一生、お仕えします その11

第11話 お見合い

 茉莉花まりかの見合いの日がやってきた。
 見合いは、格式の高いホテルの中にあるレストランの個室で、軽い昼食も兼ねて、おこなうことになっている。
 見合いに向けて、茉莉花まりかは自分の部屋で、志歩しほとともに身支度をしていた。
 茉莉花まりかは長袖のワンピースを身にまとっていた。ピンクベージュを基調とする、装飾的な糸で織られた、厚手の平織ひらおりの毛織物けおりもので作られている。丸みのあるスクエアネックで、ひざ下丈が、着る人を上品に見せる。身頃には、袖下からすそまで、縦の切り替えがあり、裾に向かって広がる、フレアタイプのデザインになっている。ウエストには切り替えがないため、やや明るめで、赤みのある茶色の、太めのベルベットリボンで作られたベルトをつけ、より体型を美しく見せるように工夫している。足元は、季節を考え、ベージュのタイツ。桜子さくらこが、一宮いちのみや家の風格を表現し、茉莉花まりかの良さを引き立たせる、との理由から、選んだ組み合わせだった。
 ワンピースを茉莉花まりかに着せるとき、自然と、ある程度は茉莉花まりかの体にふれることになる志歩しほ。その手は、茉莉花まりかの体のこわばりを感じ取っていた。
「お嬢様、よくお似合いですわ。今日のお見合いでは、お嬢様の良さを発揮できると思いますよ。」
 志歩しほが穏やかな声で、茉莉花まりかを落ち着かせるように言う。
「そう、ですか……。」
 茉莉花まりかは沈んだ声で、小さくつぶやく。志歩しほは曇った顔になり、身支度の手を止め、茉莉花まりかに問いかける。
「お嬢様、やはりお見合いは、ご不安でいらっしゃいますか?」
「ええ。……そもそも、本当はお見合いなんてしたくないんです。」
 今にも泣きそうな茉莉花まりかを見て、志歩しほは、ありったけの誠意を、声と言葉に込めた。
「お気持ち、よくわかりますわ、お嬢様。今時、親が決めた相手とのご結婚だなんて、悲しくなってしまいますよね。」
志歩しほさん……。」
「でも、だからこそ、旦那様や奥様は、お嬢様のお幸せのことは、きちんと考えてくださっていると思いますよ。お嬢様のお相手の、上月こうづき拓真たくま様は、お嬢様とお年も近くていらっしゃるようですし、とても紳士な好青年だとお聞きしていますよ。」
 少しでも、茉莉花まりかの心に晴れ空を呼び込みたい志歩しほだが、茉莉花まりかは下を向いたまま、だまってしまった。
「お嬢様……。あっ! そうですわ!」
 少しのあいだだけ困っていたかと思うと、次の瞬間には、何かひらめたようだった。
「こんなときこそ、礼諒なりあきさんからお誕生日に贈られた化粧品を、お守りとして使いましょう。」
 志歩しほはにわかに、優しく微笑む。
「え? でも、今日の化粧のしかたは、だいたい決められているんですよね?」
 茉莉花まりかが顔に疑問符を浮かべると、志歩しほは制服のエプロンのポケットから1枚の紙を取り出し、茉莉花まりかに見せた。
「お嬢様、これをご覧ください。今日のお化粧についての手順書ですわ。」
 紙には、使う色や、塗る範囲など、ある程度細かく記されている。先代である茉莉花まりかの祖母の助言をもとに、今の時代に合わせ、茉莉花まりか自身の魅力を引き出すため、桜子さくらこが中心になり、茉莉花まりかの父方の叔母――重元しげもとの妹――や、化粧のプロに相談しつつ、決まったものだった。
「これを見る限り、チークには、少しきらきらとした成分が含まれていますわ。アイシャドウを頬に使ってはいけないという決まりはありませんし、ほんの少しだけ塗れば、今日のチークと混ざって、わからなくなると思いますよ。」
 茉莉花まりか志歩しほから手順書を渡され、しばらく読んでいたが、やがて納得したようだった。
「そうですね。では、お願いします、志歩しほさん。」
「かしこまりました! 美しく仕上げさせていただきますね。」
 志歩しほはにこやかに、茉莉花まりかの化粧を始めた。
 化粧が終わると、茉莉花まりかは鏡をよく見て、礼諒なりあきから贈られたアイシャドウを使っていることがわからないことを、確認した。
「ありがとうございます、志歩しほさん。今日のお見合い、がんばります。」
 茉莉花まりか志歩しほに頭を下げると、志歩しほは、
「いいえお嬢様、どうか肩のお力を抜かれて、リラックスして、お見合いにのぞまれてくださいね。」
と、笑顔で答えた。だがその笑顔には、どことなく、かげりがあるように見えた。
 髪は、ふだん通りの、下ろした髪型で、茉莉花まりかの特徴である、控えめにカールした毛先を活かすことにした。
 最後の仕上げとして、小さなペンダントトップの、銀色のネックレスをつけ、身支度を終わらせた。

 出かけるまでは居間で待機するため、茉莉花まりか志歩しほは居間に行った。居間には礼諒なりあきだけがいた。
 礼諒なりあきは、無地の紺色のスーツに、白のシャツ、水色のネクタイをつけていた。ネクタイは一見無地だが、よく見ると織り柄で、さりげないおしゃれさを感じさせる。
礼諒なりあきさん、身支度ができたのね。学校の制服や、お仕事の制服とはまた、感じが違うわね。」
 茉莉花まりかは思わず、ほのかな笑顔を見せ、礼諒なりあきの服装についての感想を述べる。
「あ、いえ……。学校も紺の、スーツみたいな制服ですし、仕事もスーツなので、あまり代わり映えしませんよ。」
 礼諒なりあきは少し恥ずかしそうに、右手を顔の辺りに持ってきて、苦笑いした。
「それよりお嬢様、緊張されていたり、ご不安があったりなど、されていませんか? 今日は、いつも以上に、誠心誠意、お尽くしいたします。」
 礼諒なりあき志歩しほの手前、そして、重元しげもとたちがいつ来てもいいように、言葉を選びつつ、茉莉花まりかの不安をやわらげようとしていた。
「ありがとう、礼諒なりあきさん。同席することになっているなんて、心強いわ。」
 茉莉花まりかは小さな声で、礼諒なりあきに答えた。
 少し経つと、重元しげもと桜子さくらこが、居間に入ってきた。重元しげもとは、濃色のスーツに、地味な色合いのネクタイをつけていた。桜子さくらこはひざ下丈のワンピースだが、茉莉花まりかが着ているものとは対照的な、落ち着いた色合いの、あまり裾が広がりすぎていない、飾り気のないものを着ている。茉莉花まりかと同じ色合いの、やや赤みがかった、ストレートの長めの髪を、低い位置でおだんごにしていた。
 重元しげもとが、茉莉花まりかのワンピースを見て言った。
「やはり、主役は上品さを保ちながらも、華やかさを出すのがいいな。茉莉花まりか、似合っているぞ。」
「ありがとう、お父様。」
 茉莉花まりかはうかない顔で、重元しげもとに返事をする。桜子さくらこは、茉莉花まりかの様子を察すると、優しい声で、茉莉花まりかに語りかけた。
茉莉花まりか、緊張しているのね。お母様がついているから、大丈夫よ。お母様も、昔お父様とお見合いしたときはとても緊張したけれど、両親、つまり茉莉花まりかのお祖父様じいさまとお祖母様ばあさまが一緒にいたから、心強かったわ。それに、お父様がとてもいい人だから、安心してお見合いができたの。茉莉花まりかの相手の拓真たくまくんも、とてもいい人だから、きっとうまくいくわよ。」
 桜子さくらこは、茉莉花まりかの肩に、ぽんと軽く手を触れた。茉莉花まりかは表情を変えずに、
「ありがとう、お母様。心配をかけて、ごめんなさい。」
と言うと、下を向いた。
「そろそろ吉川よしかわも来るだろう。」
 重元しげもとが腕時計を見ていると、吉川よしかわも居間に入ってきた。
「皆様、お待たせいたしました。お支度は整いましたか?」
 吉川よしかわが、茉莉花まりかたちを見渡し、確認する。
「よろしいようですね。では参りましょう。」
「いってらっしゃいませ、お嬢様、皆様。」
 留守番の志歩しほは、手を振って、茉莉花まりかたちをにこやかに見送った。
 5人は車に乗り、吉川よしかわの運転で、見合い場所の、ホテル内にあるレストランへと向かった。

 見合い場所に着いたのは、少し早めの時間だったようで、まだ上月こうづき家の者たちは、到着していなかった。結婚話を取り持つということで、茉莉花まりかの母方の伯父夫婦、つまり桜子さくらこの兄夫婦が、仲人的な役割をすることになっているのだが、今日は、人数が多くなりすぎるということで、参加はしないとのことだった。
 茉莉花まりかたち5人は、店員に案内され、見合い用に用意された個室へと向かい、席に着いた。見合いだからといって特別なことはされていない、普通の長方形のテーブルだった。濃い目の落ち着いた色合いの木が使われており、どこかどっしりとした印象を与える。同じ色合いの木が使われたいすは、座面と背面の革に、適度に中綿なかわたのふかふかした弾力があり、座り心地がよさそうだった。
 奥側の席に、茉莉花まりかを中心にし、隣には礼諒なりあき、その反対の隣に、桜子さくらこ重元しげもと、そして吉川よしかわが座っている。飲み物の注文は、全員がそろってから、ということになった。特に何も言葉を発しない、待っているあいだの空気感に、茉莉花まりかはいたたまれない気持ちになっていた。ずっと下を向き、テーブルの下に置いた手を、しきりに動かしている。礼諒なりあき茉莉花まりかの手が気になり、ときどき横目でちらちらと見ていたが、声をかけることはできなかった。
 しばらくすると、個室の外で、店員が、
一宮いちのみや様のご予約ですね。少々お待ちください。」
と言っている声が聞こえた。茉莉花まりかは手をぐっと握りしめ、ワンピースの布地をつかんだ。礼諒なりあきも、無意識に、スラックスの布地をつかんでいた。
 店員が個室の中へ入ってくると、吉川よしかわが立ち上がり、いったん個室の外へ出た。あいさつの声が聞こえたかと思うと、また個室に入り、茉莉花まりかたち4人に声をかけた。
「皆様、上月こうづき家の方たちが、いらっしゃいました。」
 茉莉花まりかはふっと顔を上げ、個室の入り口のあたりを見た。50代後半くらいに見える男性が、まず入ってきた。続いて、重元しげもと桜子さくらこよりはいくらか年配の、50代前半と思われる、夫婦らしき二人、最後に、中肉中背といった印象の若い男性が、個室へと入ってきた。
「お世話になります。上月こうづきでございます。今日はよろしくお願いいたします。」
 50代前半くらいに見える男性が、上月こうづき家を代表してあいさつをした。
 吉川よしかわは、上月こうづき家の4人に席を案内し、両家の着席が完了した。茉莉花まりかの前には、若い男性が座った。茉莉花まりかは男性を一瞥いちべつすると、思わず下を向いた。
(この方が、上月こうづき拓真たくまさん、なのよね……。)
 茉莉花まりかの鼓動は速くなり、いくら空調が効いているからとはいえ、肌寒い時季だというのに、全身に汗がにじんでいるのが感じられる。顔を上げることができず、失礼をはたらいているという意識がありながらも、体を動かすことができない。
 そうしているうちに、吉川よしかわが、
「では、茉莉花まりかお嬢様、拓真たくま様、まずはお名前とお年の、簡単な自己紹介をなさってください。それから礼諒なりあきも、よろしくな。」
と、見合いの進行を始めた。
 茉莉花まりかは少しだけ顔を上げると、かすかに震える声で、
一宮いちのみや茉莉花まりかです。18歳、高3です。よろしくお願いします。」
と、単純に述べた。
 つづいて拓真たくまが、
「初めまして、茉莉花まりかさん。上月こうづき拓真たくまと申します。20歳、大学2年です。茉莉花まりかさんより2つ年上になるかと思います。お会いできてうれしいです。今日はよろしくお願いします。」
と、やや緊張した様子を見せながらも、穏やかな笑顔で言い、軽く頭を下げた。
 最後に礼諒なりあきが、
上月こうづき拓真たくま様、初めまして。一宮いちのみや家にて、茉莉花まりかお嬢様の執事見習いをしております、笹原ささはら礼諒なりあきと申します。茉莉花まりかお嬢様と同い年で、17歳の高3です。お嬢様がご結婚されたあかつきには、上月こうづき様にもお仕えすることになります。よろしくお願い申し上げます。」
と、うやうやしく、そしてどこか淡々と、自己紹介をした。すると拓真たくまが、
「次代の当主候補にも、若いときから見習いの執事をつけるしきたりなんですね。さすが、一宮いちのみや家ですね。」
と、感心したように言った。
 主役の3人の自己紹介が終わると、付き添いである親たちも、茉莉花まりかたちのために、簡単に自己紹介をした。上月こうづき家の、やや年配の夫婦らしき二人が、拓真たくまの両親で、父親が上月こうづき家の今の当主。50代後半くらいの男性は、上月こうづき家の執事、とのことだった。
 茉莉花まりかは思い切って顔を上げると、あらためて、拓真たくまの顔をきちんと見た。どんなときにも穏やかさを感じさせるような、優しい顔つきに、短くそろえた黒髪。二枚目、というほどではないかもしれないが、さわやかな印象を受ける。多くの者に、好感を持たれそうな外見と言える。服装は、さりげない、細いストライプの入った、杢調もくちょうのライトグレーのスーツに、白のシャツ。やや淡いピンクを基調とし、白と暗めの赤が使われている、斜めストライプのネクタイをつけている。志歩しほの言っていた、「紳士な好青年」という言葉が、ぴったりと当てはまる、と感じられた。
「では、ひとまず飲み物を注文しましょう。」
 吉川よしかわが提案し、店員を呼び、それぞれが好みの飲み物を注文する。未成年である茉莉花まりか礼諒なりあき、車を運転する吉川よしかわや、上月こうづき家の執事はもちろんだが、ほかの者も、見合いの場であることや、軽い昼食である、ということで、全員、ソフトドリンクを注文していた。
 注文が終わると、さっそく、茉莉花まりか拓真たくまがお互いについて知ることができるよう、話をすることになった。重元しげもとが、茉莉花まりかに質問するよううながす。
 だが茉莉花まりかは、何を聞こうか、すぐには浮かばない。そこで重元しげもとは、先に拓真たくまに、何かしらの話をしてもらうよう、頼んだ。
 拓真たくまは少し照れた感じで、話し始めた。
「このたびは、茉莉花まりかさんとお引き合わせいただき、ありがとうございます。お話をいただいたときには、とても驚きましたが……。茉莉花まりかさんとご結婚させていただいて、一宮いちのみや家のご家業にかかわらせていただけるのは、とても名誉なことだと思っております。」
 にこやかに話す拓真たくまを見て、茉莉花まりかは少し、胸が痛んだ。
「まあ、拓真たくまくんはお若いのに、とてもしっかりした考えでいらっしゃるのね。」
 桜子さくらこが、ほめるように言う。
「わたしたちから結婚話を持ちかけておいて、こういうことを言うのもあれだが、上月こうづき家のご家業は大丈夫なのかな?」
 重元しげもとが、少し不安そうに、拓真たくまに尋ねる。
「はい。上月こうづき家は、6つ年上の、姉が継ぎますので……。姉は自由人じゆうじんではあるのですが、なんだかんだ言って、上月こうづき家や、かかわる人たちのことを、真剣に考えているのです。ですから信頼して、まかせています。」
 拓真たくまの態度からは、揺るぎなさのようなものがうかがえる。茉莉花まりかは何も言うことができず、拓真たくまと、重元しげもと桜子さくらことの会話を、だまって聞いていた。礼諒なりあきは、不安そうな顔で、茉莉花まりか拓真たくまを交互に見ていた。
 そのうち、飲み物や食事が運ばれ、飲食をしつつ、話が進められていた。茉莉花まりかはゆっくりと、少しずつ食事を進めていた。主に拓真たくまと、お互いの両親で会話がなされていたが、あるときふと重元しげもとが、茉莉花まりかに問いかけた。
茉莉花まりか、緊張してはいると思うが、そろそろ、何か聞いてみたいことはないか? 別に立派なことを尋ねる必要はない。例えば、好きな本だとか、そういうことでいいのだよ。」
 茉莉花まりか自身も、自分の見合いであるのに、あまりだまったままでいるのもよくないと感じていたようだった。いったん食事の手を止め、うんうんとうなりながら、質問内容を考えていた。
 すると、ふと礼諒なりあきが、静かに言葉を発した。
「お嬢様、差し出がましいようですが、ご提案がございます。」
 茉莉花まりかは少し驚いた様子で、礼諒なりあきのほうを向いた。
「え、何かしら?」
「お嬢様、上月こうづき様は、現在大学生でいらっしゃるとのことですから、大学について、お尋ねになってはいかがでしょうか。」
 そう言い終わると、礼諒なりあきは口をぐっと結び、茉莉花まりかをまっすぐに見た。
「そうね。そういうことを聞けばいいのよね。思いつかなかったわ。礼諒なりあきさん、ありがとう。」
 茉莉花まりかは少しだけ口角を上げると、拓真たくまのほうを向き、尋ねた。
「えっと、あの……。上月こうづきさんは、大学では、どんな勉強をなさっているのですか?」
「聞いてくださってありがとう。僕は経済学部なんです。」
 拓真たくまはどこかうれしそうに、自分の勉強していることについて話し始めた。
「経済学部、というと、世の中のお金の流れを勉強するのですか?」
 茉莉花まりかも、場と、まわりの者たちの体面を保つため、必死に会話をつなげていく。
「大ざっぱに言えば、そうですね。個人単位での消費についてや、国や地域、国際的なお金の流れや政治、企業の産業活動、労働問題、環境問題、金融、つまり銀行なんかだったり……。幅広く、人間の経済活動が、対象になっている学問です。」
「そうなんですね。」
「僕の大学では、2年生の秋学期になると、専門演習ゼミが始まるんです。少人数で、人それぞれ、自分の研究テーマについて、掘り下げていくんです。演習ゼミはまだ始まったばかりですが、僕は、この国の福祉のさらなる充実において、経済が果たす役割、のようなことを研究しようと思っていますよ。」
「まあ、とてもやりがいがありそうですね。」
「経済という言葉は、もともとは『経世済民けいせいさいみん』という言葉からきているそうなんです。世の中を治め、人々を苦しみから救う、という意味だそうで……。僕も、上月こうづき家に生まれた身として、そして、いずれ一宮いちのみや家の婿に迎えていただく身として、これから生きていくことを考えても、高貴な者の義務ノブレス・オブリージュを果たせるような勉強、ひいては仕事をしたいんですよ。」
 自分の勉強の分野について、饒舌に語る拓真たくまに、茉莉花まりかは圧倒されていた。礼諒なりあきもまた、「かなう相手ではない」という、吉川よしかわの言葉を思い出していた。
 やや長めに話した拓真たくまは、ふと気づいたように、自分の番を終わらせた。
「すみません。話が長くなってしまって……。」
「いえ、とても興味深いお話でした。上月こうづきさんは、自分の勉強や、将来の方向性について、しっかりと考えていらっしゃるのですね。わたしなんて、まだ、とりあえず、大学に入ることだけを考えている段階で……。」
 茉莉花まりかが、どこか恥ずかしく、申し訳なさそうに、肩を縮こまらせた。
「いえ、そんなことは……。僕も、高3のとき、つまり、今の茉莉花まりかさんと同じ年のころは、具体的にどんなことを勉強しようか、だなんて、考えていませんでした。多くの人は、そんなものですよ。大学に入って、新しいことを知れば、きっと自分の方向性というものが、見えてきますよ。」
 拓真たくま茉莉花まりかを励ますように、優しく言葉をかけた。
茉莉花まりかさん、もし、僕でよければ、受験のことや、大学生活のことなど、相談に乗りますよ。いつでも頼ってください。」
「ありがとうございます、上月こうづきさん。」
 茉莉花まりかは、緊張をおもてに出したまま、軽く頭を下げた。
 拓真たくまは、会話の主役を茉莉花まりかへと渡すように、次の話題へと、移らせていく。
「僕のことばかり話すわけにもいきませんし、茉莉花まりかさんのことも、教えてください。例えば、ふだん学校ではどのような感じなのですか? 好きな勉強はありますか?」
「えっと……そうですね……。何からお話しすればいいのか……。」
 先ほどの、拓真たくまの話には、なんとかあいづちを打つことができていた茉莉花まりかだったが、自分の番となり、また、戸惑いの気持ちが生まれていた。――正直に言うと、あまり「受け入れたくない」相手に、自分の話をすることに、抵抗があった。
 とはいえ、拓真たくまばかりに話をさせるわけにもいかない。そもそも、この結婚は、ほぼ決定事項であり、自分のことも知らせなければならない。
 茉莉花まりかが言葉に詰まっていると、礼諒なりあき拓真たくまのほうを見て、にわかに口を開いた。
「あの、上月こうづき様、わたしから、お嬢様の学校でのご様子について、少しお話しさせていただいてもよろしいですか?」
「え? えっと、笹原ささはらくんが?」
 拓真たくまは驚いたように、目を見開いて、礼諒なりあきを見る。
「はい。わたしは15歳、つまり高1から、お嬢様にお仕えしているのですが、高校3年間、ずっとお嬢様と同じクラスでございます。執事見習いとして、いつもお嬢様のご様子に、目をお配り申し上げているのです。」
「そういうことなんですね。ではよろしくお願いします、笹原ささはらくん。」
 拓真たくまはすぐに、穏やかな笑顔になり、礼諒なりあきに話をうながした。
「ありがとうございます、上月こうづき様……。ではまず、お嬢様は、とても努力家で、成績も優秀でいらっしゃいます。試験では、必ず3位以内を取られるのです。また、外国語の授業で、当てられて音読をする、というのがありますが、発音が美しく、先生や級友にも、ほめられるほどです。」
 茉莉花まりか礼諒なりあきのほうを向き、話をする様子をじっと見ていた。先ほどまでとは別の種類の緊張感が、茉莉花まりかの体の中に、じわりと広がっていく。
「それから、いつも一緒に行動されている、級友の方々がいらっしゃいます。休み時間などに会話を楽しまれていらっしゃいますし、よき友人関係を築かれているようです。級友みんなからの信頼も厚く、特に勉強面では、ときどき教えたりなどなさっています。級友の方々は、お嬢様のことを、とても頼りにしているのです。」
 茉莉花まりかについて、さらに続ける礼諒なりあきの言葉に、茉莉花まりかの顔は、いつしか赤くなっていた。
「な、礼諒なりあきさん……。」
 茉莉花まりかが思わずつぶやく。茉莉花まりかの顔を見て、礼諒なりあきははっと我に返ったようになり、
「あ、あの、上月こうづき様、簡単ですが、わたしから拝見した、お嬢様のご様子についてお話しさせていただきました。執事見習いの身で、出しゃばってしまい、申し訳ありません。」
と言い、話を終わらせた。拓真たくまはにこやかに、
「いえ、笹原ささはらくんのおかげで、茉莉花まりかさんのよさが、とても伝わってきましたよ。」
と答えた。そして、うらやましそうに、
茉莉花まりかさんと、笹原ささはらくんは、仲がいいみたいですね。笹原ささはらくんは、茉莉花まりかさんのことを、本当によく見ているんですね。」
と口にした。なんの意図もない、ただ見たままの感想であったが、茉莉花まりか礼諒なりあきは、「仲がいい」という言葉に慌てたようだった。
「いえそんな、上月こうづき様、仲がいい、だなんて……。あくまで、お嬢様は主人であり、わたしは執事見習いとして、お嬢様にお仕えしているだけなのです。『仲がいい』とい表現は、許されるものではございません。」
「そ、そうです、上月こうづきさん。礼諒なりあきさん……いえ、笹原ささはらは、お仕事として、誠実に、わたしに尽くしてくださっている、それだけなんです。」
 口々に、拓真たくまの言葉を否定する茉莉花まりか礼諒なりあきに、拓真たくまは少し、怪訝そうな顔をする。だがすぐに、申し訳なさそうな顔になり、頭を下げた。
茉莉花まりかさん、笹原ささはらくん、ごめんなさい。一宮いちのみや家の執事のことがよくわかっていないのに、勝手なことを言ったりして……。」
「そんな……。上月こうづきさん、気にしないでください。」
「でも、僕としては……。話を聞いたかぎりでは、一宮いちのみや家の家業を継ぐというのは、とても大変なことのようですし、笹原ささはらくんは、きっと茉莉花まりかさんにとって、心強い味方になっているのではないですか? 笹原ささはらくんの、さっきからの行動を見ていて、そう感じました。」
 拓真たくまはふたたびにこやかになると、礼諒なりあきのことをほめるような態度を示した。礼諒なりあきはうれしいような、「出しゃばって」しまって居心地が悪いような、なんとも言えない気持ちでいた。茉莉花まりかは、自分の胸が、少しずつ高鳴ってきているのを感じていた。
 その後も少しずつ、それぞれの好きなことや、最近読んだ本についてなど、まずは一人の人間として、お互いのことを知ることができるような内容で、会話が進んでいった。それぞれの両親や執事は、そろそろ本人たちにまかせるということで、ほとんど口を挟まず、飲食しながら見守ることにした。そうはいっても、茉莉花まりかにはまだ緊張の色が見えたため、はじめは礼諒なりあきがときどき会話に加わっていた。だがそのうち茉莉花まりかの緊張も、少しずつほどけていったのか、しだいに礼諒なりあきが話す機会は減っていった。話が進むにつれて、茉莉花まりかはほのかな笑みを見せるようになった。傍目には、会話もいつしか、弾んできているように感じられた。
 礼諒なりあき茉莉花まりかの隣で、様子を見守っていた。礼諒なりあきから見て、作っているものなのか、本心からのものなのか、すぐにわかるようになってきた、茉莉花まりかの笑顔。当初の笑顔はあきらかに、作り笑顔であるとわかるものだったが、だんだんと、本心からの笑顔も混じってきたように思われた。拓真たくまからは、相手を思いやる姿勢が読み取れる。茉莉花まりかも、拓真たくまの態度に、一人の人間同士としては、どこか安心感を覚えたのか、表面上だけではなく、心から、会話を楽しんでいる面もありそうだった。いつしか、茉莉花まりかの食事をする速さも、ふだんに近くなったように感じられた。
 そうなってくると、一宮いちのみや家のしきたりに沿って見合いに同席しているとはいえ、礼諒なりあきは、自分の存在理由を、一人でひっそりと、自問自答していた。今は、茉莉花まりか拓真たくまの会話が、一対一で成立している。誠心誠意、お尽くしします――そう言ったのに、自分は役に立っていないのではないだろうか? 少しの焦りを感じつつ、顔に出さないように、平然とした態度を装い、茉莉花まりかの様子をうかがったり、飲食したりしていた。
 思ったよりも会話は弾み、気づけば、1時間半ほどが経っていた。今日のところは、お開きとなった。最後に、今後の予定を確認する。二人はまだ学生であるため、見合いといっても、その後すぐに結婚するわけではなく、茉莉花まりかの大学卒業後に正式に婚約、拓真たくま一宮いちのみや家の当主の夫としての勉強などもおこないつつ、適切な時期に結婚、ということになっている。今後、婚約するまでのあいだに、茉莉花まりか拓真たくまはときどき会い、夫婦となるための、信頼関係を築くことになっていた。
 全員が席を立ち、次に会うまでの、別れのあいさつをする。茉莉花まりか拓真たくまに、深々と頭を下げた後、精いっぱいの笑顔を見せた。
上月こうづきさん、今日はありがとうございました。」
「いえ、茉莉花まりかさん、こちらこそありがとうございました。長く一緒にいることになるということで、今後とも、よろしくお願いします。」
 拓真たくまはそう言うと、自分の親のいるほうを向いた。その瞬間、茉莉花まりかは下を向くと、静かに、深いため息をついた。礼諒なりあきはそれを見逃さなかった。
 一宮いちのみや家と上月こうづき家、それぞれの者たちは、店をあとにした。吉川よしかわと、上月こうづき家の執事が、車をめてあるところへと向かい、ほかの者たちは、ホテルの入り口あたりの、車の乗り場所で、ホテルの係員の付き添いで、車を待っていた。
 やがて車が来ると、互いにあいさつをしながら車に乗り込み、それぞれの家へと帰っていった。