一生、お仕えします その10

第10話 祭りのあと

 屋敷に帰ると、吉川よしかわ礼諒なりあきは、すばやく家の中の仕事へと戻った。自分がいないあいだのことを家事長にまかせていた吉川よしかわは、家事長から、特に問題ないとの報告を聞くと、ほっとした様子で、いつもの仕事へと向かった。
 夕食はいつも通り、ダイニングでとった。仕事の制服に着替えて給仕をおこなう礼諒なりあきを見て、茉莉花まりかは夢から醒めたような気持ちでいた。
 夜のお茶の時間になり、礼諒なりあきがいつものように、茉莉花まりかの部屋にお茶を持ってきた。急須に茶さじで茶葉を入れ、ポットのお湯を注ぐ。ふわりと立ちのぼる緑茶の香り。湯飲みに注がれた美しい緑色は、心を落ち着かせてくれるようだった。
「お茶、おいしいわ。礼諒なりあきさん、お茶を淹れるの、とてもうまいわね。」
 部屋の小さなテーブルの前に座って、ゆっくりとお茶を味わいながら、茉莉花まりか礼諒なりあきに微笑みかける。
「いえ、そんな……。お嬢様のために、おいしいお茶をお淹れすることは、執事見習いとして当然のことです。おほめいただけるほどのことではありません。」
 礼諒なりあきが遠慮がちに言う。
「確かに、礼諒なりあきさんとしては当然のことなのかもしれないけれど……。おいしいお茶って、誰でも簡単に淹れられるというものでもない気がするの。だから、誇りを持っていいと思うわ。」
 茉莉花まりかがにこやかに礼諒なりあきに語りかけると、礼諒なりあきは少し恥ずかしそうに、下を向いた。
 にわかに茉莉花まりかは立ち上がり、机の前に行った。
 机の上には、文房具屋で購入した、木軸のボールペンが置いてある。贈り物用の包装がなされており、直方体の小さな箱が、包装紙にくるまれ、左上には、控えめな大きさのスターボウ(飾り用リボン)が飾られていた。5本とも違う色のものを選んだため、中身の色がわかるように、目印として、小さなシールが貼ってあった。茉莉花まりかはシールを確認すると、一つの箱を手に取り、ふたたびテーブルのほうへ――というよりは、礼諒なりあきのほうへと向かった。
 礼諒なりあきの前まで来ると、茉莉花まりかは立ったまま、箱を礼諒なりあきに差し出した。
礼諒なりあきさん、今日はとても楽しかったわ。本当にありがとう。これは今日のお礼よ。」
「えっ……。わたしに、ですか……?」
 茉莉花まりかの突然の言葉に、戸惑う礼諒なりあき
「ええ。わたしのために、今日もこんなに素敵なことを考えてくれて……。いつも、してもらってばかりで申し訳ないもの。たまにはお返しがしたいの。」
 少し寂しげな笑顔で、茉莉花まりか礼諒なりあきを見る。
「ですがお嬢様、このような、個人的な贈り物を受け取るわけにはいきません。そもそも、今日のことも、ふだんのことも、執事見習いとしての仕事なのですし、お給料もいただいているわけですから、それで充分でございます。」
 顔を曇らせながら、礼諒なりあきは手を後ろに組み、茉莉花まりかの持つ箱を受け取らない意思を表明しようとする。だが茉莉花まりかはひるまずに続けた。
「それは、わかっているわ。礼諒なりあきさんが、執事見習いで、お父様と雇用契約を結んで、お仕事として、日々わたしのために働いてくださっていることも……。」
「お嬢様……。」
「でも、礼諒なりあきさんは、執事見習いである前に、一人の人間よ。だから今回だけはどうしても、礼諒なりあきさんに贈り物をしたいの。」
「いいえお嬢様、一人の人間として思っていただけるのでしたら、かえって受け取るわけにはいきません。わたしはお嬢様に、主従以上の関係を望んではいけないのです。」
 そう言うと礼諒なりあきは、口をぐっと結んだ。礼諒なりあきの顔には、けわしさの中に、物悲しさの色が混じる。
 茉莉花まりかもつられて同じように口を結んだが、しばらくするとふっとため息をつき、言葉を発した。
「そうね……それならこうしましょう。わたし、命令するのは好きではないのだけれど……。主人として、命令するわ。受け取りなさい。」
 優しさと、あきらめの感情が感じ取れる声に、礼諒なりあきは思わず圧倒される。
「……わかりました。お嬢様。では、今回だけは受け取らせていただきます。」
 気がつくと、礼諒なりあき茉莉花まりかから箱を受け取り、深々と頭を下げていた。
 今まで茉莉花まりかには、「命令」されたことはなかった。いや正確に言えば、命令はされているのだが、いつも「してくださる?」といった口調であるため、命令されているのかお願いされているのか、あいまいになっている。そんな茉莉花まりかが、自分の苦手さをこらえてまで、はっきりと意志を示したとなれば、受け取らないという選択肢を選ぶことはできなかった。
「よかったら、今開けてみてくださる?」
 穏やかな茉莉花まりかの声に、礼諒なりあきははやる気持ちを抑えきれず、急いで包みをほどいた。――口では「受け取れない」と言いながら、心の中では、茉莉花まりかの贈り物を、気持ちごと受け取りたい思いでいっぱいだった。
 箱を開けると、美しい木肌をそのまま活かした、木軸のボールペンが現れた。その瞬間、礼諒なりあきは、文房具屋での光景を思い出した。なぜか1本だけ、違うデザインのものを選んでいた茉莉花まりか。自分のためだとは、そのときは思わなかった。
「素敵なペンでしょう? お店でも言ったけれど、長く使えると聞いたから、贈り物にふさわしいと思ったの。」
 茉莉花まりかがにこやかに、礼諒なりあきに言う。
 礼諒なりあきは何も言わず、ペンを眺めていた。手に取り、細かいところまで、美しいデザインを味わう。
 しばらくすると、茉莉花まりかにメモ用紙をもらい、試し書きをしてみた。ふだん使っているボールペン類とは、格段に書きやすさが違う。感動を覚えた礼諒なりあきは、いつしか笑みがこぼれていた。
「お嬢様、本当に、これをいただいていいのですよね? とにかくすごすぎます。持ちやすさに書き味……。せっかくいただいたのですから、ずっと大切にいたします。」
 やや興奮気味に言う礼諒なりあきに、茉莉花まりかは微笑んで答えた。
「受け取ってくださってありがとう。喜んでもらえて、とてもうれしいわ。」
 礼諒なりあきも、満足そうな顔になったが、ふとあることに気づき、やや暗い顔になる。
「ですが、お嬢様からこのペンをいただいたと知られれば、よくないかと思うのですが……。」
 礼諒なりあきの言葉に、茉莉花まりかもつられて少し暗い顔になったが、やがて大きく息を吸い込むと、決心したように言った。
「そうね。わたしのせいで、礼諒なりあきさんが不利益をこうむっては、いけないわね。だから、とがめられたら、全部わたしのせいにしていいわ。わたしが礼諒なりあきさんを守るわ。」
 茉莉花まりかはまっすぐに、礼諒なりあきを見つめた。礼諒なりあきは少し、緊張を覚えたが、やがて真剣な表情になると、
「ありがとうございます。そのお気持ちにお応えするためにも、今まで以上にお嬢様にお尽くしする所存でございます。」
と言って、茉莉花まりかに深々と頭を下げた。
 そして、ペンと、茉莉花まりかに出したお茶の道具を持って、礼諒なりあき茉莉花まりかの部屋を出た。
 途中で自分の部屋に寄り、ペンを置いてから、お茶の道具を片づけるため、台所へと向かった。

 台所には、今は礼諒なりあきしかいなかった。お茶の道具を片づけると、礼諒なりあきは疲れを吐き出すように、深いため息をついた。
 部屋に戻ろうとすると、ちょうど吉川よしかわが台所に入ってきた。礼諒なりあき吉川よしかわにあいさつして、自分の部屋へ戻ろうとすると、吉川よしかわに呼び止められた。
礼諒なりあき、ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいか?」
「な、なんでしょうか……。」
 礼諒なりあきはどきりとする。今の吉川よしかわの顔は、自分に不利なことを聞かれるときの顔だ――。礼諒なりあきは、だんだん吉川よしかわのことがわかるようになると、吉川よしかわの表情や態度で、これから起こるであろうことを予想できるようになっていた。礼諒なりあきに、緊張が走る。
「今日お嬢様がつけていらした化粧品、まさかお前が贈ったものではあるまいな?」
「え? えっと……その……。」
 思わぬ言葉に、礼諒なりあきは体をこわばらせ、手は、着ている服の布地をつかんでいた。取り繕おうと、頭を働かせる隙もない。
「やはりそうか。まったく関係なければ、すぐに否定できるからな。その態度が、すべてを物語っているな。」
「うっ……。」
 礼諒なりあきには、反論の余地がなかった。吉川よしかわが、いつも以上にきつい顔になる。
礼諒なりあき、前も言ったよな? お嬢様に個人的な感情を抱くな、と。個人的な感情にとどまらず、個人的な贈り物までするとは、どういうことだ?」
「も、申し訳ありません。ですが、化粧品は、執事見習いとして、お嬢様にお喜びいただこうと……。」
「ならば、わたしや旦那様、奥様に相談するべきだ。勝手に贈り物などするな! 使用人が主人に個人的な贈り物など、本来ならば、許されることではないのだぞ!」
「……。」
「しかも、化粧品というのは、最上級に個人的ではないか。いったい何を考えているのだ!」
 吉川よしかわの声に、礼諒なりあきは思わず下を向く。弁解の余地もない。
「まあ、お前はまだ見習いだから、今回は旦那様には言わないでおく。もう二度と、このようなことはしないように。わかったな?」
 やや声をしずめ、吉川よしかわ礼諒なりあきを諭した。
「はい、承知いたしました……。」
 返事をした礼諒なりあきは、今度こそ部屋に戻ろうとするものの、体が固まって、その場から動けない。しばらくそのまま立ち尽くしていると、吉川よしかわがふと、声を漏らした。
「まったく、なぜお嬢様なのだ……。」
 礼諒なりあきは不思議に思い、思わず吉川よしかわのほうを向く。吉川よしかわは、礼諒なりあきの顔を見て続けた。
「お前がお屋敷に来たころ、主人であるお嬢様とは、あくまで主従に徹するように、と言ったよな? 必要以上に、親しくなりすぎないように、と。」
 礼諒なりあきは、無言で話を聞いていた。
礼諒なりあきも一人の人間であるし、誰かに恋をすることだってあるだろう。お屋敷の使用人といっても、昔ではあるまいし、恋愛自体が禁止されているわけではない。恋した相手と思いが通じ合えば、そして学業や仕事に支障が出ない範囲であれば、交際すること自体は、まったくの自由だ。」
吉川よしかわ様……。」
礼諒なりあきは今は学校に通っているのだから、級友だってたくさんいるだろう。友人関係を制限されているわけでもないのだから、級友と、深い信頼関係を築くこともあったかもしれない。庶民と良家の子女が交際するというのも、別にとがめられるようなことでもない。」
 吉川よしかわは、淡々としているように見えて、どこか力強さを込めた口調で、次から次へと言葉を流していく。
「だが、同じ良家のご令嬢でも、お嬢様は、茉莉花まりかお嬢様だけはだめだ。使用人が主人に恋するなど、あってはならない。本来ならば、即解雇だ。」
 「解雇」という言葉に、礼諒なりあきは思わず身を縮める。
「なあ礼諒なりあき、恋をするなら、なぜ、級友ではなかったのだ。相手が主人であるという、最初から報われない恋など、するものではない。」
 そう礼諒なりあきに問いかける吉川よしかわの声は、どこか寂しげに聞こえた。
「本当に申し訳ありません、吉川よしかわ様……。」
 礼諒なりあきは下を向くと、今言える精一杯の言葉を、口にした。すると、吉川よしかわはふっとため息をつき、やや目線を上に向けて言った。
「だが、もうそろそろ、自然とお前の気持ちも、封印するような日が来るだろう。」
 言い切るような吉川よしかわの言葉に、礼諒なりあきは驚き、思わず顔を上げる。
「それは、どういうことですか?」
「もうすぐ、旦那様からお話があると思うんだがな。」
 吉川よしかわが、礼諒なりあきのほうを向いた。礼諒なりあきはなぜか身構えた。吉川よしかわの次の言葉を待つ。
「近々、お嬢様はお見合いをすることになっている。」
 「お見合い」という言葉を耳にしたとたん、礼諒なりあきの体中を、ぞくっとした感覚が走った。ときどき、茉莉花まりかから聞いていた、「親が決めた相手と結婚する」という、一宮いちのみや家のしきたり。それをいよいよ現実のものとして実感する日が、近づいている――。
「お見合いというよりは、顔合わせといったところだな。相手は良家の、いわゆるお坊ちゃまだ。礼諒なりあき、お前がかなう相手ではない。」
 吉川よしかわがけわしい顔で、礼諒なりあきにまなざしを向ける。
「それと、詳しくはまた旦那様から説明があると思うが、礼諒なりあきもお見合いに同席するので、心づもりをしておくように。」
「えっ? はい、わかりました……。」
 少し意外に感じた礼諒なりあきだったが、慌てて返事をした。
 その後、礼諒なりあきは部屋に戻り、受験勉強をしながら、吉川よしかわに言われたことについて、考えを巡らせていた。

 数日後、夜のお茶の時間の前に、茉莉花まりか礼諒なりあき重元しげもとに呼ばれ、一宮いちのみや家の屋敷内の執務室へと入った。
 執務室の机には、重元しげもとが座っており、机の横には吉川よしかわが控えている。茉莉花まりかたちは重元しげもとにうながされ、机の前に置かれたいすに、腰を下ろした。
 重元しげもとは二人の顔を見ると、さっそく話を始める。
「今日来てもらったのは、重要な用事について、説明するためだ。」
 茉莉花まりかはなぜか、不安な予感がした。礼諒なりあきは、この前の吉川よしかわの話を思い出し、身構える。
「受験勉強で忙しい時期に、申し訳ないがな。今度の日曜に、茉莉花まりかはお見合いをすることになった。」
「お、お父様、お見合いって、今の時期に? 急ではないかしら?」
 茉莉花まりかは慌てたように、即座に重元しげもとの言葉に反応した。お見合いについて、ある程度は覚悟していたが、それでも重元しげもとの話は、青天の霹靂へきれきだと感じられた。茉莉花まりかの顔がこわばる。
「わたしも、そう考えもしたのだが……。一宮いちのみや家では、18歳くらいでお見合いをすることになっている。長く一緒にいる相手であるし、顔合わせは早めのほうがいいと思ってな。相手の家と調整したところ、今度の日曜に決まった。もう少し先のほうとなると、今よりも受験で忙しくなるし、大学生になると、今度は新生活に慣れるのに精一杯で、お見合いどころではなくなり、結果的に時期も遅くなってしまう。それで、今がちょうどいいという結論になったのだ。」
 重元しげもとが、淡々と説明を続けた。
 茉莉花まりかは下を向き、くちびるをかみしめた。礼諒なりあき茉莉花まりかの様子に気づき、横目でそっと茉莉花まりかを見る。
 やがて茉莉花まりかはまた上を向き、重元しげもとの顔を見た。
「わかりました、お父様。心の準備をしておくわ。」
 穏やかでない表情を見せる茉莉花まりかに、重元しげもとは、気持ちをやわらげるように、静かに言う。
茉莉花まりか、そんなに不安がらなくても大丈夫だ。お見合い、というよりは顔合わせだが、別に茉莉花まりかと相手の一対一というわけではない。わたしや母様も一緒であるし、それに……。」
 一呼吸置いて、重元しげもと礼諒なりあきのほうに目を向ける。
礼諒なりあき、そなたも同席することになっている。茉莉花まりかが結婚すれば、礼諒なりあきは夫にも仕えることになる。やはり早めに顔合わせするのがいいだろうからな。吉川よしかわも、先代付きの執事も、お見合いのときには同席していたので、一宮いちのみや家のしきたりといったところだ。」
「はい、承知いたしました、旦那様……。」
 礼諒なりあきは淡々と返事をしたが、その声はかすかに震えていた。
「あ、それから、お見合いの相手についても、簡単に説明しておく。」
 重元しげもとが思い出したように、話を続けた。
茉莉花まりかの相手は、上月こうづき家のご令息、拓真たくまくんだ。二人きょうだいの弟さんだ。確か20歳くらいだったかな。ちょっと今、写真などは用意できていないので、あまり詳しく言えなくて申し訳ない。まあ当日に、本人から自己紹介もなされると思うので、そのときに気になることがあれば尋ねなさい。」
「わかりました、お父様。」
 茉莉花まりかは穏やかでない表情を変えずに、意思のこもらない声で答えた。
 話が終わり、茉莉花まりか礼諒なりあきは、執務室を出た。茉莉花まりかは無言で、自分の部屋へと向かった。礼諒なりあきも、何も言わずに、茉莉花まりかのあとをついていった。
 部屋の前に着くと、礼諒なりあきは、
「お嬢様、今からお茶のご用意をいたします。」
と言って、ドアを開けようとした。だが茉莉花まりかは、
「いいえ、申し訳ないけれど、今日はお茶はいらないわ。もう、そんな気分になれないの。」
と言って、自分でドアを開け、部屋の中へと入った。
「そうですか……。承知いたしました。それではお嬢様、ごゆっくりお休みくださいませ。」
「本当にごめんなさい。礼諒なりあきさんも、ゆっくり休んでね。」
 二人はドアの近くで少しだけ会話を交わすと、礼諒なりあきが部屋のドアを閉め、その日は顔を合わせることはなかった。
 翌日、学校で茉莉花まりかは、どんよりとした空気を醸し出していた。さすがに勉強は、ふだん通りにこなしているものの、身にまとう空気が、どこか重苦しい。
 昼休み、いつも休み時間などに、茉莉花まりかと一緒にいる女子生徒たち――かつら和奏わかなたち――が、腫れ物に触るように、茉莉花まりかに話しかけてきた。
茉莉花まりかさん、今日はどうなさったの? おつらいことでもおありなの? 見ていて、とても伝わってくるわ……。」
 かつらが不安そうに、茉莉花まりかに尋ねる。茉莉花まりかは曇った笑顔を見せながら、単刀直入に答えた。
「ええ。今度の日曜日に、お見合いをすることになったの。」
「お、お見合い!? 一宮いちのみやさん、ついに……!」
 和奏わかなが思わず叫ぶ。本気で茉莉花まりかを心配している雰囲気が伝わってくる。
「ちょっと、和奏わかなさん、そんなに大きな声で言わないの。」
「ご、ごめん、かつらちゃん。お見合いって聞いて、本当にお見合いするんだって思うと、つい驚いちゃって……。」
 かつら和奏わかなが、いつものやり取りを展開していた。
 茉莉花まりかと、ほかの女子生徒は、どう対応すればいいのかという雰囲気で、二人のやり取りを見ていた。しばらくして、かつら和奏わかな茉莉花まりかたちの様子に気づくと、慌てて茉莉花まりかと話を再開した。
「ごめん、一宮いちのみやさん。話の途中で……。」
 和奏わかなが申し訳なさそうに言う。
「いいえ、お気になさらないで、森本もりもとさん。」
 茉莉花まりかは気にしていないといった雰囲気で、にこやかに答える。
「でもね一宮いちのみやさん、お見合いは不安だとは思うけど……きっと大丈夫だよ。一宮いちのみやさんのおうちは名家って言われているし、きっと結婚相手の人も、ちゃんとした、いい人なんじゃないかな?」
「それは、和奏わかなさんのおっしゃる通りかもしれないわね。」
 和奏わかなをたしなめることも多いかつらだが、今回は同意するようだった。
「そう……だと、いいけれど……。」
 茉莉花まりかがふと、下を向く。そのままだまってしまった。
一宮いちのみやさん、わたしは何もできないけれど、心の中で応援してるからね!」
「わたしもよ。」
「わたしだって応援するわ。」
「つらいことがあったら、話してくれていいからね。」
 和奏わかなかつら、そしてほかの女子生徒たちも、口々に、茉莉花まりかへ励ましの言葉をかけた。茉莉花まりかはゆっくりと前を向くと、雨まじりの晴れ空のような顔で言った。
「ありがとう、皆さん。お見合い、がんばるわ。」
 その後、昼休み終了のチャイムが鳴ったため、茉莉花まりかたちは会話を終わらせ、それぞれの席へと着いた。昼休み中、礼諒なりあきは少し離れたところから、茉莉花まりかたちの様子をずっと見ていた。
 放課後、いつも帰るときに吉川よしかわを待っている場所で、茉莉花まりかはいつも通り、礼諒なりあきと二人だった。
 何も言わずに待っていたが、あるとき茉莉花まりかがふと、話を切り出した。
礼諒なりあきさん、今日のお昼休みの、級友の皆さんとのお話、聞いていた?」
「え? あ、はい、お見合いのお話ですよね。」
「ええ、そうよ。」
 茉莉花まりかは大きくため息をつくと、礼諒なりあきからは目をそらし、やや下を向きながら、話を続けた。
かつらさんに言われたわ。何かつらいことがあったのか、とても伝わってくる、って。こんな感じでは、一宮いちのみや家次代当主、失格よね。」
「え? なぜですか? お嬢様は日々、あらゆる勉強をこなされて、ご立派に……。」
 礼諒なりあきがそこまで言うと、茉莉花まりかは顔を上げ、礼諒なりあきのほうを向いた。
「だって、あまり感情を顔に出してはいけない、と言われているのよ。この前の街歩きのときもそうだったけれど、今回も……。心のうちが、すぐにばれてしまっているわ。」
 どんよりとした顔を見せる茉莉花まりかに、礼諒なりあきは答えた。
「ですがお嬢様、人間に感情があるのは当たり前のことですし、隠しきれないものなのではないでしょうか。お嬢様は、まだお若くていらっしゃるのですし……。」
 礼諒なりあきは真剣に、茉莉花まりかに言葉をかける。
「それに、お見合いという、人生において大きな変化のあることに関することなのです。不安、動揺、そういった感情が湧き出てくるのは、止められないのではないでしょうか?」
礼諒なりあきさん……。」
 茉莉花まりかはだまって礼諒なりあきを見つめた。少しずつ、目に涙がにじんでくる。
 礼諒なりあきはぐっと口を結んだのち、力を込めた声で、茉莉花まりかに言った。
「お嬢様、どうか不安はすべて、わたしにお話しください。そうすることで、少しでもやわらぐかもしれません。それに当日は、わたしも一緒です。心を尽くして、お嬢様をお助けいたします。」
 礼諒なりあきの声からにじみ出る、心の底からの誠意に圧倒され、茉莉花まりかはしばらく、何も言えなかったが、やがて静かに、
「ありがとう、礼諒なりあきさん。」
とだけ答えると、ふたたび下を向き、無言になった。
 そうしているうちに、吉川よしかわが車に乗って到着した。二人は車に乗り、一宮いちのみや家の屋敷へと帰った。