あなた色のレストラン

 そのころわたしは、少しすさんだ日々を送っていました。
 夢をあきらめて選んだ、今の仕事。やるべきことに追われ、人間関係はうまくいかない。なんとも言い表しようのない、心にたまるもやもや感。
 20代も半ばになり、仕事には慣れてきていたつもり、今の仕事は受け入れられるようになってきたつもりでした。でもそれは、どうやら思い違いだったようです。この道を選んでよかったのだろうか、と悩むばかり。あきらめた夢が、夜空の月のごとく、追いかけてくるかのようです。
 せめて、休みの日くらいは、自分のために、大好きな料理をして楽しもう。思うだけで、いざ休日になると、何も気力がわかないのです。一人暮らしで、食事を作らなければいけない相手もいないことが、それを加速させていました。おかげで、出来合いのお弁当ばかり食べてしまっていました。
「もう、自分で作らなくていいから、たまには、とびきりおいしいものを食べたいなあ。」
 あるころから、ときどき、そんな考えが頭をよぎるようになりました。
 しばらく経った、休日のお昼どき、わたしは買い物に行こうと、家を出ました。よく晴れた、あたたかい春の日でした。
 いつもの道を歩いていると、ふと、一軒のレストランが目にとまりました。平屋の建物は、白い壁に、濃いめの緑色のドアが特徴的です。
「こんなところ、前からあったっけ? 新しくできたのかな?」
 ちょうど、おなかがすいていたわたし。なぜか心惹かれ、レストランのドアを開けました。
 中は、落ち着き感がありつつも、明るめの色合いと、あたたかみのある照明でまとめた、まさにわたしの好みを具現化したような内装でした。
 2、3組のお客さんがいましたが、全体的に静かです。
「いらっしゃいませ。」
 一人のウエイターさんが、わたしのほうを見て、ほほえみかけてきました。そのとたんに感じた、なつかしいような、どこかほっとするような気持ち。この人に接客してもらいたいなあ、と、恋に落ちた気がしました。
 ウエイターさんは、やや短めの黒髪を自然にまとめ、優しそうな顔つきをしていました。白のシャツ以外は、すべて黒のベスト・ネクタイ・パンツ。そして黒のソムリエエプロン――腰につける、丈が長めのエプロン――が、中肉中背の体格に、よく似合っています。
 望み通り、そのウエイターさんに案内され、席に着きました。
 ウエイターさんが、メニューを机の上に置きました。上質な布貼りの表紙にくるまれた、重厚な手ざわりのするメニューブックです。いったいどんなものがあるのだろう、とわくわくしながら、メニューを開くと――。
 そこには、何も書かれていない、真っ白なページがあるだけでした。
 とまどっているわたしに、ウエイターさんは、少し低めの落ち着いた声で、ゆっくりと説明します。
「お客様、当レストランでは、お客様お一人お一人に合わせた、特別なメニューをご用意いたしております。」
「そう、なんですか……?」
「このメニューブックのどこかを持ち、目を閉じて、心の中で、今のお気持ちを思い浮かべてください。だいたい言い終えたら、目をお開けください。そうすれば、このページに、今のお客様にぴったりのメニューが、浮かび上がってきますよ。」
 なんとも不思議な話です。ですがなぜか、疑いもせず、やってみよう、という気になりました。そこで、一つの疑問が浮かびます。
「今の気持ち、って、例えばぐちだったり、不満、怒っているようなことでもいいんですか?」
 わたしは思わず、ウエイターさんにたずねました。気持ちが問われる、というのは、たいていの場合、いわゆるポジティブな気持ちを込める、と相場が決まっています。わたしはおいしいものを食べたいのですから、なおさらです。でも、今のわたしには、ポジティブな気持ちなんて、浮かんでこないのでした。
 するとウエイターさんは、すべてをわかっているような顔で、答えました。
「もちろんです。ぐち・不満・悩み・怒り・やるせなさ……どんな気持ちでもかまいません。どうか、三乃みつの様の、今の素直なお気持ちを、思い切り感じてみてください。」
 さらりと言われたので、一瞬気づきませんでしたが、ウエイターさんは、説明の途中に、わたしの名前を呼んだようです。なぜ、初対面なのに、わたしの名前を知っているのだろう? 不思議に思いつつも、なぜか、理由を聞かなくても大丈夫だという結論に達しました。それどころか、ウエイターさんが私の名前を知っていることが、別におかしいことではない、と確信したのでした。
 自分の中で納得がいったので、さっそく、ウエイターさんの説明通り、メニューブックを軽く持ち、目を閉じて、今の気持ちを、心の中で思い切りぶちまけてみました。ウエイターさんに質問した通り、今のわたしは、ぐちだらけ、不満だらけでした。それをメニューブックにぶつけるつもりで、洗いざらい出してみると、なんだかメニューの紙が、わたしのぐちや不満を吸い取ってくれているような、すっきり感がわきあがってきました。
 気が済んで、目を開けてメニューを見ると、そこには、おいしそうなハンバーグ定食の写真が現れていました。しかも、わたしの好きな、和風のしょうゆ味の味つけだと、文章でも述べられています。
 ウエイターさんは、メニューを見てにっこりとほほえむと、
「では、こちらのハンバーグ定食をお持ちいたしますね。5分ほど、お時間をいただきます。」
と言って、メニューブックを持ち、厨房へと向かっていきました。
 5分でできるなんて、なんて速いんだろう、と感心しながら、あらためて、お店の中を見回しました。
 赤っぽい茶色のテーブルに、座り心地のよい、座面にワインレッドのベルベットが使われているいす。白を基調にし、淡いベージュで柄が入っている壁紙は、どことなく、家庭の雰囲気を感じさせます。ところどころに飾ってある絵は、風景画が多いようで、まだ見ぬ地へのあこがれをかき立ててくれます。シェードのデザインが少し凝っている照明は、黄みのバランスが美しく、料理をおいしく見せてくれそうな色です。お店のBGMとして使われている、ゆったりとした明るい曲調の弦楽四重奏は、まさに、こんな音楽を聞きながら、ゆっくりと食事をしてみたい、という今の気分にぴったりのものでした。
 メニューだけでなく、お店のすべてが――あのウエイターさんも――まるで、わたしのためにあつらえられたものだ、と思ってしまうくらいです。そして、もしわたしが、自分のレストランを経営するとしたら、こんな内装にしたかった、と、ひそかに思い描いていた、理想通りなのでした――。
 あきらめた夢に思いを巡らせながら、胸にちくりとした痛みを感じたそのとき、ウエイターさんが、料理を運んできました。
「お待たせしました。ハンバーグ定食でございます。」
 テーブルに乗せられたハンバーグ定食は、ほのかに湯気が立ちのぼっています。絶妙な焼き加減に、しょうゆ味の和風のソースの色合いには、つけ合わせのにんじんが、彩りを添えます。ポテトも、いかにもほくほくとした食感を、見た目で精いっぱい表現しているかのようです。雑穀ご飯に、ねぎのみそ汁も、さらに食欲が増しそうな組み合わせに感じました。
「いただきます。」
 さっそく、ハンバーグから、食べてみました。実はわたしは、猫舌でした。それなのによく、熱いものをうっかり口に入れてしまい、思わず声をあげてしまいがちなのでした。
 ところがこのハンバーグは、いっけん熱そうなのに、食べてみると、熱さを感じないのです。もちろん、冷めているわけでもなく、不思議と、わたしにちょうどいい温かさになっていました。
 味のほうも、折り紙つき、と人に教えたくなるくらいでした。レストランのシェフの方は、わたしの好みなんて、当然ご存じないはずですが、まるですべてを知りつくしているかのように、わたしの口に合うのでした。お箸が進み、あっという間に食べ終わってしまいました。
 タイミングよく、ウエイターさんが、わたしの席へとやってきました。
「お味はいかがでしたか?」
 どこか緊張したような面持ちで、ウエイターさんがわたしにたずねます。
「すごくおいしかったです! こんなにわたしの好みにぴったりのレストランなんて、なかなか出合えません。」
 わたしは、自分が笑顔になっているのを感じていました。それにつられたのか、いい感想を聞けたからなのか、ウエイターさんは満面の笑みになり、言いました。
「実は、当レストランは、メニューや味つけから内装まで、お客様の好みに合わせることを第一としているのですよ。いわば、『あなた色のレストラン』です。」
「『あなた色のレストラン』……まさしくその通りですね。メニューや味つけだけでなく、内装や音楽まで、本当にわたしが好きなものばかりで、感激しました。」
「ありがとうございます。」
 ウエイターさんは、とてもうれしそうに、ていねいに深々とおじぎをしました。
「でも、それぞれのお客さんに合わせているんですよね? さっきもほかのお客さんがいましたし、ありとあらゆるお客さんが同時にいらっしゃるでしょうに、どうやっているのですか?」
 思わず、ウエイターさんに質問してしまいます。
「それは、いわゆる企業秘密、というものですので……。」
「そうですか。そうですよね……。」
 回答を断られて、がっかりしたのが顔に出てしまったのでしょうか。ウエイターさんが、申し訳なさそうに、頭を下げました。
「あ、いえ、答えられないのは当然ですよね。なので別に……。」
 あわてて明るく振る舞うと、ウエイターさんは頭を上げ、ふっと笑いました。
「一つだけ、お答えできるとすれば、自分を信じて、誠心誠意、お尽くしする、というところでしょうかね。」
 そう答えたウエイターさんの言葉には、とても重みがありました。
 わたしは、ときどき気が向いたときに来ます、と約束し、お店を出ました。

 約束通り、わたしはその後も、気が向いたときに、レストランに行くようになりました。あるときは休日、あるときは仕事帰り、昼だったり夜だったり、食事の用意をする気力がないときから、純粋にレストランの料理を食べたいときまで、――そしてウエイターさんとお話ししたいときまで――そのときの気分によって、まったくばらばらでした。でも、いつだって、このレストランは、わたしをあたたかく迎えてくれました。そして、あのウエイターさんは、わたしが行くときには必ずいて、わたしに接客してくれるのでした。ほかのところには、だれかと一緒に行くこともあるのに、このレストランだけは、必ず一人で行っていました。
 メニューはいつも、真っ白なページに、自分の素直な気持ちを心の中で言って、浮かび上がらせる方式でした。毎度、驚くほど、そのときの気持ちにフィットするメニューが出てきます。もちろん、味も、いつも必ず、わたしの好み通りなのでした。こちらからは何も言わないのに、焼き魚の焼き加減も、シチューの濃さも、マカロニサラダのマヨネーズの量も、文句のつけようがないのです。いったいどこがどうなって、わたしの心をこんなに満たしてくれるのか、まるで魔法使いでした。
 レストランの内装は、行くたびに微妙に変わっている点がありました。壁の絵が違ったり、いすの布や革の色が違ったり、細かい変化は、わたしを楽しませてくれます。でもいつ行っても、必ずわたしの好きな雰囲気を、演出しているのでした。
 お店のBGMも、最初に聞いた弦楽四重奏だけでなく、あるときはピアノバラード、あるときはオーケストラ風、またあるときは琴や三味線などの和風の曲、ジャズ、ボサノバ、アコースティックギターがメインの曲……。あらゆる種類の音楽が流れていました。でも共通して、わたしが大好きで、うっとりと聞き入ってしまうような、明るくてゆったりした曲調でした。しかも必ず、そのときの気分にぴったりの曲が流れていました。おかげでいつも、落ち着いて、かつ楽しく、食事ができるのでした。
 ウエイターさんとは、最初は、レストランのメニューのことを話すくらいでしたが、そのうち、お互いのことを、少しずつ話すようになっていました。ウエイターさんは、わたしと同じくらいの歳のようでした。それなのに、わたしなんかよりもずっと大人びていて、いつでもわたしの話を、しっかりと受け止めてくれました。
 ウエイターさんにする話も、恥ずかしながら、最初はぐちだらけでした。でも、聞いてもらっているうちに、少しずつ、心がほぐれてきたのでしょうか、ぐちをこぼすばかりなこと、いやな部分にばかり目を向けることが、なんだかもったいなく思うようになってきたのです。
 やがて、会話の内容は、その日や前の日にあったいいことや、好きな本や音楽などの話と、楽しくなるものに、変化していきました。
 話をするのは、料理を運んできてもらって、そのまま食事しながら話したり、食べるのは一人で、食後にゆっくり話したり、そのときによって違いました。でもウエイターさんはいつも、わたしは何も言っていないのに、なぜかわたしの気持ちの通りに、ちょうどいタイミングで、話し相手になってくれました。
 しばらくかよって、親しくなったと感じたとき、そういえばウエイターさんのお名前を知らないな、と気づきました。お店の方針なのか、名札はしていらっしゃらないのです。そこで、思い切ってたずねてみました。
「あの、ウエイターさん、失礼ながら、お名前はなんとおっしゃるのですか?」
「ぼくですか? ぼくは――です――。」
 どうしてか、ウエイターさんのお名前は聞き取れませんでした。でも不思議なことに、お名前がわからなくても大丈夫だ、となんとなく思えたのです。じっさい、困るようなことは、一度も起こりませんでした。
 お店のすべてにすっかりとりこになり、ウエイターさんに対しても、ますます尊敬の念が増してきました。だんだん、お互いの昔の話といった、深い話もするようになっていました。特にわたしから、そのような話をしようと思ったわけでもないのですが、ウエイターさんは、こちらの話題をするりと引き出してくれます。その態度がとても心地よくて、心をあずけてしまいたくなるのです。
 おいしい料理、居心地のいい空間、すばらしい接客。それぞれを、いつもじっくりと味わううちに、捨てたつもりの夢を、また拾おうとしている自分を感じていました。
 その証拠に、と言えるかどうかはわかりませんが、一時はできなかった、自宅での料理も、またするようになりました。気力がまったくわかない日があったのが、まるでうそのようです。
 以前よりも、日常生活において、楽しいと感じる時間が増え、あきらめかけていたあの夢に、栄養が与えられているかのようでした。その夢を、だれかに話してみたくなったのです。その一方、なんだか恥ずかしい気もしていました。言ってしまったが最後、実行しなければならない気がして、そこまでの勇気が持てなかったのです。
 でも、思いはどんどん膨らんでいき――あるときつい、いきおいあまって、ウエイターさんに、夢の話をしてしまいました。
「わたし、本当は、レストランを経営してみたかったんです。おいしい料理を作って、お客さんに喜んでもらって……。」
 はっとわれに返って、思わず手を口に当ててしまいました。なんだかウエイターさんに失礼な気がしたのです。
 ですがウエイターさんは、いやな顔一つせず、返してくれました。
「きっと、三乃みつのさんならできると思いますよ。」
 名前を呼ばれて、思わず緊張が走ります。でも、うれしい緊張でした。緊張というよりは、ときめきと呼びたくなるような――。
 わたしはウエイターさんに答えました。
「でもわたし、自分には無理だ、って早々にあきらめて、今の仕事をすることにしたんです。今さらこんなこと言ったって……。」
「ぼくも、以前は別の仕事をしていましたよ。」
 意外なウエイターさんの言葉に、自然に耳がかたむけられていきます。
三乃みつのさんと同じように、ぼくもずっと、その以前の仕事をやっていくつもりでした。でも結局、レストランで働きたいという思いが強かったんです。」
 失礼ながら、昔のウエイターさんと、今のわたしの姿が重なるようでした。
三乃みつのさんがいずれレストランを経営したいとお考えなら、ぼくも本気で応援しますよ。」
 わたしはその瞬間、やっぱり自分のやりたい道に挑戦してみよう、という気持ちが、ほのかに生まれていました。

 その後、急に忙しくなり、レストランに行く機会を逃してしまっていました。少し寂しく思っていましたが、そのうち行けるだろう、と、あまり気にせずにいました。
 ほどなくして、驚くようなことが起こりました。なんと、一流のレストランで修行するチャンスがおとずれたのです。
 ですが、そのためには、生活を変える必要がありました。変化への不安を思うと、せっかくのチャンスを前に、一歩踏み出せずにいました。とはいえ、修行をさせてくれるというそのレストランに対して、早めに返事をしなければなりません。
「そうだ、こんなときこそ、あのレストランに行こう。そのうち、なんて言っている場合じゃない。」
 いてもたってもいられなくなり、わたしは時間を作って、レストランへと行きました。
 濃いめの緑色のドアをゆっくりと開けて、お店に入ると、いつものように、あのウエイターさんが出迎えてくれました。
 席に着き、メニューブックを持って目を閉じながら、今日はどんなメニューが浮かび上がるんだろう、とドキドキしていると、最初にここをおとずれたときと同じハンバーグ定食が出てきました。
 ウエイターさんはにっこりとほほえむと、メニューブックを持って、厨房へと向かいました。
 しばらくして、ハンバーグ定食が運ばれてくると、さっそく、ハンバーグから食べ始めます。味も、温度も、何もかもわたしに合わせてくれている、魔法のようなレストラン。いったいどうやっているのか、とても不思議に思いつつ、少しでも、こんなに居心地のよいレストランを経営できたら……と、つかみかけている夢を、心の中で抱きしめます。
 ちょうど食事が終わったころ、片付けにきてくれたウエイターさん。思い切って、修行の話をしてみました。
「とてもいい話じゃないですか。ぜひ、修行されることをおすすめしますよ。」
 ウエイターさんは、とてもやさしい口調で言いました。
「でも、やっぱりこわくて……。自分が耐えられるのかな、とか、うまくいくかな、とか。中途半端な気持ちでは、いけない気がして。」
 くちびるをかみしめながら、自分の声がふるえているのがわかりました。生半可な気持ちではつとまらない、と言われるだろう、と予想していましたが、ウエイターさんは――。
「ぼくも、すごくこわかったですよ。でも、思い切って飛び込んでよかった。三乃みつのさんなら絶対に大丈夫です。ぼくが保証しますよ。」
 包み込まれるような、ウエイターさんの雰囲気。そっと背中を押してくれている気がしました。
 わたしはウエイターさんに、必ずいい報告をします、と約束し、お店を出ました。

 あれから、大きな変化がありました。家も引っ越し、今は一流レストランでの修行の真っ最中。一流なだけあって、修行は厳しいものでした。ですが、不思議と、つらいという気持ちは、ほとんどわいてきませんでした。
 あの不思議なレストランには、引っ越して家から遠くなってしまったことや、時間の都合などで、まったく行けなくなってしまいましたが、心の中にはいつもウエイターさんがいて、エールを送ってくれていたのです。
 新しい知識や経験をどんどんと吸収し、今に集中するのに精いっぱいな、めまぐるしい日々が続き、あっという間に1年が過ぎていました。
 お休みができ、ふと、あのレストランに行こう、と思い立ちました。
 まだ道なかばではありますが、将来必ずや、自分のお店が持てるだろう、と確信がわいてきたころでした。どうしても、ウエイターさんにお礼が言いたくて、たずねることにしたのです。
 以前の家のあたりまでくると、なつかしさがこみ上げてきました。ああ、わたしはここで暮らしていたんだなあ、そしてあのレストランに、ウエイターさんに出会ったんだなあ。感慨にひたりながら、レストランを探していました。
 まだ1年ほどしか経っていないからでしょうか、家並みは以前とほとんど変わらず、レストランを探すのは容易に思えました。
 でも――いくら探しても、レストランは見つからないのです。それどころか、レストランがあったと思われる場所は、空き地になっていました。道を間違えたのかとも思いましたが、慣れた道の見慣れた風景では、間違えようがありません。
「飲食店は入れ替わりが激しいから、なくなったのかもしれないなあ。」
 そうつぶやいてから、あたりを見回すと、向こうから歩いてくる人を見つけました。買い物袋らしきものを持った、年配の女性です。わたしはあわてて、声をかけました。
「すみません、この近所の方ですか? 道というか、お店についておたずねしたいのですが。」
「いいですよ。」
「ここに、レストランがあったと思うのですが、ご存じですか?」
「レストラン?」
 女性はけげんそうな顔をしています。わたしは、もしかしてわかりにくかったのかと思い、説明を続けました。
「かなり小さいレストランでしたので、気づきにくかったのかもしれません。平屋で、白い壁に、入り口のドアが緑色で。最後に行ってから、1年ちょっと、経ったか経たないか、くらいなのですが。」
 すると女性は、驚いたような顔で答えました。
「いえ、ここはこの5年ほど、ずっと空き地ですよ。わたしはもう30年ほどここに住んでいますし、月の半分以上はこの道を通りますので。空き地にレストランができたら、知っているはずですよ。」
 きつねにつままれたような気分になりましたが、すぐには信じられません。その後も、何人か、ここを通りがかった、近所にお住まいだという方にたずねましたが、だれ一人として、レストランを知っている人はいませんでした。
 がっくりと肩を落としていると、あのウエイターさんの声が、頭の中に響きました。
三乃みつのさんなら、必ずや一流になれますよ。レストランを開店されたら、すぐにでもお食事をしに行きますね。」
 落ち着いた低めのやさしい声は、さっきまでの落ち込みをとかしてくれました。わたしは元気を取り戻し、手をぐっとにぎりしめていました。
「ありがとう、ウエイターさん。」
 小さな声で、そっとお礼を言うと、わたしは今の家へと帰るため、歩き出しました。
 あのレストランは、本当に存在したのか、今となってはわかりません。ですが、確かにわたしは、あのレストランで食事をし、美しい内装や音楽を楽しみ、ウエイターさんにすばらしい接客をしてもらったのです。
 すべてがわたしのためにあつらえられたような、まさに「あなた色のレストラン」。
 わたしは軽い足取りで、秋晴れをながめながら、あのレストランで食事をした日々を、何度も反芻したのでした。

(おわり)






あとがき

このお話は、少し前に、寝起きにふと「君色のレストラン」という言葉が浮かんだので、それを元に話を考えてみました。一人称の小説がしっくりくる気がしたので、そうしてみました(^_^)
タイトルを「君」にするか「あなた」にするか迷い、とりあえず浮かんだ言葉のまま、「君色」で書いていましたが、やっぱりお客さん相手にあれだと思いましたので、「あなた」にしました。

そんなわけで、タイトルから考えたので、ちょっとこじつけっぽいところもありますが…(笑)。そして、ひとまず2日で書いたので、内容がうまく伝わっているか不安ですが(x_x;(さっさと書き上げて、更新したかったのです)
もう少し短くしたかったのですが、どうしても長くなる…(T_T)
そんな感じですが、少しでも、レストランの雰囲気をお楽しみいただけたのなら幸いです(^▽^)

ちなみに主人公の名前、わかりにくかったかもしれなくて申し訳ありませんが、「三乃みつの」はファーストネームです。女性です。一人称だと、どうやって「女性である」と明確にしたらいいのかわからない…というか内容によりますね。

それでは、あとがきまでお読みくださり、ありがとうございました!

2019.9.29