉花まりかに不利になるようなことは決してしないだろう、という信頼関係がある。
 気を取り直し、茉莉花まりかはさっそく、礼諒なりあきに贈られたアイシャドウを使うことにした。
 志歩しほが化粧をし終わって、鏡に写った自分を見ると、いつもとは違う気がした。特に、礼諒なりあきから贈られたアイシャドウを使った目許めもとに注目してしまう。
「いかがですか? お嬢様。」
「すごく素敵です! 礼諒なりあきさんがくださった化粧品を、志歩しほさんがこんなにきれいにつけてくださって……。うれしいという言葉しか、見つかりません。」
 茉莉花まりかは満面の笑みで答えた。
 その後、茉莉花まりかはアクセサリーとして、金色のネックレスをつけ、身支度を終えた。

 出かけるまでに、まだ少し時間があったため、茉莉花まりか志歩しほはいったん居間に行った。
 居間には私服姿の礼諒なりあきがいた。濃色のTシャツに、無地の淡い色の長袖ボタンダウンシャツを羽織り、ゆったりめの無地のパンツをはいている。街へ出る時は、屋敷の使用人ではなく、普通の少年のように見えるよう、カジュアルな服装をする。
「なんだか、礼諒なりあきさんの服装が新鮮だわ。」
 茉莉花まりか礼諒なりあきを見て、少し恥ずかしそうに、口許くちもとに軽く握った手をそえた。
「そ、そうですか? 確かに、わたしがお嬢様とお会いするときは、学校の制服か、仕事の制服がほとんどですね。」
 礼諒なりあきは照れた感じで、手を頬の辺りに持っていった。
 礼諒なりあきはふと、茉莉花まりかの目許を見た。化粧品には詳しくないため、自分が贈ったアイシャドウをつけるとどのような感じになるか、予想はつきにくかった。だが、志歩しほから確認のために、購入したアイシャドウを見せられたとき、きらきらとした質感が目についた。今の茉莉花まりかの目許には、そのきらきらとした質感があるように感じられた。あたたかな喜びと、自分が贈ったものを茉莉花まりかが実際につけているという緊張感という、相反する気持ちが、礼諒なりあきの心の中で渦巻いていた。
 しばらくすると、吉川よしかわ礼諒なりあきと同様に、私服に着替えて、居間にやってきた。衿に別布を使用したポロシャツに、深みのある色合いの、ひとえのテーラードジャケットと、グレンチェックの細身のパンツ。茉莉花まりかたちと親子で出かけている、そのようにも見える服装と言えた。
「お待たせしました、お嬢様。……おや? お嬢様、いつもと雰囲気が違っていらっしゃいますな。」
 茉莉花まりかを見て、吉川よしかわはふと何かに気づいたように言う。
「え、そうですか? どのあたりが……?」
「そうですな……。今日は、お化粧をされているようなので、そう思ったのかもしれません。」
「あ……きっとそうですね。」
 茉莉花まりかは一瞬、どきりとする。
「お誕生日を迎えられて、新しいお化粧品を試されたり、なさったのですか?」
 吉川よしかわは笑顔で、なにげなく茉莉花まりかに尋ねる。
「えっと……はい、まあ……。」
 吉川よしかわの鋭さに、茉莉花まりかは取り繕い損ねた気持ちでいた。
 二人のやり取りを見て、礼諒なりあきは思わず、着ている服の布地をつかんだ。志歩しほは、口を思わず「へ」の字に曲げた。
 その後は何もなかったかのように、4人で車に乗り、街へと出かけた。出発するときに茉莉花まりかが自分の時計を見ると、多くの店が開店する、少し前くらいの時刻だった。
 一宮いちのみや家の屋敷のまわりの、自然豊かな場所を抜けると、少しずつ、街のにぎわいが現れる。茉莉花まりかは窓の外を見ながら、景色の変化を楽しんでいた。
 やがて、一軒のアクセサリー店に到着した。子どもや学生を主な客層とする、カジュアルなアクセサリーの店だった。きらきらとした、かわいらしい看板が、夢の国へと誘う。
 4人が店内に入ると、看板の世界を広げたかのような、きらびやかで楽しげな内装が目に飛び込んできた。そして内装に負けないくらいに輝くアクセサリーが、あふれんばかりに並べられている。
 茉莉花まりか礼諒なりあきに話しかけながら、商品を見ていた。
「このお店はね、森本もりもとさんが教えてくださったの。」
森本もりもとさんというと、いつもお嬢様と一緒にいる、ショートヘアの小柄な方ですよね。たまにお嬢様を誘ったりしている……。」
「ええ。森本もりもとさん、作曲家を目指しているそうよ。このお店には、音符やト音記号などの、音楽をモチーフにしたアクセサリーもいろいろな種類があるらしくて、お守りとしても買っている、とおっしゃっていたわ。」
「そうなのですか。夢があっていいですね。」
 ほんわかとした雰囲気で話す茉莉花まりかに、礼諒なりあきも思わず、弾むような声になっていた。
「夢、ね……。」
 茉莉花まりかはふとつぶやくと、「子ども向けコーナー」へと足を運んだ。礼諒なりあきたちも後をついていった。
 「子ども向けコーナー」の商品は、やや大きめのペンダントトップが使われているネックレスや、プラスチック製の、色とりどりのブレスレットなど、おもちゃとも呼べるようなものが主体のようだった。
「このコーナーのもの、いいわね。おもちゃ箱みたいで、わくわくするわ。」
 茉莉花まりかの顔がほころぶ。
「ですが、お嬢様が身につけられるのには、ふさわしくないのでは……。」
 茉莉花まりかがつけているアクセサリーを一瞥いちべつしたのち、礼諒なりあきが困ったように言う。だが茉莉花まりかは笑顔で返した。
「いえ、身につけるわけではないわ。インテリアとして、自分の部屋に飾ろうかと思うの。子どものころにかえったみたいな気分になれそうでしょう?」
「なるほど、そういうのもいいですね。」
 茉莉花まりかの考えに、礼諒なりあきも納得したようだった。
「夢を持つことをあきらめていたけど……こんな素敵なアクセサリーを見ていたら、夢を持ってみようかという気持ちになったわ。それを忘れないために、飾って元気をもらうの。」
 茉莉花まりかはふっとため息をつくと、礼諒なりあきの近くで、小さな声でそうささやいた。そしてまた商品を見るため、売り場へと体の向きを変えた。茉莉花まりかの背中を見る礼諒なりあきの顔は、どこか寂しげになった。
 茉莉花まりかは売り場のものを隅々まで見て、どれにするか迷っているようだった。傍目に見ても、お気に入りを探している、小さな子どものようだった。
 茉莉花まりかが選んでいる様子を見ながら、ふと吉川よしかわがこぼす。
「お嬢様の、小さいころを思い出すなあ。」
 礼諒なりあきはその言葉を聞き、胸の奥がちくりと痛んだ気がした。吉川よしかわは、茉莉花まりかが生まれたときのことから、ずっと知っている。つまり自分が知らないことも知っているということだった。15年の違いを、自分には埋められるだろうか――なんとも言えない不安がこみ上げてくる。
 礼諒なりあきがそんなことを考えていると、吉川よしかわが目を細めながら、話を続けていた。
「無邪気に遊んでいらっしゃるお嬢様をご覧になって、旦那様や奥様が、とても幸せそうになさっていた。あのときの旦那様のうれしそうなお顔が、今も脳裏に浮かぶ……。」
 茉莉花まりかというよりは重元しげもとのことを言っていることに気づき、礼諒なりあきはふと引っ掛かりを覚えたが、そもそも吉川よしかわの主人は重元しげもとであることを思い出し、安堵のようなものが広がっていた。
 そうしているうちに、茉莉花まりかは選んだアクセサリーの会計を済ませた。
「せっかく飾るなら、何か入れ物が必要ね。」
 とはいえ、この店には、飾るのにちょうどよさそうなものは見当たらなかった。茉莉花まりかが迷っていると、志歩しほが、
「ではお嬢様、次のお店で、お好きなものを選びましょう。」
と言った。
 次に行ったのは、インテリア雑貨の店だった。素材の良さを活かしたものや、かわいらしい絵が描かれているもの、美しい色合いのものなどが、品ぞろえの中心だった。休日ということで、それなりに客はいるものの、全体的には静かな店だった。小さめの音量で、しゃれた音楽が流れている。
 茉莉花まりかは、先ほどの店で買ったアクセサリーを入れるためのもの以外も、店をぐるりと見て回っていた。もしこれを部屋に置いたら、どんな感じになるのだろうか――想像を膨らませながら、足取りを弾ませていた。
 あらためて、アクセサリーを飾るための入れ物を探した茉莉花まりか。おもちゃの宝箱のような、ふたに金色の装飾がほどこされている小さな箱と、白の丸い磁器の皿を購入した。
 店を出たところで、そろそろ昼食をとろうという時間になっていた。4人は、出かける直前に決めたレストランへと向かった。
 どのレストランに行くか、候補が複数あり、当日の気分で決めることになったため、特に予約はしなかった。
 到着して店に入ると、客がかなり多く、にぎわっているようだった。30代前半くらいの男性店員がやってきて、4人に説明する。
「4名様ですか……。申し訳ございません、今、4名様用のお席はいておらず、2名様ずつならご案内できるのですが……。いかがいたしましょうか?」
「わたしはかまわないけれど……皆さんはどうなさいますか?」
 二手に分かれることを特に気にもしていない様子で、茉莉花まりかはほかの3人に尋ねる。
「わたしもかまいませんわ。」
「わたしも、食べられるのなら特には……。」
「店を出るときに合流すればいいですし、かまわないでしょう。」
 3人も口々に同意し、二つのテーブルに分かれて食事をすることになった。
「ところで、どう分かれますか?」
 茉莉花まりかがふと、3人に問いかける。
「お嬢様は、どなたとご一緒がよろしいですか?」
「え? えっと……。」
 志歩しほに逆に聞き返されてしまい、言葉に詰まる茉莉花まりか。答えは一つに決まっている。だがそれを口にするのは、はばかられた。志歩しほ茉莉花まりかの心中を察したのか、素早く提案した。
「そうですね……。では礼諒なりあきさん、お嬢様と一緒のテーブルにお行きください。礼諒なりあきさんはお嬢様の執事なのですし、今日のことは礼諒なりあきさんが考えたのですから、お嬢様のそばにいらっしゃるのがいいと思いますわ。」
志歩しほさん……。」
 志歩しほの言葉に、茉莉花まりかはうれしいような、なぜか不安なような、複雑な気持ちになった。
 茉莉花まりか礼諒なりあきのテーブルと、志歩しほ吉川よしかわのテーブルは、少し離れているものの、お互い様子がわかるような位置関係にあった。
 茉莉花まりか礼諒なりあきはそれぞれ、メニュー表を見て好きなものを選び、注文した。
 待っているあいだ、話でもしようとする茉莉花まりかだったが、「二人きり」だと思うと、話題が浮かんでこない。それは礼諒なりあきも同様のようだった。注文し終わった後、二人はしばらく無言のまま、お互い相手の顔を見ることができずにいた。
 とはいえそれも気まずくなってきたのか、礼諒なりあきが沈黙を破った。
「お、お嬢様、今日はいかがですか? ちゃんと楽しめていらっしゃいますか?」
「え、ええ……。おかげさまで、とても楽しいわ。」
 ぎこちなく、自分の思いを表現する二人。すぐ会話が途切れてしまう。
 いたたまれなくなった茉莉花まりかはにわかに、思い切った言葉を口にした。
「ねえ、礼諒なりあきさん……。デートって……こんな感じ、なのかしら……。」
「えっ!? デ、デートですか?」
 茉莉花まりかの突然の言葉に、礼諒なりあきは顔を赤らめた。ふだんよりも、ひときわ赤い顔。頭の中は真っ白になった。
 だが、目の前にいる、一人の「大切な相手」も、同じくらい真っ赤な顔になり、うつむいている。礼諒なりあきは意を決して、言葉をたぐり寄せた。
「あ、その……。わたしはデートというものをしたことがないので、わからないのですが……。本人同士がデートだと思えば、デートと言っていいのではないでしょうか……。」
「そう、よね……。」
 茉莉花まりかは下を向いたまま、小さな声で答える。次の瞬間、自分でも驚くような言葉を発していた。
礼諒なりあきさん、今は、デートだと思う?」
「えっ? お、お嬢様……!」
 礼諒なりあきはあまりに混乱しすぎて、もはや何も考えられなくなった。顔の赤みは引くことがないどころかより増し、体中に力が入る。手には汗がにじんでいた。
 二人はじっとしたまま、しばらくだまっていたが、やがて茉莉花まりかが口を開いた。
「ごめんなさい、変なことを言って……。わたしとデートだなんて、礼諒なりあきさん、いい迷惑よね……。」
 顔を上げた茉莉花まりかは少し、悲しそうな顔をしている。
「いえ、そんなことは……。」
 礼諒なりあきが言いかけると、女性店員が来て、
「ご注文の品をお持ちしました。」
と言って、給仕を始めたので、礼諒なりあきは言葉を飲み込んだ。
 志歩しほ吉川よしかわは、茉莉花まりかたちの様子をときどきうかがっていた。やや離れているので、会話の内容は聞こえないものの、二人のあいだに漂う雰囲気は、充分に感じ取れる。
 少なくとも、会話が弾んでいる様子のない二人を見て、吉川よしかわが言う。
「ちょっと意外だな。礼諒なりあきなら、喜々として、お嬢様との会話を弾ませるものだと思っていたが……。志歩しほはどう思うか?」
「えっ? た、たまにはこういうときもあると思いますわ。」
 ふいに意見を問われて、志歩しほは支離滅裂なことを言っていると自覚しながらも、ほかに答えるすべがなかった。
 食事が終わり、会計のために、4人は合流した。吉川よしかわが支払いをしているあいだ、志歩しほは小さな声で、茉莉花まりかに尋ねた。
「お嬢様、お二人のご様子をずっと拝見していたのですが……礼諒なりあきさんと、何かおありになったのですか?」
 茉莉花まりかはどきりとしたが、急に笑顔を作ると、
「いいえ、なんでもないわ。」
と言った。そして礼諒なりあきのほうを向いて、話しかけた。
礼諒なりあきさん、さっきは本当にごめんなさい。また普通にお話ししてくださる?」
「あ、いえ、わたしのほうこそ……。午後も、お嬢様が楽しまれるよう、誠心誠意、お尽くしいたします。」
 礼諒なりあき茉莉花まりかに対して、軽く頭を下げた。
 その後、二人はまたお互いだまっていた。
 レストランを出て、次は手芸店へと向かった。大きな店で、売り場は複数の階にわたっている。各階に、客もそこそこ入っていた。
 まずは布の売り場を見て回る茉莉花まりかと、ついていく3人。
 初心者にも扱いやすい綿めんのプリント生地や、流行の素材の生地、秋冬物の毛織物けおりものや化学繊維の生地を中心に、色、厚さ、織り、手触りなど、個性豊かな布地が、所狭しと棚に並べられている。
「何を作るというわけでもないけれど、こんなにたくさんの布があふれていて、見ているだけでも楽しいわね。」
 茉莉花まりかはいきいきとした様子で、布たちを眺め、時に棚から取り出して、手触りを確かめたり、少し広げてみたりしていた。
 そうして見ているうちに、ふとある布に、目を留める。独特の色鮮やかな美しい発色をしている、薄手の綿の平織ひらおり生地。
茉莉花まりかは気がつくと、布地に手を伸ばしていた。触れた瞬間に伝わってくる、なめらかな感触。布を広げると、細番手の糸が使われているこの生地らしい、しなやかなやわらかさを持っていることがよくわかる。茉莉花まりかはこれを、ほかの布地に比べて長い時間、吟味していた。
「この布、とても素敵ね。手触りもよくて、発色がほかにはない感じで……。柄も、この小花柄、それに色もとても好みだわ。これで何か、仕立てたいわね……。」
 茉莉花まりかの言葉からは、この布を相当気に入ったことがうかがえる。すると志歩しほが、笑顔で茉莉花まりかに説明した。
「さすがお嬢様、お目が高くていらっしゃいますね。この生地は、こだわりを持って作られていて、高級感もありますの。手芸をされる方々のあいだでは、人気の生地の一つなのですよ。」
 「高級感」との志歩しほの言葉通り、1メートルあたりの価格は、安価な綿のプリント生地に比べると、3倍〜5倍ほどはするようだった。
「そうなんですね。こんなに気に入ったのだから、ぜひ仕立てたいです。部屋で着るブラウスあたりがいいと思ったのですが……。」
「ではお嬢様、よろしければご自分でお仕立てになってみませんか? きっと楽しいですよ。」
 「自分で」という志歩しほの言葉に、茉莉花まりかは目を丸くする。
「え? でも、ブラウスなんて、仕立てたことがないのですが……。学校の家庭科では、そんなに本格的なものは縫わなかったし……。」
「大丈夫ですわ。わたしにおまかせください。お嬢様は、易しい箇所だけなされれば、あとはわたしが仕上げさせていただきますね。ミシンも裁縫道具も、わたしの部屋にありますので、それをお使いくださってかまいませんし、ブラウスならすぐに仕上がると思いますわ。」
 志歩しほが笑顔で言うと、茉莉花まりかは微笑んだ。
「ありがとうございます。そうさせていただきますね。」
「どういたしまして。この布は、110センチ幅ですから、シンプルなデザインなら2メートルくらい、フリルなどの装飾をつけるとしても、2.5メートルくらいあれば、足りると思いますわ。」
 茉莉花まりか志歩しほは、布をカットしてもらうため、カットするための場所へと向かった。
 礼諒なりあきは、自分の出る幕がないことを残念がりつつも、先ほどのレストランでの光景を思い出し、頭を冷やすのにちょうどいいという気持ちも抱いていた。
 先ほどの布のほかに、ボタンやミシン糸、接着芯せっちゃくしん――布を補強するために、布に貼りつけて使う芯――などの副資材も購入すると、4人は店を後にした。茉莉花まりかはとても満足そうに笑っていた。
 次は本屋へと向かった。ここもまた大きな本屋で、売り場は複数の階にわたり、数多くの棚には、あらゆる分野の本が並べられている。
 すべてを見切ることは不可能であるため、茉莉花まりかは自分の興味のある分野や、級友たちに聞いていた本のある分野の棚を見て回った。
「こんなにたくさんの本があって、好きなように見て選んで買えるなんて、夢のようね。」
 そう言った茉莉花まりかの顔からは、抑えきれない喜びがあふれていた。
 本を見ながら、ときどき茉莉花まりか礼諒なりあきに話しかける。
礼諒なりあきさんも、好きな本を見ていていいわよ。」
「ですが、今日はお嬢様についていくのが仕事ですので……。」
 礼諒なりあきは、あくまでも自分の立場をわきまえつつ、言った。
「それなら、今は休憩時間ということにすればいいわ。とりあえず、志歩しほさんか吉川よしかわさんがそばにいてくださればいいもの。」
「ありがとうございます、お嬢様。そのお気持ちは、受け取らせていただきます。ですが今は、お嬢様のおそばにいさせていただきたいのです。」
 礼諒なりあきは少し戸惑いつつも、なるべく笑顔を見せるように努めた。
「それよりお嬢様、あちこちのお店にお行きになって、お疲れではありませんか? お嬢様こそ、ご休憩なさったほうがよろしいのでは?」
「いいえ、楽しくて、疲れなんか全然感じないわ。礼諒なりあきさんこそ、お気遣いありがとう。」
 茉莉花まりか礼諒なりあきに、優しい微笑みを向けた。
 この本屋には、売り場の中に、文房具売り場の階がある。本を見終わり、いくつか気に入った本を買った茉莉花まりかと3人は、文房具売り場へと向かった。
 文房具だけでなく、絵を描くための画材――絵具類、紙、筆など――もある店だった。茉莉花まりかは画材を見つけるやいなや、一目散に画材売り場へと向かっていった。
 茉莉花まりかは絵具類を見ている。水彩絵具に油絵具、色鉛筆、パステル、カラーインク、マーカー……。色とりどりの画材を眺めていると、すべてを手に入れたくなってしまう。もちろん茉莉花まりかにとっては、一度にすべての色をそろえることは、たやすいことではあった。だがそうであっても、あえて色数を制限する楽しさもあるかもしれない――そんな考えを頭に浮かべつつ、美しい色の共演を眺めていた。
 ふと、礼諒なりあきが話しかけてくる。
「お嬢様は、絵を描いたりなさるのですか?」
 礼諒なりあきは少し、意外であるようだった。
「ええ。といっても、最近は描く時間もないけれど……。子どもの頃は、絵を習っていたわ。」
「そうなのですか。」
「ええ。一宮いちのみや家は、いろいろなところに寄付をしているのはご存じよね。福祉に、芸術や文化の分野、スポーツなんかもそうよ。それで、そういう芸術などの重要性を理解するために、制作側を体験する、といった趣旨で、子どもの頃は、絵や楽器、ダンスなんかも習っていたの。」
「お嬢様、本当に子どもの頃からお忙しかったのですね……。」
 礼諒なりあきは、感心する気持ちや、恐れ多い気持ち、どこか同情してしまいそうになってしまう気持ちなど、いくつかの思いが入り混じって、ため息を漏らしてしまいそうになった。
「子どもの頃は、先生に言われたテーマで絵を描いていて、そういうのはあまり好きにはなれなかったのだけれど……。でも、ほめられたときはやっぱりうれしかったわ。今はもう習っていないから、好きなものを好きなように描いていいと思うと、なぜだか描きたくなるし、今こうして色とりどりの画材を見ていると、描きたい気持ちがますます湧いてくるわ。」
 茉莉花まりかはうれしそうに、絵への思いを語った。そう思うと次の瞬間、寂しそうに、
「でも高校生になってからは、学校の勉強も一宮いちのみや家の勉強もたくさんあって、絵を描く時間なんてとれないの……。」
と言うと、ふっとため息をついた。
 結局画材は買わず、4人はほかの売り場へと向かった。
 いくつか見ていると、ガラスのショーケースが置かれているところにたどり着いた。ケースの向こう側に、高級そうな筆記用具がいくつも並べられている。
 茉莉花まりかが興味深そうに商品を眺めていると、若い女性店員が、
「いらっしゃいませ。ご入用でしたらどうぞ。」
と、茉莉花まりかに声をかけた。
 ショーケースに並べられた商品を一つずつ見ていた茉莉花まりかは、ある一つの種類のあたりで止まった。
 適度な太さのある、木軸のボールペン。一部に金属が使われている。木肌を活かしたものと、色で塗装されたもの、大まかに2種類のデザインがあるようだった。
「あの、このボールペンについて、聞きたいのですけれど……。」
 茉莉花まりかは店員に尋ねた。店員はうれしそうに、かつ、はきはきとした声で、ボールペンについて説明し始めた。
「ありがとうございます。こちらのボールペンは、木軸ということで、幅広い世代の方への贈り物として、たいへん人気があります。」
「そうなんですか。ちょうど、贈り物にと考えているんです。」
「よろしければ、見本もありますので、実際に手触りや書き心地をお確かめになってみてくださいね。」
 店員は、見本と試し書き用の紙を取り出すと、茉莉花まりかに渡した。さっそく茉莉花まりかはペンを持ち、紙に文字を書いてみる。
 適度な太さが手になじみ、また適度な重さが安定を保証する。さらりとしたインクの質が、心地よくペンを走らせてくれる。
 試し書きをする茉莉花まりかの様子を見ながら、店員は説明を続ける。
「このペンには、顔料がんりょうインクが使われているんです。」
「顔料インク?」
「はい。ボールペンのインクには、染料せんりょうと顔料という種類があるのですが、顔料インクは耐水性や耐光性にすぐれています。長期保存する書類にぴったりですよ。」
「初めて知りました。」
「それから、このペンの会社の製品へのこだわりは、群を抜いています。長く使えることを中心に据えていますので、替え芯があるのはもちろんのこと、修理などの対応もしていただけるのです。」
 熱心な店員の説明に、茉莉花まりかも熱心に耳を傾けていた。
 やがて茉莉花まりかは、この木軸のボールペンを買うことに決めた。木肌を活かしたものを1本、塗装されているものを4本選んだ。
「これをすべて、贈り物にしたいのですが。5人分です。」
「かしこまりました。贈り物用の包装をさせていただきますね。」
 店員は笑顔で答えると、贈り物用の包装の用意を始めた。
 店員が包装しているあいだ、礼諒なりあき茉莉花まりかに尋ねた。
「お嬢様、どなたかにペンを贈られるのですか?」
「ええ。今日行くところをご提案くださった、級友の方たちに贈るのよ。長く使えるペン、って、贈り物にとてもふさわしいと思わない?」
 茉莉花まりかはどこか、恥ずかしそうに答えた。それを聞いていた吉川よしかわが、
「さすがはお嬢様、細やかなお心遣いはまさに一流でいらっしゃいますな。」
と、茉莉花まりかをほめた。
 礼諒なりあきは、いつも茉莉花まりかと一緒にいる級友たちの数を、なぜだかあまり思い出せずに、また茉莉花まりかが一本だけ違うデザインのものを選んだことに軽い疑問を覚えつつも、相手の好みに合わせるという、茉莉花まりかの心遣いだろう、と自分を納得させた。
 文房具を見終わると、最後の店、洋菓子店へと向かった。
 個人経営の店であるようだったが、人気があるらしく、建物も、やや規模が大きかった。
 夕刻になってきているものの、夕方に買いにくる客も多いようで、まだ商品は豊富にあった。
 カットされたケーキが主な商品らしく、ガラスのショーケースには、色とりどりのケーキが並んでいる。定番とも言える、生クリームたっぷりのいちごのショートケーキ、見た目からもずっしりとした重さが感じられるベイクドチーズケーキ、チョコレートをぜいたくに使ったことがうかがえるチョコレートケーキ、宝石のような果物が載せられているフルーツタルト、緑の発色が美しい、抹茶のケーキ。ほかにも、大きめのシュークリームや蒸しプリン、アップルパイ、シフォンケーキなどもあり、幅広い商品が展開されている。
 別の売り場には、フィナンシェやマドレーヌ、バターケーキ、クッキーのような、素朴な焼き菓子が、袋入りで置かれていた。
「どれもおいしそうで、目移りするわね。」
 茉莉花まりかは楽しそうな様子で、ケーキを眺めている。一通り見終わると、3人に提案した。
「こんなにおいしそうなお菓子は、みんなで食べたいですね。お屋敷の皆さんの分を買って帰りましょう。」
「素敵ですわ、お嬢様。きっと皆様、喜ばれますわね。」
 茉莉花まりかの言葉に、志歩しほは感激したように答えた。
「お屋敷の方の数は……。吉川よしかわさん、20個くらいあれば足りますか?」
「はい、お嬢様。20個ほどあれば、お嬢様や旦那様、奥様も含めた全員に行き渡るでしょう。」
 茉莉花まりかはさっそく、ほかの3人と相談しながら、カットケーキと袋入り焼き菓子をそれぞれ選び、20個ほどずつ買った。1つの種類につき、2、3個ずつにした。
「こうすれば、選ぶ楽しみもあるし、ほかの人に気を遣いすぎなくてもいいわね。」
「本当にお嬢様は、細かいところにまでお気を遣われていらっしゃいますね。」
 礼諒なりあきは感心したように、茉莉花まりかに言った。
 買い終わって店を出ると、夕日が空と雲を染めていた。秋の澄んだ空気に、きらびやかな橙色の光が映える。
「こんな素敵な夕焼けを見られるなんて、本当に最高ね。皆さん、今日はわたしを街に連れて行ってくださって、本当にありがとうございます。今日のことは一生忘れません。」
 茉莉花まりかが深々と頭を下げると、ほかの3人は、それぞれに満足そうな笑みを浮かべていた。
 そして4人は車に乗り込み、吉川よしかわの運転で、一宮いちのみや家の屋敷へと帰った。