一生、お仕えします その15

第15話 告白

 拓真たくまとの外出が終わり、茉莉花まりかたちは一宮いちのみや家の屋敷へと帰った。上月こうづき家の車で、屋敷まで送ってもらう。まだ日が暮れる前の、明るい時間帯。少しだけ空に、橙色が混じっている気がする。
 門の前まで来ると、拓真たくまもいったん車を降り、茉莉花まりかに別れのあいさつをした。
「では茉莉花まりかさん、また今度。さっきの話、よろしく頼むよ。」
 茉莉花まりかは、
「ええ。」
とだけ答えると、拓真たくまに頭を下げ、口を結んだ。
 礼諒なりあき志歩しほと一緒に、門を入って庭を通り、建物の玄関へと向かう。歩いてくる茉莉花まりかに向かって、庭師や家事人かじにんたちが、口々に、
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
と声をかけるが、茉莉花まりかは口を開くことはなく、会釈だけをしながら、進んでいった。いつもなら必ずあいさつを返す茉莉花まりかの、今日のあまりの沈みように、礼諒なりあきはかける言葉も見つからず、ただ茉莉花まりかの少し後ろで、そっと見守るしかなかった。
 部屋に入ってひと息ついた後、茉莉花まりか志歩しほとともに部屋着に着替える。その後は大学の図書館で借りた本を読み、やがて夕食の時間だと、志歩しほ茉莉花まりかを呼びに来た。ちょうど本を読むのが一段落したと、茉莉花まりか志歩しほと一緒に、ダイニングへ向かった。
 席につくと、「いただきます」と小さな声で言い、静かに食べ始める。今日は、茉莉花まりかもだが、重元しげもと桜子さくらこも外食したということで、バランスをとるため、夕食はあっさりめの味つけで、やや少なめの分量だった。それでも茉莉花まりかは、食べにくそうにしている。口に入れてから飲み込むまで、時間がかかっているようだった。礼諒なりあきはいつものように、茉莉花まりかをそっと見守っている。
 ときどき、重元しげもとたちが、茉莉花まりかに、今日の拓真たくまとの外出について尋ねる。
茉莉花まりか、今日は拓真たくまくんとはどうだったか?」
「別に、いつも通りよ。」
 茉莉花まりかは素っ気なく答える。
「どこに行ったの? お昼はおいしかった?」
「単に、商店街をぶらぶらしただけよ。お昼は、上月こうづきさんがよく行くというお店だけあって、おいしかったわ。」
 茉莉花まりかはただ事務的に、重元しげもと桜子さくらこの質問に回答していた。茉莉花まりかの様子に、重元しげもとたちも考えるところがあったのか、その後は外出に関して尋ねることはなかった。
 いつになく、重苦しい雰囲気に、後ろで控えている礼諒なりあきの体もこわばる。しばらくして、時間の都合上、給仕を交代することになり、礼諒なりあきはダイニングを出、夕食をとりに向かった。あの場を抜け出せた、という安堵感と、茉莉花まりかのことを何よりも心配し、せめて後ろで見守りたいという思いが交錯し、少し食事に時間がかかってしまった。まだ見習いとはいえ、自分の気持ちに左右されてしまう事実に、不甲斐なさを覚えた。
 食事が終わると、茉莉花まりかは部屋に戻り、大学の語学の講義の予習を始めた。たまに辞書を引きながら、長文を訳していると、部屋のドアを軽くたたく音がした。
「お嬢様、志歩しほでございます。今、よろしいでしょうか。」
「なんですか? 入ってください。」
 茉莉花まりかは机のいすに座ったまま、志歩しほに返事をした。志歩しほが静かに部屋に入ってくる。茉莉花まりかはいったん予習の手を止め、志歩しほのほうへと振り向いた。
「お嬢様、旦那様と奥様が、ご用事があるとのことで、お嬢様をお呼びなのですが、今お時間をお取りになれますか? 5分もあれば終わるそうなのですが。」
 志歩しほが少し、不安そうに尋ねる。
「ええ、行きます。」
 茉莉花まりかは一瞬、ふと考えたような間の後に、無表情で答えると、さっと立ち上がり、重元しげもとたちが今いるという、執務室へ向かった。
 執務室に入ると、重元しげもと桜子さくらこが、机の前に座って、茉莉花まりかの到着を待っていた。二人の顔には、不安と焦燥が見え隠れする。
「ああ、茉莉花まりか、来たか。」
 重元しげもとが、待ってましたとばかりに口を開く。
「お父様、なんのご用なの?」
 茉莉花まりかも思わず、疑問が口からこぼれる。重元しげもとの顔をじっと見つめる目つきに、重元しげもとはさっそく話を切り出した。
「単刀直入に聞くが……拓真たくまくんとのことだ。」
 拓真たくまの名前が出、茉莉花まりかは身構えた。
茉莉花まりか拓真たくまくんとの結婚話は……進めていいのだよな?」
 思った通りの、重元しげもとの言葉。だが、予想はしていたものの、答えには窮してしまう。
「それは……その……なんというか……。」
 言葉を濁す茉莉花まりか重元しげもとがさらにたたみかける。
茉莉花まりか、わたしたちも、親同士が決めた結婚だが、今はいい夫婦関係を築けている。だから、その点は心配することはない。」
 茉莉花まりかは無言で話を聞いていた。
「それとも、拓真たくまくんのことが嫌いか? もしどうしても、拓真たくまくんが受け入れられないというのなら、わたしたちも考え直……。」
「いえ、上月こうづきさんのことは嫌いではないわ。」
 重元しげもとが言い終わらないうちに、茉莉花まりかは反射的に答えた。それは取り繕うわけではなく、少なくとも拓真たくまが嫌いではない、というのは本心だった。
上月こうづきさんは、とてもいい人よ。夫としても、申し分ないと思うわ。でも、お父様……。結婚については……もうしばらく、考える時間をいただけないかしら。」
「だが、茉莉花まりか、いったん、上月こうづき家のご当主にお返事を……。」
「申し訳ないけれど、今すぐには決められないわ。」
茉莉花まりか! 待ちなさい!」
 きっぱりと言い切った茉莉花まりかは、重元しげもとの言葉を無視し、執務室を急いで出ていった。
「はあ……。困ったわね。」
 桜子さくらこが大きなため息をつく。茉莉花まりかの意図の見えなさに、困惑を隠せない。
茉莉花まりかは、なぜ拓真たくまくんとの結婚をためらっているのだろう? やはりまだ18歳であるし、結婚そのものが考えられないのもあるのだろうか。」
「どうなんでしょう? 好きな人でもいるのかしら……。」
 ふと、桜子さくらこが口にした言葉に、重元しげもとが鋭く反応する。
「好きな人、か。その可能性を考えていなかったな。」
 重元しげもとがうーん、と、首をひねりながら、机を見つめている。そのまま二人は口を閉ざしたかと思うと、1分足らずの沈黙を、桜子さくらこがそっと破った。
「ねえ、重元しげもとさん。茉莉花まりかに好きな人がいるとしたら、もしかして礼諒なりあきではないのかと思うのだけれど、どうかしら?」
礼諒なりあき? やはり、桜子さくらこさんもそう思うか?」
「あら、重元しげもとさんもそう思っていたのね。」
「まあ、確証はないが。なんとなく、そのような気がしてな。」
 二人は、うすうす思っていたものの言わなかったことを、初めて口にする。主人と使用人との恋は許されない。だが、一宮いちのみや家の当主としての立場があっても、親心は捨てきれない。重元しげもとは困りつつも、優しい顔つきで、自分の考えを述べた。
「とはいえ、茉莉花まりか礼諒なりあきが交際している様子もないし、思春期、青年期の淡い片思いだろう。このまま様子を見よう。」
「そうね。それがいいわね。」
 重元しげもとの提案に、桜子さくらこも納得し、深くうなずく。
「だが……。」
 急に声色を変えた重元しげもとに、桜子さくらこの体に一瞬、緊張が走る。
「もし、一線を越えるようなことがあったりしたら……。そのときには、礼諒なりあきをどうするか、考えなければならないな。」
 含みのある言葉には、先ほどとは変わって、一宮いちのみや家の当主としての立場が表れていた。重元しげもとの態度を受けて、桜子さくらこも、顔をしかめると、
「そうすることになるわね……。」
 低めの声で、重元しげもとに返した。

 部屋に戻った茉莉花まりかは、ベッドに敷かれている掛け布団の上に、横倒れになった。志歩しほが丁寧に敷いた掛け布団が乱れてしまうことを、気にする余裕もない。先ほどの語学の予習の、教科書やノート、辞書は、机の上にそのままの状態で置かれ、茉莉花まりかが再開するのを待っているかのようだった。だが机に向かう気力も起こらない。
 茉莉花まりかはじっと、ベッドの頭を見つめながら、今しがたの重元しげもととの会話を、何度も頭の中で繰り返していた。重元しげもとは、茉莉花まりか拓真たくまと結婚することを、当然として話を進めている。だがそれは、わかりきっていることだった。親が決めた相手と結婚することは、子どもの頃からずっと言われてきた。上月こうづき家と、事業の話がまとまり、拓真たくま自身も茉莉花まりかの夫にふさわしい、として、茉莉花まりかとの結婚をする方向が決まったのだろう。
(わかっている、わかっているわ。でもやっぱり、好きな人との結婚というものを、してみたかったものだわ……。)
 茉莉花まりかはゆっくりと起き上がると、そのままベッドの上に座った。足を床につけ、手はだらんとひざの上に置き、背中を丸めて下を向いている。予習の続きをしようかとも考えたが、ぼんやりとした頭では、体を動かす意欲さえ湧かなかった。
 ぐるぐると、脈絡もなく思考が回り、飛び交う。拓真たくまのことが、二択で好きか嫌いかと問われれば、好きということになるのだろう。実際、拓真たくまに好感を抱いているのは間違いなかった。それは何度も拓真たくまと会う中で、拓真たくまの態度や言動に、特に嫌な思いをすることもなく、それこそ、仕事のパートナーとしてなら、とても頼もしいという印象も抱いていた。
 だが結婚となると、話は別になる。どんなに条件がよかったとしても、この相手のために、尽くすことができるか? 相手とともに、乗り越えることができるか? 拓真たくまに感じているような、「人としての好意」以上のものが必要なのではないか? 大切なものを持たずにする結婚は、果たしてうまくいくのだろうか? 18歳の若さでは、不安を抑えることはできなかった。
 そして、大切な何かがある人との結婚、と考えたとき、思い浮かぶのは――礼諒なりあきよりほかにいなかった。
(考えたって、仕方がないけれど……。)
 茉莉花まりかはそのうち、胸の辺りがつまるような感じがしてきた。思わず、手を胸の辺りに持っていき、服の布地をつかんだ。
 ふと、目から頬を伝って、一粒の涙がこぼれた。と思うと、涙が次の涙を呼ぶように、とめどなく流れてくる。
 あふれる辛味からみは、いつしか茉莉花まりかの顔に痛みを生じさせ、茉莉花まりかは自分の顔が、どうなっているのか、鏡を見たくない気持ちになっていた。ときどき手で涙をぬぐっては、また出てくる水の粒を、止められずにいた。

 そのころ礼諒なりあきは、台所で一人、茉莉花まりかに出すお茶の準備をしていた。
 先ほどまでは家事人かじにんたちが、夕食の食器の片づけをしていたが、皆、終わるとさっと自分の部屋へと戻っていく。一宮いちのみや家に雇われている家事人は、それなりに入れ替わりはあるものの、どの者も家事が得意だったり好きだったりするようで、手際がいい者ばかりだった。
 人がいなくなった台所は、しんとした空気が寂しさを思わせると同時に、落ち着きも味わわせてくれる。他者に気を使わずに仕事ができるため、礼諒なりあきは一人の空間は好きだった。
 お湯を沸かしながら、今日はどのお茶にしようか、いくつかある茶筒を見ながら考える。茉莉花まりかの好みの柄の和紙が貼られている、茉莉花まりか専用の茶筒は、柄によってどの茶葉が入っているか区別する役割も果たしている。部屋でお茶を淹れる時に、さりげなく茶筒を茉莉花まりかに見えるように置き、柄を楽しんでもらう目的にも使える。初めはなかなか、茶筒と中身が覚えられなかったが、一宮いちのみや家に来てから3年以上が過ぎ、完璧に把握している。お茶について自分で本を読み、茉莉花まりかに新しい茶葉を提案することもあった。そんなことを思い出しながら、手はいつも通り、てきぱきと動かしていた。
 礼諒なりあきはふと、夕食時の茉莉花まりかの様子が浮かんだ。今日は拓真たくまとの「デート」だったからか、疲れが見えるようだった。拓真たくまと外出したときにはいつものことであったが、今日はことさらに、疲れているような、気分がとても沈んでいるような、ひどい落ち込みようだった。
 礼諒なりあきは茶筒を一つ、手に取った。桜色を基調に、金色もところどころに使われており、金箔も散りばめられている、華やかな花柄の和紙。茶筒の小ささが、高級感を控えめに表している。
(今日は、玉露をお淹れしようか……。最高級のお茶で、元気を出していただけないだろうか……。)
 礼諒なりあきは茶筒を眺めながら、ふと、ある考えが浮かんだ。
(でも、こういうときは、お茶よりハーブティーなんかのほうが、いいのかな……。)
 その考えとともに思い出したのは、この前読んだ本と、その後の志歩しほとの会話だった。茉莉花まりかのお茶の時間をよりよいものにしようと、お茶やコーヒー、ハーブティーなど、飲み物について書かれた本を読んでいた。ハーブティーの項を眺めていると、体や精神の気になる悩みについて、いい働きをしてくれるという主旨の文章が目に留まった。本の内容を受け、志歩しほにハーブティーについて尋ねたところ、茉莉花まりかに出すことを検討する価値があるのではないか、と言われた。
 ただ、茉莉花まりかは今まで特に、ハーブティーを好んで飲んでいる様子はないようだった。茉莉花まりか用の茶葉も、緑茶の類しかなかった。礼諒なりあきもほとんど知らないため、まずは自分で茶葉を買って試し、よさそうであれば、そのまま茉莉花まりかにすすめることを、頭の片隅で考えていた。自分の給料で茉莉花まりかのために――と湧いた考えに、ふと不安がよぎる。
(もし、僕の給料から自分で買ってお出ししたら、「個人的な贈り物」になってしまうのだろうか?)
 礼諒なりあきは、茉莉花まりかに贈った化粧品のことを思い出した。内密に贈ったつもりが、吉川よしかわには知られてしまった。情報が重元しげもとに届けば、一宮いちのみや家にいられるかどうかわからない――今のところ、重元しげもとからとがめられることはなく、執事見習いとしての仕事を続けることができている。吉川よしかわは、一度だけならと、見逃してくれているのかもしれない、と、不確定ながらも吉川よしかわに感謝するとともに、「個人的な贈り物」が二度目にならないよう、細心の注意を払うことを、肝に銘じた。
 ハーブティーのことも気になるものの、今日はひとまず、玉露を出すことにし、礼諒なりあきは台所を出て、茉莉花まりかの部屋へと向かった。
 部屋が近づくごとに、足取りが少しずつ重くなっていく。お茶の時間は、ただお茶を飲むだけでなく、茉莉花まりかの心をほぐす目的もある。なんの特徴もない、ただの青年である自分がその役割を果たせているのだろうか、特に今日のような日は――。考えながら歩き、いつしか礼諒なりあき茉莉花まりかの部屋のドアの前に立った。幾度か深呼吸をした後、いつものように、ドアをノックする。
「お嬢様、礼諒なりあきでございます。お茶をお持ちしました。」
 茉莉花まりかの返事を待つ礼諒なりあき。だが答えはない。礼諒なりあきは不思議に思ったものの、茉莉花まりかが気づいていないだけかもしれないと考え、もう一度ノックしてみる。やはり反応はない。少しだけ返事を待ってみたが、茉莉花まりかが部屋にいない可能性も考えつつ、礼諒なりあきはそっとドアノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開けた。
 ドアを開き切ったとき、礼諒なりあきの目に、ベッドに座る茉莉花まりかの姿が飛び込んできた。――うつむいて、……泣いている?
 礼諒なりあきは慌てて、お茶の道具を、いつも茉莉花まりかがお茶を飲むテーブルの上に置くと、さっと茉莉花まりかの元へ駆け寄り、ひざまずいて茉莉花まりかを見上げた。
「お嬢様、どうなさったのですか?」
礼諒なりあきさん……。わたし……。」
 手で涙をぬぐいながら、何かを言おうとする茉莉花まりか礼諒なりあきは立ち上がり、テーブルへと向かおうとする。
「すぐにお茶をお淹れしますので、少々お待ちを……。」
「今はお茶なんか、飲む気になれないわ。」
 礼諒なりあきの動きをさえぎるように、茉莉花まりかが言った。礼諒なりあきはまた茉莉花まりかの前へと戻り、床にしゃがみ込んだ。泣いている茉莉花まりかを落ち着かせようと、抑えぎみの声で、茉莉花まりかに話しかける。
「お嬢様、やはりその、上月こうづき様のことで……お悩みですか?」
「え? なぜそう思うの……?」
 下を向いていた茉莉花まりかは少し顔を上げると、礼諒なりあきの顔を見た。驚いたのか、涙が止まっているように見える。
「いえその、今日はいつにも増して、落ち込まれているように見えるので……。」
 礼諒なりあきは真面目な表情を崩さずに答えた。視線はまっすぐに、茉莉花まりかのほうへと向けている。茉莉花まりかはまた下を向いた。
「ええ、礼諒なりあきさんの言うとおりよ。上月こうづきさんのことで、悩んでいるわ。結婚話がどんどん進んでいくのが、とても不安なの。」
 茉莉花まりかの声は震えていた。
「ですがお嬢様、上月こうづき様は本当にいい方だと感じますし、おつらいことは、わたしがお支えしますので……。」
「いい人だからこそ、かえってよくないのよ。だって、断れないわよね。断る理由がないわ。だからと言って、上月こうづきさんとは結婚したくない……。」
「お嬢様……。」
「とはいえ、断ったところで、結局、親が決めた相手との結婚になるもの。好きな人との結婚なんて、できるわけがないのよ。」
 礼諒なりあきは何も言えなくなり、静かに床にしゃがみ込んでいた。茉莉花まりかも無言になり、うつむいたまま、ときどき手を顔のほうへと持っていっていた。重苦しい空気が、二人のまわりに漂う。
 どれくらい経ったのか、下を向いたまま、茉莉花まりかがそっと口を開いた。
「あの、礼諒なりあきさん、わたし……。」
 茉莉花まりかの言葉に反応し、礼諒なりあき茉莉花まりかを見上げた。
「わたし、叶うのなら、礼諒なりあきさんと結婚したいわ。」
「えっ!?」
 礼諒なりあきは慌てふためいて、大きな声を出す。立ち上がり、手を体の前で組んだ。
「お嬢様、そのようなことをおっしゃってはなりません! わたしはお嬢様の執事なのです。お嬢様との交際や結婚など、許されるものではございません。」
 できるだけ感情を込めない声で、礼諒なりあき茉莉花まりかに告げる。
 「執事なのです」という言葉が、胸に突き刺さる。茉莉花まりかは下を向いたまま、思わず口から想いをあふれさせた。
「わかっているわ、そんなこと。でも、気持ちは止められないの。わたし、礼諒なりあきさんのことが、好きなの……!」
「あ、あの、お嬢様……。」
 礼諒なりあきが驚いたように言う。
 茉莉花まりかがはっと顔を上げ、礼諒なりあきを見た。礼諒なりあきは微動だにせず立ち、顔は赤みを帯びているように見える。
「あ、ごめんなさい! 礼諒なりあきさんにも、選ぶ権利はあるわよね。今言ったことは忘れて……。」
「いえ、お嬢様。」
 礼諒なりあき茉莉花まりかの言葉をさえぎった。ひさまずいて茉莉花まりかを見上げ、目はまっすぐに、茉莉花まりかを見つめている。
「先ほどはあのように申し上げましたが、本当は、わたしも……お嬢様と同じ気持ちでございます。もし許されるのなら、わたしもお嬢様と結婚したいです。お慕いしております、お嬢様……。」
「え……?」
 茉莉花まりかはただひたすら、目を丸くしていた。礼諒なりあきから視線を外したいのに、まるで見えない力でとらえられているように、なぜか顔を動かすことができない。
「う、うそ……? 本当に……? あの、気を使わなくてもいいのよ。わたしは……。」
 次の言葉を言おうとする前に、ほんの一瞬、茉莉花まりかの口に、礼諒なりあきの唇が重なる。固まったようになり、何も言えずに、礼諒なりあきを見つめる茉莉花まりか
 礼諒なりあきはもう一度ひざまずくと、茉莉花まりかの顔をじっと見て、揺るぎない目で、はっきりと口にした。
「気など使っておりません。わたしはこのようなことで、お嬢様に対して、気を使って、本心とは違う言葉を申し上げるようなことはいたしません。どうか、わたしの気持ちを信じてください。」
礼諒なりあきさ……ん……。」
 気がつくと、茉莉花まりか礼諒なりあきに、片腕で肩を抱かれ、口づけられていた。礼諒なりあきはもう片方の腕をベッドの布団の上につけ、やや厳しい体勢で、礼諒なりあき自身の体も支えている。そのことに気づいた茉莉花まりかは、無意識に、礼諒なりあきの口づけに応えていた。礼諒なりあきに合わせ、自分からも動くことで、受け入れる気持ちを態度で示す。胸の高鳴りを意識してわき起こる、自分がどうにかなってしまいそうになる不安。それでも思う、もし、今のこの時がずっと続くのなら、と。味わったことのない幸福感に、身をゆだねていた――。
 ふたたび気づいたその瞬間、礼諒なりあきがさっと、茉莉花まりかから顔を離した。顔は真っ赤になっている。
「あっ、あの! 申し訳ありません!」
 テーブルへと向かって小走りになる礼諒なりあきの姿を、茉莉花まりかは遅れがちに捉える。
「申し訳ありません、お嬢様、このようなことを……。」
 礼諒なりあきはやや遠くから、茉莉花まりかによく聞こえるような大きさの声で、謝罪の言葉を述べている。
「いえ、別に、その……。」
「ではお嬢様、今日はお茶をお飲みにならないということで、よろしいですね。」
 礼諒なりあき茉莉花まりかの言葉を受け止める余裕もなさそうなくらい、うわの空で、ぎこちなく速い手つきになり、お茶の道具を片づけた。
「今日はこれにて失礼いたします。どうぞごゆっくりお休み下さいませ。」
 礼諒なりあき茉莉花まりかのほうを見ることなく、ばたばたと慌ただしく、部屋を出ていった。
 一人残された茉莉花まりかは、しばらく動けずにいた。
 やがて、手を唇に触れ、先ほどの余韻を、壊さぬようにそっと、封じ込めようとしていた。


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