一生、お仕えします その18

第18話 決断

 目の前に立っている、見ず知らずの青年。だが、礼諒なりあきがいつもそうしているように、茉莉花まりかが寝起きに飲む水を持ってきている。
 混乱している様子の茉莉花まりかを見て、青年はやや緊張ぎみに、口を開く。
「ごあいさつを申し上げる前に、お世話をさせていただくことになりまして、大変申し訳ございません。本日から、お嬢様にお仕えさせていただく執事見習いとなりました、島村しまむら賢聖けんせいと申します。今は25歳で、お嬢様の7つ上になると、お伺いしました。」
 言い終わると、青年――島村しまむらは、丁重に頭を下げた。茉莉花まりかは怪訝な顔で、島村しまむらに尋ねる。
島村しまむら、さん。なぜあなたが今、お水を持ってきたのですか?」
「え? えっとそれは、吉川よしかわ様のご指示で、お嬢様にお水を持っていくようにと、申しつけられたのですが……。」
 島村しまむらの、二枚目ともいえる顔立ちからは、不安の色がにじみ出ている。茉莉花まりかは口をへの字・・・に曲げ、一瞬、島村しまむらをにらんだ。
島村しまむらさん。今日は、お水はいりません。」
「え? ですが、お嬢様は毎朝必ず、寝起きにお水をお飲みになると……。」
「毎朝、わたしが飲む水を持ってくるのは、休暇の日を除いて、礼諒なりあきさんのはずなのよ。それなのに、いきなり、見ず知らずの人が、今日から執事見習いだなんて、理解できません。どうなっているのですか?」
「あの、申し訳ございません、お嬢様。わたしはただ、前の方は、急におやめになったとお聞きしただけで……。」
 島村しまむらは困った顔をし、茉莉花まりかの言葉に、おろおろとした声を出している。茉莉花まりか島村しまむらの言葉に、信じられないという驚きを見せた。
「やめた、ですって? あいさつもなしに突然やめるだなんて、そんなのありえないわ! 礼諒なりあきさんは、そういう礼儀はきちんとしている人だもの。きっと、やめさせられたのよ!」
 ほとんどひとりごとのように、茉莉花まりかは声を荒らげる。手を強くにぎって力を込め、歯を食いしばっている。島村しまむら茉莉花まりかの行動に、なすすべもなく、見ていることしかできなかった。
「とにかく島村しまむらさん、今日は、お水はいりません。今すぐ、部屋を出て行ってください。」
 茉莉花まりかは、下半身は布団の中に入ったまま、上半身を島村しまむらのほうに向け、強い口調で責め立てるように言った。
「ですが、お嬢様がお水を飲まれませんと、吉川よしかわ様が……。」
吉川よしかわさんには、わたしから説明します。だから、今はもうこの部屋からは出てください。」
 茉莉花まりかの気迫に押され、島村しまむらは慌てて、部屋のドアへと向かう。そのまま、いったん茉莉花まりかのほうを向き、
「失礼いたします。」
と頭を軽く下げると、静かにドアを開閉し、茉莉花まりかの部屋を出た。茉莉花まりかの耳には、走っているような足音が入ってきた気がした。その足音に混じって、ばたばたと、やや大きな足音が、茉莉花まりかの部屋へと向かってくる。
「お嬢様!」
 島村しまむらと入れ替わるように入ってきたのは、志歩しほだった。息を切らし、困惑した表情で、茉莉花まりかもとへと駆け寄る。
「お嬢様、申し訳ございません。わたしも先ほど初めて知らされまして……。」
志歩しほさん、いったい何があったのですか?」
 志歩しほの顔を見て、落ち着きを取り戻しつつも、状況をつかめないことに、茉莉花まりかの頭の中は、まだ糸がこんがらがっている。志歩しほは申し訳なさそうな目で、茉莉花まりかを見つめると、おそるおそる、口を開いた。
「お嬢様……。礼諒なりあきさんは、おやめになったのだそうです。いえ、正確には……解雇された、と……。」
 茉莉花まりかの顔に、驚きの色と、やはりといった、納得してしまうような雰囲気とが、同居した。ふと気づくと、目には涙がにじんできていた。
 しばらく、二人はだまっていたが、やがて志歩しほが、そっと茉莉花まりかに言った。
「お嬢様、ひとまず、身支度をいたしましょうか。」
 それからまた二人は、必要最低限の用件だけの言葉を交わしながら、着替えや髪の手入れを始めた。
 着替えを手伝ってもらいながら、髪をとかされながら、茉莉花まりかはひたすら、礼諒なりあきのことだけを考えていた。礼諒なりあきが解雇された。まだ信じられずにいるが、島村しまむら茉莉花まりかを起こしに、そして水を持ってきたことや、志歩しほの深刻そうな態度から、本当だと認めざるを得ない。昨日感じた不安の正体は、これだったのだろう。そしてまた、浮かんでくる疑問。なぜ急に? 自分の知らないあいだに? 誰が決めたのか? 解雇するにしても、あいさつする機会すら、与えられなかった理由は? 考えても、答えなど出るはずがないが、それでもどうしても、頭の中で繰り返さずにはいられなかった。
 髪にくし・・の感触を覚えながら、ふいに、後ろから声がかかる。
「お嬢様、どうかもう少し、お体のお力を、お抜きになってくださいませ。今は、難しくていらっしゃるでしょうが……。」
 無意識に、体がこわばっていたようだった。茉莉花まりかは力を抜こうとするが、かえってよけいに固まってしまう。志歩しほはそれを感じ取ったのか、髪をとかす手を止めると、
「無理なことを申し上げまして、大変申し訳ございません、お嬢様。」
と言い、ふたたびゆっくりと、くしを動かし始めた。
 身支度が終わり、茉莉花まりかは朝食をとるため、志歩しほとダイニングへと向かう。気丈さを装いながら、いつもと変わらぬ足取りで進んでいこうとする茉莉花まりか
 向こうから、吉川よしかわがやってくる。茉莉花まりか吉川よしかわを見ると、立ち止まり、吉川よしかわが近くまで来るのを待った。
吉川よしかわさん。」
 茉莉花まりかはにらむような顔で、全身に力を込め、吉川よしかわの目をまっすぐに見た。
「おはようございます、お嬢様。ご朝食は、すでに準備が整っております。」
 吉川よしかわは、茉莉花まりかの態度に気づいたのか気づいていないのか、ふだん通りの用件を淡々と告げた。
「お話があります、吉川よしかわさん。」
 茉莉花まりかは、吉川よしかわの朝食の話を無視し、聞きたいことをぶつけようとする。
「なんでございましょう。」
礼諒なりあきさんのことです。」
 礼諒なりあきの名前を出したとたん、吉川よしかわの肩が、わずかに震えたように見えた。厳しさのある顔はいっそう厳しくなり、茉莉花まりかをにらみ返しているかのようだった。
 茉莉花まりか吉川よしかわに、一瞬ひるみそうになったが、目をそらさずに、言いたいことを続ける。
礼諒なりあきさんは、解雇されたと聞きました。吉川よしかわさんは、礼諒なりあきさんの上司なのだから、知っているでしょう? 礼諒なりあきさんは、今はどこにいるのですか? なぜ急に、あいさつの機会もなしに、どうして……。」
 言葉にしているうちに、感情が滝のようにあふれ出し、うまく言葉にならなくなる茉莉花まりか。思わず歯を食いしばる。どうしても、この悔しさを、今抱いている悲しみを伝えたい。せめて、礼諒なりあきが解雇された経緯だけでも、詳しく知りたい――。
 だが吉川よしかわは、あくまで事務的に、冷たく、容赦なく言い放った。
「お嬢様、申し訳ありませんが、それは、わたしにはお答えする権限はございません。」
「え? どういう……。」
礼諒なりあきの解雇については、すべて旦那様がお決めになったことです。わたしからは、何もお話しできかねます。」
 とりつく島もない吉川よしかわの態度に、茉莉花まりかは絶望的になりそうになる。とはいえ、ここで食い下がらなければ、何も知ることはできない。茉莉花まりかが、どのように問うべきか、必死で考えを巡らせていると、先に吉川よしかわが答えた。
「お嬢様、胸にお手をお当てになって、お考え下さいませ。」
「どういう、ことですか……?」
「なぜ礼諒なりあきが解雇されたか、お心当たりがおありでしょう。よろしいですか、お嬢様。礼諒なりあきは執事見習い、つまり単なる使用人です。お嬢様の恋愛ごっこのお相手ではございません。」
 そこまで言うと、吉川よしかわは、茉莉花まりかの横をすっと通り過ぎていった。
 茉莉花まりかは言葉も出せず、動くこともできない。じんわりと、目が熱くなったかと思うと、ひとすじのしずくがこぼれ落ちた。礼諒なりあきがやめさせられたことも、あいさつすらさせてくれなかったことも、自分にそれを止めるだけの力がないことも、今まさに、現実が迫ってくる。そして何より、礼諒なりあきへの真剣な思いを、「恋愛ごっこ」と言われたことは、茉莉花まりかにとっていちばんこたえた。
 やりきれなさと戦っていると、後ろから、そっと声をかけられる。
「お嬢様、ひとまず、お食事をいたしませんか。」
 志歩しほの柔らかい物言いは、茉莉花まりかの中に、粉砂糖のように溶けていく。
「そうですね。」
 茉莉花まりかは振り向くと、ぽつりとつぶやいた。
 朝食の給仕は、家事人かじにんの女性がおこなった。おそらく、本来なら島村しまむらがするはずだったのだろう、と茉莉花まりかは考えた。だが、先ほどのやり取りから時間が経っていないことから、島村しまむらに給仕をまかせるのは良くない、と判断されたと思われる。
 朝食を済ませ、茉莉花まりかは出かける支度をし、一宮いちのみや家の運転手の運転する車で、大学へと向かった。大学の講義は、いつもと変わらずおこなわれている。茉莉花まりかにとってはそれが、わずかな救いと気分転換になった。講義に集中することで、礼諒なりあきのことを考えないようにしていた。

 屋敷に帰り、あっという間に夜になった。
 本を読んでいた茉莉花まりかが、ひと息ついて時計を見ると、そろそろお茶の時間、というところだった。
 基本的に、茉莉花まりかがあらかじめ断らない限り、使用人の誰かが、必ずお茶を持ってくる。茉莉花まりかは身構えた。今日は断りを入れていない。誰がお茶を持ってくるのだろうか――。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました。」
 ノックの音のすぐ後に聞こえてきたのは、当然のように、島村しまむらの声だった。茉莉花まりかはつい、戸惑ってしまい、返事をするのが遅れた。
 島村しまむらはそのまま、ドアを開けて部屋へ入ってくると、テーブルの前まで歩いた。
「お嬢様、お茶のご準備をいたします。」
 島村しまむらはそう言って、お茶の道具をテーブルに置くと、茶筒を手に取ろうとした。
「いりません。」
 茉莉花まりかは机に座ったまま、島村しまむらのほうを向き、思わず、拒絶の意思を示していた。島村しまむらは茶筒を持ったまま、動きを止め、困ったような表情になった。
「え? ですが、お嬢様はいつもこの時間に、お茶をお召し上がりになると……。」
「いらないと言ったら、いらないんです。そもそも、島村しまむらさん、ノックした後、すぐに入らないでください。入っていいか、わたしが返事をしてからにしてください。」
「あ、まことに申し訳ございません。今後は気をつけます。」
 茉莉花まりかの怒りの雰囲気に、島村しまむらはどう対応すべきか見えず、ただ頭を下げるしかなかった。 島村しまむらの不慣れな態度に、茉莉花まりかは容赦せず、冷たく言い放った。
「あなたが淹れたお茶なんか、飲みたくないわ。だから、今は部屋を出てください。」
「は、はい、かしこまりました。それでは、別の方にお願いしますので、少々お待ちください。」
 島村しまむらは、茉莉花まりかの言葉と態度に、委縮するような雰囲気を見せた。テーブルの上に置いたお茶の道具を、震える手でそっと持つと、一礼し、後ずさりしながらドアへと向かう。茉莉花まりか島村しまむらが部屋を出るまで、その行動をずっと見ていた。
 島村しまむらがいなくなってすぐに、茉莉花まりかは大きな後悔の念に襲われた。茉莉花まりかを恐れているような島村しまむらのしぐさを、つい礼諒なりあきと重ねていた。
 礼諒なりあきが屋敷にきてしばらくは、冷たく当たってしまった。今でこそ、お茶を持ってくれば喜んで迎えるが、最初は怒っているととらえられても仕方がないような態度を示していた。礼諒なりあきの、震える手つきと、こわごわとした声が、脳裏によみがえる。不慣れであるというだけではない、明らかに、茉莉花まりかに対して、恐怖を抱いているような様子だった。両親を亡くし、その後数年間、施設暮らしだった礼諒なりあき。それだけでも、茉莉花まりかにはつらい状況だと感じられる。そこからまた、礼諒なりあき自身が承諾したとはいえ、たった一人で、この一宮いちのみや家の屋敷に来たのだ。どんなにか心細かっただろうか。それなのに、冷たく接したりしてしまって、後悔してもしきれなかった。しばらく後に謝罪したとはいえ、ひどく傷つけただろう。にもかかわらず、今までずっと尽くしてくれた礼諒なりあきには、どれほど助けられているのか、一生かかっても返しきれない恩を感じていた。
 執事見習いの者を受け入れたくないという、自分の身勝手さで、礼諒なりあきを傷つけてしまったからこそ、ほかの者を、同じように傷つけるのだけは、避けなくてはならない。島村しまむらにもそうだ。どのような事情で来たのかはわからないが、きちんと主人らしいふるまいをしなければ――。
 考えを巡らせていると、どうしても、涙が出てきてしまう。茉莉花まりかが机にあるティッシュを箱から取り出したとき、ドアを軽くたたく音が聞こえた。
「お嬢様、志歩しほでございます。お茶をお持ちいたしました。」
「どうぞ、入ってください。」
 志歩しほは部屋に入ると、今の状況の説明をする。
「お嬢様の……ご希望で、今夜はわたしがお茶を持ってまいりました。」
 志歩しほは深刻そうに言った。茉莉花まりかの胸に、ちくりと針のような痛みが刺さる。
 茉莉花まりかはティッシュをごみ箱に捨てると、何食わぬ顔を装って、いすから立ち、テーブルへと移動した。だが志歩しほはさすがというか、茉莉花まりかの変化にはすぐに気づくようだった。
「お嬢様、やはり、礼諒なりあきさんのことでお悩みですか? とてもおつらそうなお顔をなさっています……。」
 茉莉花まりかは、志歩しほに心配をかけてしまったという事実に、顔を曇らせた。何も言えない茉莉花まりかに、志歩しほは続ける。
「いきなり執事見習いが違う方に代わるなんて、お受け入れになるのは、難しくていらっしゃいますよね。お気持ち、お察しいたします。」
 志歩しほはそう言いながらお茶を淹れ、茉莉花まりかに差し出した。
 茉莉花まりかはゆっくりと、味わうように、お茶を飲み干した。飲み終わって、ふっとため息をついた茉莉花まりかに、志歩しほは静かにたずねる。
「お嬢様、お茶をお持ちするのは、しばらくはわたしのほうがよろしいですか?」
 はい、と答えようとして、先ほどの考えを思い出した。礼諒なりあきと同じように島村しまむらを傷つけるのはやめよう、と決意した。ならば、答えは一つしかない。
「いいえ、志歩しほさん、明日からは島村しまむらさんに持ってきてもらいたいんです。今朝のことやさっきのことを、謝らなければいけませんし……。ちゃんとお話してみよう、と思ったんです。」
「お嬢様……。かしこまりました。では明日からはそのようにいたします。ですが、おつらいときは、どうかご無理はなさらないでくださいね。」
「いいえ、無理しているわけではないので、大丈夫です。」
 茉莉花まりかはかすかに微笑んだ。志歩しほもつられて、自然に柔らかな笑顔になっていた。

 翌日、茉莉花まりかは休日だった。いつもなら、隔週で来てもらっている習い事の先生に、レッスンを受ける日だったが、疲れが出ているとのことで、休みにしてもらった。
 午前中はゆっくりと寝て、少し元気になったところで、午後は本を読んだり、絵を描いてみたり、音楽を聴いたり、大学の勉強も少ししてみたり、気ままに過ごした。
 とはいえ何をしていても、礼諒なりあきのことが頭から離れない。茉莉花まりかには、礼諒なりあきと連絡を取る手段がなかった。今はどこにいるのか、元気でやっているのか、確かめたくてもどうしようもない。そわそわとした気持ちは、抑えられるものではなかった。
 それ以上に、夜のお茶の時間のことを考えると、胸が締めつけられそうになる。茉莉花まりかの精神状態に配慮し、今日の給仕はすべて、家事人や吉川よしかわがおこなうことになった。だが、夜のお茶の時間は、茉莉花まりかの希望通り、島村しまむらが行くことになった。茉莉花まりか島村しまむらに対して、負い目を感じている。単純に、仕事の上での上下関係で言うと、茉莉花まりかが主人であることには、誰も異論をはさまないだろう。だからといって、わがままがなんでも許されるわけではない。昨日の茉莉花まりかの態度は、失礼としか言いようがないことは、茉莉花まりか自身がいちばんよくわかっていた。
 ついに、その時間がやってきた。茉莉花まりかの部屋に響く、ノックの音。机で本を読んでいた茉莉花まりかの体に、緊張が走る。茉莉花まりかは思わず、本をぱたん、と閉じた。
「お嬢様、島村しまむらでございます。お茶をお持ちしました。」
 ドア越しなので、確証があるわけではないが、島村しまむらの声は、震えているように聞こえる。答える茉莉花まりかも、思わずおろおろとしてしまっていた。
「ど、どうぞ、入ってください。」
 島村しまむらはゆっくりとドアを開けると、ていねいにドアを閉め、テーブルへと向かった。お茶の道具をいったんテーブルに置くと、まだ机に座ったまま、島村しまむらを見ている茉莉花まりかに向かって、深々と頭を下げた。
「あの、お嬢様、わたしにお茶を持っていくよう、お申しつけくださったそうで、大変感謝しております。」
 茉莉花まりか島村しまむらの丁重さに、かえって恐縮してしまったようで、おそるおそる言った。
「いえ、あの、わたしこそ、昨日は本当にごめんなさい。」
 茉莉花まりかはそっと、テーブルへと移動し、いすに座った。
 島村しまむらはお茶を淹れ始めた。25歳だということで、お茶を淹れた経験もそれなりにあるのだろう、屋敷に来たころの礼諒なりあきほどの不慣れさはなかった。
 島村しまむらは、静かにお茶を差し出した。茉莉花まりかは湯飲みを手に取り、お茶に軽く口をつけてみる。
「まあ、おいしいわ。島村しまむらさん、お茶を淹れるのがうまいのですね。」
 茉莉花まりか島村しまむらの顔を見て、わずかに微笑んだ。
 島村しまむらの淹れたお茶の味は、礼諒なりあきとは違うものの、ほのかな甘みがあり、優しく包み込んでくれるようなあたたかさがあった。そのおいしさに、純粋に感謝と感激を覚えたものの、やはりどうしても、礼諒なりあきのお茶の味が恋しくなってしまう。茉莉花まりかは申し訳なさを感じつつ、島村しまむらの淹れたお茶も、きちんと味わった。
 お茶を飲み終わった茉莉花まりかは、急にいすから立ち上がると、ふっと頭を下げた。
島村しまむらさん、昨日は本当にごめんなさい。あなたは何も悪くないのに……。」
「お嬢様……。」
 島村しまむらは驚いた様子で、茉莉花まりかを見ている。
「お嬢様、どうか頭をお上げください。わたしが至らないせいで、お嬢様をご不快にさせてしまい、本当に申し訳ございません。」
 島村しまむらの言葉に、茉莉花まりかは顔を上げる。
「いいえ、至らないのはわたしのほうです。執事見習いが誰になろうと、わがままは許されないのに、わたしが未熟なせいで、感情に振り回されて、あんな態度を取ってしまいました。本当に、申し訳なく思っています。」
 茉莉花まりかのつらそうな表情に、島村しまむらはなだめるように、落ち着きのある、低く優しい声で答えた。
「お嬢様のお感じになったお気持ちは、人として当然のことだと存じます。ですから、申し訳なく思われる必要は、まったくございませんよ。」
「でも……。」
「それに、お嬢様が今おっしゃったように、感情に振り回されておしまいになるくらい、前の執事見習いの方を、とても大切に思っていらっしゃるのでしょう? わたしのことが受け入れられないのも、仕方がないことだと存じます。」
「あっ……。」
 わかって言ったのか、そうでないのか、島村しまむらがにっこりと笑う。自分の気持ちを見透かされているようで、茉莉花まりかの顔が赤くなった。
「あ、その、それは……。」
 茉莉花まりかは否定するように、両手を振る。島村しまむらは、やっぱりといった顔で、茉莉花まりかに返した。
「よろしいではありませんか。そのように、激しく感情が揺さぶられるほど、大切に思われる方がいらっしゃるのは、とても素敵なことですよ。」
「そ、それより、島村しまむらさんのことを教えてくれませんか? どうやってこの屋敷に来たのですか? なぜ執事に……。」
 話をそらそうと、赤い顔のまま、茉莉花まりかは話題を変えにいく。
「かしこまりました。では少し、わたしのことをお話しさせていただきますね。」
 島村しまむらは、茉莉花まりかの話に、素直に乗った。茉莉花まりかはふたたび、テーブルの前の椅子に座った。簡単な生い立ちから、屋敷に来ることになったきっかけまで、島村しまむらは、茉莉花まりかの知りたいことに答え始めた。
 3人きょうだいのいちばん上であること。数年前に、父親を病気で亡くしたこと。短期大学を卒業した後、一般企業に就職したが、ある日なんとなく、サービスの仕事、その中でも執事に興味がわき、一念発起して執事を目指し、訓練を受けていたこと。その中で、ちょうど一宮いちのみや家で、新しい執事見習いを探していると言われたこと……。
「そういうわけで、わたしは今、試用期間なのですよ。」
「試用期間?」
 茉莉花まりかは思わず反応する。「試用期間」の言葉の意味は当然知っているが、それが島村しまむらにとって何を意味するのか、すぐにはぴんとはこなかった。
「はい。お嬢様との相性がいいか、確かめる期間です。問題がなければ、正式採用になる、と言われました。」
「そうなのですか。では、もし問題があれば、どうなるのですか? やめなければいけないのですよね?」
 茉莉花まりかは一瞬、不安になった。自分の都合で島村しまむら追い出す・・・・ことになったら、と考えると、心苦しくならずにはいられない。
 だが島村しまむらは、穏やかな表情をくずさずに答えた。
「その場合でも、ご心配にはおよびません。旦那様か吉川よしかわ様が、ほかのお屋敷をご紹介くださる、とのことです。」
 茉莉花まりかはほっと息を吐いた。胸の奥の絡まりが、すっとほどけていく。
「ですからお嬢様、わたしにお気を遣われたりはなさらないで、どうか素直なお心で、わたしがお嬢様の執事見習いにふさわしいかどうか、お決めください。」
「あ、ありがとうございます。」
「わたしの拝見したところでは、きっとお嬢様は、前の方がよろしいのですよね?」
「えっ……。」
 せっかく、島村しまむらの話をすることによって、自分の礼諒なりあきへの気持ちから話題をそらしたつもりが、また元に戻ってしまい、茉莉花まりかは恥ずかしそうに肩をすくめる。そんな茉莉花まりかを見て、島村しまむらは優しく言った。
「お嬢様、前の方がなぜ、おやめになったのか、わたしは存じませんが……。もし、可能であれば、その方に、戻っていただけるようお願いされてはいかかでしょうか? わたしにできることがあれば、ご協力申し上げます。」
「でも、島村しまむらさん、そこまでは……。」
「主人に最高のサービスをご提供するのが、執事の仕事だとお聞きしております。そうであるならば、主人であるお嬢様が、大切な方とお過ごしになれるよう動くのは、大切な仕事です。短いあいだになるかもしれませんが、全力でお嬢様にお仕えさせていただきます。」
 島村しまむらは、深々と頭を下げた。茉莉花まりかは、心に針で穴を開けられたような感覚をおぼえた。刺されたときの、ちくりとした、軽いが怖さを感じる痛み。そしてそこから穴が広がっていき、別の状態に変わる――。
 翌日以降も、茉莉花まりかは夜のお茶を、島村しまむらに持ってきてもらうことにした。それに加えて、食事のときの給仕も、島村しまむらにしてもらうことにした。島村しまむらにきちんと仕事をまかせることによって、島村しまむらへの信頼も示せるし、島村しまむら自身が、罪悪感や不安感にさいなまれず、安心して仕事に取り組み、また給料も受け取ることができる。茉莉花まりかは少しずつ、島村しまむらに動いてもらうことへの抵抗感をなくしていった。
 そうして何日かが過ぎ、ある日の夜のお茶の時間、茉莉花まりか島村しまむらに、一つの頼みごとをした。初めは島村しまむらとの関係に拒否感があった茉莉花まりかも、自分から話を聞いてみることで、少しずつ、信頼関係を築き始めているようだった。
 島村しまむらが淹れたお茶を、礼諒なりあきとの味の違いを感じつつも、おいしそうに味わいながら飲む。横では、島村しまむらが、雑談で茉莉花まりかを楽しませようと、懸命な様子で話をしている。茉莉花まりかも、島村しまむらに応えるべく、ときには頭を使いながら、あいづちを打っていた。
 そうしているうちに、島村しまむらは緊張した様子になり、話がとぎれた。機会を得たとばかりに、茉莉花まりかは静かに話を切り出した。
島村しまむらさん、頼みがあるんです。招待したい人がいます。」
「あ、はい。かしこまりました。手配いたします。どなたをご招待なさいますか。」
 島村しまむらは、肩をこわばらせつつ、胸ポケットに手をやると、メモ帳とペンを取り出した。
「招待したいのは、上月こうづきさんです。今度の休日の午後3時ごろ、お茶の時間あたりにしてください。」
 茉莉花まりかは、島村しまむらの目をまっすぐに見ている。
上月こうづき様……ですね。承知いたしました。申し訳ありません、確認させていただきたいのですが、上月こうづき様というのは……。」
 まだ、茉莉花まりかの人間関係について、完全に把握しきれていない島村しまむらは、恐縮した様子で、茉莉花まりかにたずねる。茉莉花まりか島村しまむらに、はっきりとした声で答えた。
上月こうづきさんは、わたしの……夫になる予定の人です。」

「いやあ、今回のことには、かなり驚いたよ。」
 数日後、一宮いちのみや家の客間で、茉莉花まりか拓真たくまと話していた。島村しまむらに頼んで、上月こうづき家に連絡し、拓真たくまを招待してもらった。
 茉莉花まりか拓真たくまも、休日に家で会うということで、かしこまりすぎない服装をしている。茉莉花まりかは簡素な無地の長袖ブラウスに、小さい柄物の、ひざ下のギャザースカート。拓真たくまは表情のある、明るい平織ひらおりの布地の長袖シャツに、濃色のカジュアルなパンツと、肩がこらず、それでいて落ち着きのある雰囲気を、醸し出していた。
 礼諒なりあきが解雇されたことは、拓真たくまにも伝わっていた。拓真たくまは、今、一宮いちのみや家の屋敷に礼諒なりあきがいないことが、まだ信じられないようだった。
 時刻は、おやつの時間といったところだろうか。志歩しほが、お茶とお茶菓子を持ってきて、そのまま茉莉花まりかの後ろに控えている。島村しまむらは、吉川よしかわと一緒に、別の仕事をしていた。
茉莉花まりかさん、新しい執事見習いの……島村しまむらさんは、どう?」
 拓真たくまが、いつも会うときと同じ、穏やかな表情でたずねる。
「最初はどうなるかと思ったけれど……とても優秀な人だと思うわ。ある日執事に憧れて、転職するために、訓練を受けていたそうよ。礼儀作法なども、とてもしっかりしているわ。」
「そうか、それはよかったよ。今、島村しまむらさんのお茶が飲めないのが、残念だな。」
 拓真たくまは微笑むと、湯飲みを手に取り、口許くちもとまで持っていく。
「でも、永井ながいさんの淹れたお茶も、おいしいから好きだよ。」
 拓真たくまは、気を遣うように、志歩しほをほめた。志歩しほは、この流れで自分について言われることが、予想外だったようで、
「おほめにあずかり、光栄でございます、上月こうづき様。」
と答えると、深々と頭を下げた。
 拓真たくまに合わせ、茉莉花まりかもお茶を飲む。料理人が作ったカップケーキとクッキーを味わいながら、二人は話を進めた。
「ところで茉莉花まりかさん、今日僕を招待してくれたのは、何か重要な話がある、ということだよね?」
 拓真たくまの表情が、突然変わる。茉莉花まりかの体に、緊張が走った。思わず身を縮こまらせる。
「え、ええ、そうよ。なぜ、おわかりになるの?」
 茉莉花まりかはどこか不機嫌そうな顔になると、声をかすかに震えさせて言った。
「ごめん、茉莉花まりかさん。怒らせたくて、言ったわけではなくて……。ただ、茉莉花まりかさんの雰囲気が、今までと違うような気がして。」
 拓真たくまの鋭い指摘に、茉莉花まりか拓真たくまに対して、「勝てなさ」をおぼえる。まるで、すべてを見透かされているような。
 これ・・を決めるのに、茉莉花まりかはこの数日、悩んでいた。大学では講義に集中しようとしたが、どうしても、意識がそちらに向かってしまう。よけいな労力を消費してしまうことにうんざりした茉莉花まりかは、覚悟を決め、結論を出した。今まさに、宣言するときがおとずれたのだ。
 茉莉花まりか拓真たくまの顔をじっと見つめ、目をそらさないようにして、決断を口にした。
上月こうづきさん、わたし、上月こうづきさんと結婚するわ。」
 みるみる、拓真たくまの表情が変わっていく。目を丸くし、体を乗り出している。茉莉花まりかがしているように、拓真たくまもまた、茉莉花まりかを見つめ返していた。
 どれくらいそうしていたのか、一瞬のことだったのか。拓真たくまはようやく、口を開いた。
茉莉花まりかさん、本当に? 僕と、結婚してくれるの?」
 茉莉花まりかはだまって、深くうなずく。
 拓真たくまはふっと息を吐くと、また穏やかな顔になりつつも、疑問を投げかける。
「ありがとう、茉莉花まりかさん、決断してくれて。でも、本当に僕とでいいの?」
「え? どういうこと?」
「だって、本当は茉莉花まりかさん、笹原ささはらくんと結婚したいと思っているよね? 笹原ささはらくんは使用人だから、許されないけれど……。」
 やはり、拓真たくまはわかっていた。茉莉花まりか礼諒なりあきを想っていること、叶うのなら礼諒なりあきと結婚したいと思っていること。だが、使用人である以上、許されることではないこと……。
 拓真たくまの問いかけで、茉莉花まりかは一瞬、決意が揺らぎそうになる。まるで、礼諒なりあきと結婚させてくれそうな、拓真たくまの物言いに。
「僕は、茉莉花まりかさんには、笹原ささはらくんが必要だと思っているんだ。今だってそう。島村しまむらさんが優秀な執事であるだろうということはわかった。でも茉莉花まりかさんは、やっぱり笹原ささはらくんがいないことで、元気もないし、力を出し切れていない気がするんだ。」
 たたみかけてくるような、拓真たくまの言葉。茉莉花まりかはぐっとこらえた。ここで気持ちが変わっては、すべてが台無しになってしまう。茉莉花まりかは歯を食いしばる。
上月こうづきさんは、なんでもお見通しなのね。」
 茉莉花まりかはややうつむいて、スカートの布地をぐっとつかんだ。
「確かにわたしは、礼諒なりあきさんのことが好きよ。もし叶うのなら、結婚したいとも思っていたわ。でも、もともとそれは許されていないことだし、お父様が礼諒なりあきさんを解雇した以上、礼諒なりあきさんと結婚するなんて、もうできないわ。」
茉莉花まりかさん……。」
「だから、わたしが選ぶ道は、一つしか残されていないの。礼諒なりあきさんにはずっと、執事としてそばにいてもらう、って。」
 言い終わると、茉莉花まりかは顔を上げた。目には涙が光っている。拓真たくまは深刻そうな顔になり、茉莉花まりかに言った。
茉莉花まりかさん、僕と結婚して、笹原ささはらくんは執事のままで、本当にいいの? 後悔しない?」
「いいえ、しないわ。わたしには、これが最善の道なの。上月こうづきさんこそ、わたしと結婚することに、後悔や迷いはないの?」
 茉莉花まりか拓真たくまに、反対に聞き返した。拓真たくまは驚きを見せたが、やがて落ち着きを取り戻し、静かに話し始めた。
「僕が茉莉花まりかさんと結婚しようというのは、正直に言うと、政略の部分はそれなりに大きいよ。茉莉花まりかさんと結婚すれば、上月こうづき家の家業に与える利益も大きいし、僕自身が一宮いちのみや家の家業にかかわれるということにも、興味や喜びを感じているんだ。」
「そう……。」
 茉莉花まりかは切なそうに、表情を曇らせる。
「でも、結局は人柄だよ。政略のこと以上に、茉莉花まりかさん自身のことを、とても素敵な人だと思っている。人として、茉莉花まりかさんのことが好きだ。茉莉花まりかさんと、夫婦として一緒に生きていけるというなら、幸せなことだよ。だから、茉莉花まりかさんとの結婚を受け入れよう、と心から感じているんだ。」
 明るくなり、堂々と思いを語る拓真たくまに、茉莉花まりかは戸惑いを見せる。
「あ、ありがとう。でも、いいの? わたしはやっぱり、きっとずっと、礼諒なりあきさんのことが好きよ。妻となる人が、ほかに好きな人がいるなんて……。」
 だが拓真たくまは臆することなく、にこやかに答える。
「そのことは、もうわかっているから大丈夫だよ。むしろ、茉莉花まりかさんと笹原ささはらくんのことを、ずっと見守っていきたい気持ちにもなっているんだ。」
上月こうづきさん……。」
 どこから湧き出てくるのかわからない、拓真たくまの自信と慈愛に満ちた態度に、茉莉花まりかは圧倒されつつも、拓真たくまとなら、結婚生活を上手くやっていけるのではないかという安心感も、ひそかに芽生え始めていた。
茉莉花まりかさん、本当に、僕との結婚を受け入れてくれて、ありがとう。ずっと夫として、公私ともに、茉莉花まりかさんを支えていくよ。よろしくお願いします。」
 拓真たくまは座ったまま、深く頭を下げた。茉莉花まりかもつられて頭を下げると、
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
と返した。

 夜のお茶の時間になり、ここ最近ずっとそうであるように、島村しまむらがお茶を持ってきた。ていねいにお茶を淹れ、茉莉花まりかに差し出す。美しい緑色は、礼諒なりあきの面影を浮かび上がらせる。茉莉花まりかは思わず、のどに熱いものがこみ上げてくるのを、ぐっとこらえた。
 茉莉花まりかがお茶を飲んでいるあいだ、島村しまむらは、今後の予定について話す。
「もうそろそろ、旦那様と奥様がお帰りになりますね。」
「そうですね。あさってだったかしら。」
「はい、あさってでございます。そろそろわたしは、お嬢様とはお別れですね。」
 島村しまむらが、寂しそうに、だが満足そうに話す。茉莉花まりかは慌てて、
「そんな、まだ決まったわけではありません。第一、お父様と話もしていないのに……。」
と否定しようとした。
「いえ、わたしの予想では、前の方……笹原ささはらさんは、必ずお屋敷にお戻りになると存じます。お嬢様のひたむきさ、真剣さは、きちんと旦那様に、お伝わりになることでございましょう。」
「そうかしら……。この期におよんで、勝手なことを言うな、と言われる気がします。」
 不安げな茉莉花まりかに、島村しまむらは優しく語りかける。
「自信をお持ちくださいませ、お嬢様。大切な方に、おそばにいてほしいというお気持ちは、ご本人のご意思さえ整えば、尊重されるべきものでございます。わたしはまだ、旦那様にお会いしたわけではございませんが、吉川よしかわ様のお話から推察しますと、旦那様はそこまで薄情な方ではないと存じます。それに、万が一のことがおありでしたら、わたしからもお力添え申し上げますよ。」
島村しまむらさん……。ありがとうございます。まだ屋敷に来て日が浅いのに、そんなに尽くしてくださるなんて、きっと素晴らしい執事になると思います。お父様や吉川よしかわさんに、いいお屋敷を紹介してくださるよう、頼んでおきます。」
 茉莉花まりか島村しまむらの言葉に、全力で応えた。
 お茶を飲み終わると、島村しまむらは、
「それではお嬢様、ごゆっくりお休みくださいませ。」
と言って、茉莉花まりかの部屋を後にした。
 一日のことをすべて終え、布団に入った茉莉花まりかは、今日の出来事を思い返していた。夕方前の、拓真たくまとの会話。拓真たくまは、
茉莉花まりかさんの素直な気持ちを、ぜひご当主にお話ししてみて。きっと伝わるはずだ。僕も、よければ何か協力するよ。いつでも力になるから。」
と、背中を押してくれた。まずは自分でなんとかしてみる、と答えたが、拓真たくまの「力になる」という言葉は、茉莉花まりかの心の奥深くまで沁みていった。
 島村しまむらとの会話もまた、茉莉花まりかには力をくれるものだった。確かに島村しまむらは、執事を目指して勉強し、訓練を受けていたというが、ここまで尽くしてくれることに、言い表しようのない感謝の念を感じていた。それなのに、短期間で追い出して・・・・・しまうことに、突き刺されるような罪悪感をおぼえる。それすら、島村しまむらは納得済みだということだった。
 そしてもちろん、茉莉花まりかが15歳のときから、身の回りの世話を始め、ときには姉のように、話し相手にもなってくれる志歩しほ。つい、わがままだと取られてしまうようなことも言ってしまうのに、いつも広い心で受け止めてくれている。それが志歩しほの仕事だといえばそうだが、志歩しほの行為にもやはり、仕事以上の愛情を感じるのだった。
(こんなにも、わたしのことを考えてくれて、支えになってくれる人たちがいるんだもの。わたしも、しっかりしないといけないわね。わたしもまた、人を支えることができるように……。)
 決意を新たにしながら、茉莉花まりかは眠りへと落ちていく。もうすぐ重元しげもと桜子さくらこが帰ってくる。どうやって話を切り出そうか、単刀直入に言うべきか。要点は何か、順番はどうするのか。来たるべき日に備えて、準備を万全にするのだった。