笛の

 あるところに、風歌ふうかという女の子がいました。
 5年生になって少したったある日、お母さんに連れられて、フルートのコンサートに行きました。
 風歌の住んでいる地域でおもに活動している、フルートトリオです。女性二人、男性一人で活動しています。ピアノの伴奏もありました。
 今回は、子どものためのコンサートということで、子どもにもなじみやすい選曲がなされています。クラシック、童謡、そしてトリオのオリジナル曲の三部構成になっていました。
 会場に響き渡る、高く澄んだ軽やかな音色と、奏でられる色あざやかな曲たちに、風歌はすっかりとりこになりました。特に、トリオのオリジナル曲には、格別の興味をひかれました。今回演奏されたオリジナル曲はどれも、「自然の美しさ」をテーマとしていました。メロディにハーモニー、リズム、強弱、速度、演奏表現……そして何より、曲に込められた心。あらゆる方面から、それぞれの曲の個性を作り出し、テーマにふさわしい曲を完成させていたのです。風のささやき、波のざわめき、川のせせらぎ、咲きほこる色とりどりの花、夜空にまたたく星のきらめきと話し声。どの曲も、まるで本当にその情景が、目の前に広がっているようでした。
 中でも風歌がとりわけ気に入ったのは、「深い森のさえずり」という曲でした。題名の通り、深い森の中にいて、新鮮な空気の中、鳥のさえずりを静かに聞いているような、しみ渡るような優しさと軽やかさ、明るさと神聖さがありました。一度だけではもったいない。風歌は強く感じました。
 コンサートが終わり、会場から外に出ると、あたたかな日差しが、風歌とお母さんを包み込みます。お日様に見守られながら歩く二人。風歌は先ほどまでの興奮が忘れられない、というような、たかぶった様子で、お母さんに話しました。
「コンサート、すごくよかったよ。」
「本当? 連れてきたかいがあったわ。」
 風歌の話しぶりに、お母さんも満足そうな笑みを見せます。風歌は思わず、今の気持ちが口をついて出ました。
「お母さん、わたし、フルートを吹いてみたい。」
「え?」
 お母さんが、目を丸くしました。風歌が続けます。
「『深い森のさえずり』がすごく気に入ったの。あの曲を吹いてみたいし、ほかにもいろいろ吹いてみたい。オリジナル曲も作ってみたいよ。」
 矢継ぎ早に話す風歌に、お母さんは思わず、足を止めます。風歌もつられて、その場に止まりました。
「そうねえ……。」
 お母さんは少し考え込んでいましたが、やがて、
「風歌ちゃん、今ピアノ習っているわよね。ピアノも続けるなら、フルートも習っていいわよ。」
と、優しく言いました。
「やったあ! ありがとう、お母さん!」
 風歌は思わずかけ出しました。コンサート会場のあたりには、木がたくさん植えてあり、公園のようになっています。木々のあいだから、ささやくような風が、風歌のほほをなで、肩より長い風歌の髪を、さっと吹き上げます。
 ふとどこからか、鳥のさえずりが聞こえました。思わず空のほうを見上げた風歌の目が、一羽の鳥の姿を、さっととらえました。でも一瞬で、どこかへと消えてしまいました。
 後ろに人の気配を感じたかと思うと、先に進んでいた風歌に、お母さんが追いついてきたのでした。風歌は後ろを振り返り、お母さんに聞きました。
「お母さん、今、変わった鳥が一瞬飛んでいなかった?」
「さあ、お母さんは気づかなかったわ。」
 お母さんは首をかしげました。そのため、もうこの話は終わりにしました。
 ですが、風歌は確かに見たのです。青みがかった、小さな鳥。なんとも言えない美しい色合いをしていました。まるでこの世のものではないような、この世界と別の世界のはざまにいるような――そんな印象さえおぼえました。風歌は鳥の姿を、しっかりと頭の中に焼き付けました。

 お母さんが見つけてきたフルートの先生は、若い女性でした。まるで風歌のお姉さんのような、優しそうな先生でした。
 今日は、体験レッスンで、とりあえずレッスンを受けてみて、正式に習うかどうか、決めるのです。レッスンはお母さんと一緒です。
「風歌ちゃんは5年生なのよね。フルートを始めるのにちょうどいい時期よ。先生も、それくらいの年で始めたの。」
 どこか緊張している様子の風歌の心と体をほぐすように、先生が語りかけます。フルートを始めようと思ったきっかけをたずねたり、フルートとは関係ない、学校や趣味について話したり。だんだん風歌の顔には、笑顔が見えてきました。先生はさっそく、レッスンを開始しようとします。
「風歌ちゃんはちょっと小柄だけれど、すぐに背も伸びるでしょうし、きっと大丈夫ね。」
 そう言いながら、先生は風歌にフルートを渡しました。
 はずむような気持ちで、フルートを手にした風歌。希望に満ちあふれている様子が、全身に表れているのが、だれにでもすぐに読み取れます。
 でも、すぐにその希望はしぼんでしまいました。
 フルートのかまえの姿勢は、慣れない風歌にはきつさが感じられました。どうしても、すぐに楽な姿勢になりたがってしまいます。先生は、
「風歌ちゃん、もうちょっとがんばって!」
と、何度も風歌をはげましました。
 ようやく、いざ吹く、という段階に入りました。ドキドキしながら息を吹き込む風歌。ですが、すかすかするだけで、あの高く軽やかな音色は、まったく聞こえてきません。
「だれだって、最初は音が出ないのよ。先生も最初は、まるで音が出なかったわ。」
 先生が、あわてて風歌をなだめました。
 風歌の顔が、みるみるくもっていきます。雨も降りそうな、かみなりさえも落ちそうな、あやしい空もようを展開していました。
 あれほどうきうきとした顔と動きを見せていた風歌も、いつの間にやらすっかり意気消沈、レッスンの最後のほうには、歯を食いしばってだまってしまいました。
 「ありがとうございました」とあいさつをして、ひとまずレッスンを終わらせます。お母さんは心配そうな様子で、風歌に、
「どうする? 習う? べつに無理して習わなくてもいいのよ。」
とたずねました。
 風歌は、
「ううん、習う。」
とだけ答えました。自分で言い出したことだったし、やっぱり「深い森のさえずり」を吹いてみたい気持ちがあったのです。
「わかりました。では、気長に練習していきましょう。少しずつ、うまくなっていくはずよ。」
 先生はにこやかに言いました。
 こうして、風歌は正式に、フルートを習うことになりました。

 よく日から、風歌は家でフルートの練習を始めました。お母さんに言われたとおり、ピアノの練習もあるし、学校の宿題や勉強ももちろんあるので、一日あたりの練習時間はあまり長くとれません。30分と決め、その時間はめいっぱい練習することにしました。
 とはいえ、元来の性格なのでしょうか、なかなかうまく吹けないことに、風歌はすぐにいやになってしまい、たったの5分でフルートを放り出し、部屋の床にしいてあるざぶとんに、横になってしまいました。
「やっぱりわたしには、フルートは無理なのかなあ。」
 風歌がそうつぶやいて、目をとじた、そのときです。
 どこからか、ふしぎな音が、ほんのりと聞こえてきました。あたたかくてやわらかい音。それでいて澄んで高く響く、まるでフルートのような、笛のような音――。
 風歌は思わず、音に耳をかたむけます。ふしぎな笛のは、耳だけでなく、体中に、それどころか心の中までも、じんわりとしみ渡っていくようでした。なぜかさっきまで感じていた、くやしさ、イライラした気持ち、すさんだ心が少しずつほぐれていきます。
 いつの間にか風歌は起き上がり、練習を再開していました。最初とはまるで違う、穏やかで落ち着いた気持ちで、練習に取り組めたのでした。
 とはいえよく日になるとまた、昨日と同じように、うまく吹けずにいやになってしまいます。風歌が横になると、昨日と同じように、ふしぎな笛の音が聞こえてきました。そうなるとやっぱり、風歌は元気を取り戻して、集中して練習に戻れるのでした。
 笛の音は、風歌が練習がいやになったり、疲れたりするたびに、どこからか聞こえてきます。まるで、風歌をなぐさめ、はげましてくれているようです。聞こえてくるメロディも、その日によって少しずつ違いました。風歌はときに、ふしぎな笛の音で奏でられる新しいメロディを聞きたくて、フルートを手に取り、練習し始めるのでした。
 あるとき、笛の音についてだれかと話してみたくて、お母さんやお父さんに聞いてみました。どのメロディも好きになるので、感動を共有したかったのです。
 ですが、お母さんやお父さんにたずねても、そのような笛の音は聞こえてこない、と言われてしまいました。
「風歌ちゃんが練習しているときに? うーん、風歌ちゃんの音以外、聞こえたことはないわねえ。」
「きっと、風歌の心の中から聞こえてくるんだよ。風歌にだけ、ね。」
「あら、お父さん。さすが、ロマンチックね。」
 お母さんもお父さんも、笛の音は聞こえないものの、まじめに風歌の話を聞いてくれました。おかげで、風歌は少しわくわくした気持ちになりました。自分だけが聞こえる、ひみつの音。だれかがきっと、ひそかに応援してくれている、心強さ。あたたかな音色ねいろを胸にいだいて、つまずきながらも、フルートの練習に取り組むのでした。くじけそうになったとき、いつでもあの笛の音が、風歌によりそってくれます。
 少しずつ、風歌のフルートの腕は上達していきました。先生も、お母さん・お父さんも、静かに風歌のことを見守っていました。

 簡単な曲ならそれなりに吹けるようになったある日、お母さんが、とある楽譜を風歌に見せました。
「お母さん、これどうしたの?」
 風歌は思わず声を上げました。だってその曲は、風歌が気に入った、あのフルートトリオのオリジナル曲、「深い森のさえずり」だったのですから。このトリオの曲は、お店で楽譜が買えるわけではないのです。
 お母さんが、とても明るい声で説明します。
「あのトリオの人たちに連絡を取って、楽譜を買えないか、聞いてみたのよ。」
「お母さん、すごい!」
 風歌はさらに、驚きの様子を見せました。
「ぜひ買ってください、って言ってくれたわ。風歌ちゃんがフルートを始めたきっかけが、あの人たちのコンサート、しかもオリジナル曲、ということに、すごく喜んでいたわよ。」
 お母さんの話に、風歌は胸のあたりがじんわりとあたたかくなりました。
「ありがとう。わたし、この楽譜を大切にするね。」
 風歌はさっそく、楽譜を部屋に持っていき、じっくりとながめました。楽譜を読んで、頭の中で曲を演奏します。
 風歌はすぐにでも、「深い森のさえずり」を吹いてみたくなりました。楽譜にはフルート3パートとピアノのパートが載っています。まずは、おもにメロディを吹くパートから、と、吹き始めようとしました。が……。
 意外とむずかしくて、メロディをゆっくりと追うのがせいいっぱい。音楽的な表現なんて、吹けたものではありません。簡単に見えて、高度なわざを要求されます。
 加えて、風歌の頭には、あのコンサートで聞いた、フルートトリオの演奏がきちんと残っています。いつでも再生できるくらい、はっきりとした記憶。同じ曲を吹くとなると、どうしても比べてしまうのです。
 風歌は、13小節吹いたところで、とつぜん吹くのをやめ、ざぶとんに横になってしまいました。
「あーっ! 最初からうまく吹けるわけないんだよ!」
 風歌は、声に怒りを含ませ、やや大きめに言いました。そのままだまってじっとしていると、笛の音が聞こえてきました。
 今日はなんと、今までとは違った曲調でした。風歌の成長に合わせて、内容を変えてくれている、と思ってしまうほどです。
 ふしぎであたたかい笛の音に、風歌の心は溶けていき、また練習に戻りました。うまく吹けなくても、今日はがんばろう、と気持ちをふるい立たせてくれるのでした。
 こうして、風歌は今までどおり、ふしぎな笛の音に助けられながら、少しずつ、「深い森のさえずり」も上達していく――はずでした。
 でも、風歌にとっても、笛の音にとっても、この曲はまだ、レベルが高すぎるようでした。途中で練習がいやになって、笛の音が聞こえてくると、そのときは練習に戻れました。ところがだんだん、曲のむずかしさにくじけ、練習じたいをしたくなくなる日が出てきました。ピアノの練習はもう習慣になっているし、それなりに弾けるので、毎日するのですが、フルートは、気が向いた日だけ練習するようになっていきました。少しずつ、練習しない日が増えていってしまいます。どんどんと、練習する日としない日、どちらが多いのか?と疑問符を浮かべるようになっていきました。
 そんな風歌に、お母さんは特に何も言いませんでした。風歌はかえって、胸が苦しくなるような思いを味わっていました。お母さんが風歌を信じてくれていることも、自分の今のレベルに見合わない、むずかしい曲を吹こうとしていることも、なにより風歌自身がよくわかっていたのです。
 それでもやっぱり、ふいにあの笛の音が聞きたくなって、練習を始める日もありました。ふしぎな笛の音には、心が洗われ、もう少しがんばってみよう、という思いがわき起こるのでした。
 少しずつ、上達しているような、その場にとどまっているような、風歌のフルート、「深い森のさえずり」の腕。がんばる・練習しない、をくり返しているうちに、風歌ははたして自分がフルートを本当に吹きたいのか、わからなくなってしまいました。
 笛の音にはげまされながらも、フルートをやめるかどうか、考えるようになっていきました。

 その日も、フルートの練習曲と、「深い森のさえずり」を練習していました。練習曲を終わらせ、「深い森のさえずり」に入って少しすると、どうにも納得いかない箇所にぶつかってしまい、フルートを置いて、ざぶとんに横になってしまいました。
 また、いつものように、ふしぎな笛の音が聞こえてきます。ここのところ、フルートをやめるかどうかずっと考えている風歌は、複雑な思いで笛の音を聞いていました。
「あ、そうだ!」
 風歌は急に起き上がり、フルートを持って、家の外に出ました。
 風歌は考えました。あの笛の音も、フルートをやめたらきっと聞けなくなる。せめて、やめる前に、正体をつき止めよう、と――。
 門を出たあと、近所迷惑を気にしつつ、風歌は、「ドレミファソラシドー」と吹いてみました。するとどこからか、「ドシラソファミレドー」と、風歌に応えるような音が聞こえてきました。正真正銘、いつもの笛の音です。
 風歌は音の方向に見当をつけ、そちらへ向かって走り出しました。
 しばらくのあいだ、笛の音が聞こえていましたが、風歌が息を切らして立ち止まるともに、やがて聞こえなくなってしまいました。
 そこで少し休んだあと、風歌は今度は、「ドミソドー」と吹いてみました。すると、先ほどの応えのように、「ドソミドー」と、風歌の吹いた音に合わせて返ってきました。
 同じように、音のした方向へと走っていきます。またしばらくして風歌の息が切れると、音が聞こえなくなりました。
 さすがに、しばらくフルートを吹く元気もなさそうになってしまい、立ち止まって下を向いた風歌が息を切らしていると、ふいに、すぐ近くで、鳥のさえずりが聞こえました。
 風歌がはっと顔を上げると、見覚えのある一羽の鳥がいました。青みがかった色をした、この世のものではないような――。そう、風歌がフルートを吹きたい、と言った時に見た、ふしぎなあの鳥です。
 鳥は、す−っと優雅に、どこかへと向かって飛んでいきます。風歌は、追いかけなければいけないような気になって、あわてて後ろをついていきました。
 鳥の飛ぶのが速く、見失わないように、風歌はどんどん走っていきます。自分が疲れているのも、忘れてしまうくらいでした。わき目もふらず、まわりもまったく見ず、ただひたすらに、鳥だけを追っていました。

 どれくらい、走ったのでしょうか。気がつくと、風歌はいつの間にか、見知らぬ森の中にいました。木々が高々とそびえ立ち、葉は青々としげっています。じゅうたんになりきっていない落ち葉のあいだから、あちらこちらで土が顔を出しています。迷路としか思えない空間で、森の出入り口らしきものも見当たりません。かなり深いところまで、迷い込んでしまったようでした。
 風歌はわれに返ると、フルートをにぎったまま、その場にへたり込んでしまいました。息は切れ、疲れが急に、風歌をおそいます。
 ふいに後ろで、がさ……と、静かに葉を踏むような音がしました。風歌はあまりの驚きに、声を出せないまま、おそるおそるふり返ります。
 そこには、一人の青年が立っていました。すらりと背が高く、深く澄んだ、茶色い瞳。簡素な服を身にまとっています。やや茶色みをおびた黒い髪は、茶色だけでなく、どこか青みも感じ、美しいという言葉以外は出ようがありませんでした。急に人が現れた衝撃と、青年の、この世のものではないような雰囲気に、風歌は身動きが取れなくなりました。
 風歌が、なぜこんな森の奥に人がいるのだろうか、と考えつつも、声に出せないでいると、青年が、
「きみが、風歌ちゃんだよね?」
とたずねてきました。
 青年の言葉に、風歌は、驚きをどこに持っていけばいいのかわからなくなってしまいました。見知らぬ青年が、自分の名前を知っていることに、世界をかき混ぜたくなるような衝動をおぼえました。
 でも、なぜだか、どこかで見たことがある気がして、やっとの思いで、風歌は青年の顔をまっすぐに見つめながら、うなずきました。
 青年は風歌の答えを見ると、ほっとしたような表情になり、さらに驚くようなことを口にしました。
「風歌ちゃん、もしよかったら、今から『深い森のさえずり』を合奏しない?」
 風歌はけげんな顔をしました。さっきよりももっと、体がこわばってきます。この青年は、もしかしてあのフルートトリオのファンだったりするのでしょうか? そうはいっても、なぜ、風歌が「深い森のさえずり」を吹けるであろうことを知っているのでしょうか。青年は何が目的なのでしょうか……。
 さまざまな考えが、荒波のように、風歌の頭の中をめぐります。
 青年は、風歌を見て、頭の中を読み取ったようで、すうっと大きく息を吸い込むと、声を出し、歌い始めました――。
 そう、いつも風歌のところに聞こえていた、あのふしぎな笛の音。その音色とそっくり、いえ、そのものでした。
 20秒ほど歌ったあと、青年は歌を止めると、風歌に言いました。
「ぼくは一人で2パート歌うこともできるよ。合奏、どうかな? ぼくはぜひ、風歌ちゃんと一緒に演奏してみたいんだ。」
 青年のやわらかなまなざしに、風歌の体はいつの間にか、ゆったりとほぐれていきます。風歌は急に、なぜだかうまく吹けるような気がしました。青年の目を見て、わずかにほほえみながらうなずくと、ゆっくりと立ち上がり、フルートをかまえました。
「風歌ちゃんは第1がいいよね? ぼくは、第2と第3を担当するよ。」
 青年がそう言った後、二人は合図をし、「深い森のさえずり」の演奏を始めました。
 まだ慣れていないこともあり、風歌は最初、無我夢中で吹いていました。とにかく、自分の演奏だけに集中していたのです。
 ところが、いつからか――気がつくと、風歌の耳は、青年の演奏も自然ととらえていました。自分一人だけで吹くのではなく、青年と合わせながら、なにより、ハーモニーを楽しみながら――自分なりに、演奏を完成させていったのです。
 まるで、風歌自身が、深い森を作り出し、その中にいる鳥たちのさえずりを引き出しているような、森の静けさとにぎやかさが同居する響き。風歌と青年は二人で、絶妙なハーモニーをえがき出していきます。風歌の中に広がる、今まで味わったことのないような、おおらかな心と、「深い森のさえずり」を演奏することそのものの、純粋な楽しさ。風歌はすっかり、曲の世界に入り込んでいました。風歌と青年のまわりに、今いる森とは別の森が浮かんでくるようでした。
 最後の小節が終わると、風歌ははっとわれに返りました。風がさわさわと心地よくさわぐように吹き、鳥のさえずりはまるで、きらびやかな宝石を見た子どものようです。風歌には、拍手を受けているように感じられ、その場に立ちつくしていました。
 ふと、青年が風歌に語りかけました。
「やっぱり、風歌ちゃんなら大丈夫だね。一緒に演奏できて、ぼくもすごく楽しかったよ。」
 青年はにっこりとほほえんでいます。風歌も、楽しかった、と言おうとしますが、なぜだか言葉になりません。
 青年は静かに言いました。
「風歌ちゃん、ぼくは風歌ちゃんのこと、ずっと応援しているよ。」
 すると、青年はくるりと向きを変えて風歌に背を向け、歩き出しました。
 風歌はとつぜん、声が出せるようになり、青年に向かって、思わずさけびます。
「待って! あなたはだれ? わたしはここからどうやって帰れば……!」
 風歌の言葉を聞いていないかのように、青年は、1本の木に向かって、思い切り跳んでいきました。と思うと、いきなり青年の姿は消え、かわりに、あのふしぎな、青みがかった鳥が現れました。鳥がつばさをはばたかせると、青みがかった白い羽根があたりに舞い散ります。羽根は、風歌の上にも……。舞い散る羽根に降られながら、風歌の意識はだんだんと遠のいていき――。

 目を覚ました風歌。見慣れない天井が、目に飛び込んできました。
「風歌ちゃん、よかったわ!」
 今度は、聞き慣れた声が、風歌の耳に響き渡ります。お母さんでした。
 むくりと起き上がった風歌。寝ていたのは、いつもと違うベッドの上。ここは病院でした。お母さんだけでなく、お父さん、お医者さんもいました。
「心配したのよ。いつの間にかいなくなっていたし、探そうとしたら、倒れた、って聞いたから。本当に、目が覚めてよかったわ!」
 うれしそうに話すお母さんの目には、涙がにじんでいました。
 お母さんたちの話によると、風歌は家の近くの道ばたで、倒れていたそうです。たまたま通りかかった、近所のおばさんが見つけてくれ、呼びかけても反応しなかったため、救急車を呼んでくれたのでした。
 状況が飲み込めて、落ち着きを取り戻した風歌。フルートのことが、頭に浮かびました。
「お母さん、わたしのフルートは?」
「もちろん、ちゃんと置いてあるわよ。ほら、そこ。」
 そう言ってお母さんは、ベッドのそばのテーブルのところへ行くと、フルートを手に取り、風歌に渡しました。
「フルートも一緒に、救急車で運んでくれたようよ。なんでも、風歌ちゃん、フルートをしっかりとにぎっていたそうなの。」
「そうなんだ。おばさんや救急車の人たちにも、ちゃんとお礼を言わないといけないね。」
 風歌はなぜだか、心があたたかくなりました。風歌を助けてくれた人たちだけでなく――あのふしぎな青年のことも、思い出したからなのでした。
(やっぱりわたし、フルートを続けよう。)
 風歌が考えた、そのとき。どこからか、ひらりと1枚、鳥の羽根が舞い降りてきました。青みがかった白い羽根。森の中で、あのふしぎな鳥が舞い散らせていた羽根でした。
 風歌は羽根を両手でふわりと受け取ると、着ていた服のポケットにしまいました。羽根を持って帰り、ずっと置いておくことにしました。

* * *

 月日は流れ、中学生になった風歌。フルートももちろん、続けています。有名な曲を吹くだけでなく、オリジナルの曲も作曲するようになりました。ときどき、友達が家に遊びにくると、1、2曲ほど披露することもありました。
 風歌の演奏を聞いた友達は、ぜひ学校でも、クラスの人に聞かせたい、と言いました。最初は恥ずかしがっていた風歌ですが、休み時間の遊びの一つ、くらいの気持ちで軽く吹いてみると、とても喜ばれたのでした。風歌の演奏を聞いている人たちは、聞いているあいだ、とても満足そうな表情をするのでした。
 評判は少しずつ広まり、あれよあれよという間に、風歌は学校の文化祭で、ソロの演奏をすることになってしまいました。さすがに無伴奏では、と思い、小学校からの友達にピアノの伴奏を頼むと、すぐに承諾してくれました。
 曲目は、風歌のオリジナル曲2曲と、「深い森のさえずり」の計3曲。例のフルートトリオに問い合わせると、ぜひ学校で演奏してほしい、と、あっさりと許可をもらえたのでした。
 文化祭で演奏することになってしまって、正直言ってとまどっているし、実は遠慮したかった気持ちと、やるからにはきちんと演奏したい、前向きに本気で取り組む素直さ、「深い森のさえずり」を学校の人に広められる喜び。あらゆる気持ちが混ざり合いながら、風歌は日々の練習をこなしていました。
 あの森の中での合奏の日以来、ふしぎな笛の音が聞こえることはありませんでした。
 でも、風歌はもう、フルートをやめようかどうか、迷うことはありませんでした。あいかわらず、練習につまずくことも、いやになってしまう日も、よくおとずれます。心がすさんでしまったときには、「どこか」からではなく、風歌自身の心の中から――あのふしぎな笛の音が聞こえてくるのです。するとやる気がみなぎっていき、風歌はすっきりとした気持ちで、練習に戻れるのでした。風歌は病院で手にした、あの青みがかった白い羽根を引き出しにしまい、ときどきながめていました。
 文化祭当日。体育館のステージに上がり、演奏の準備をします。規定の位置に立ち、フルートをかまえます。
 今までの練習を――文化祭のための練習だけではなく、始めたころからの練習すべてを――込めて、フルートの美しさや楽しさを全身で表現するよう、思いを込めて。そして、あの森の中の合奏で味わった、深い深い感動を伝えるべく、ありったけの、自分のできるすべてを込めて。風歌は初舞台にのぞむのでした。

(おわり)






あとがき

短くするつもりが、意外と長くなってしまいました(笑)。一応、絵本とか童話を意識して書いたつもりです。言葉遣いが難しい…。

このお話は、昔書いた話をなんとなく思い出したのがきっかけです。昔書いたのは、どこからか不思議な笛の音が聞こえてきて、正体をつき止めると、不思議な少年?が笛のような声を出していた、というものでした。あまり内容がない感じだったので(^_^;、今回、「不思議な雰囲気」というテーマ(?)をベースにしつつ、いろいろ新たに一から考えて、フルートを吹く女の子の話にしたり、鳥を出したりしました。
鳥を出したのは、子どものころに読んで、タイトルも内容もまったく覚えておらず、一箇所だけなんとなく覚えているような本があるのですが、鳥が出てくる・その鳥が人間になっている?お話だったのです。もう一度読みたいなと思っているので、その本にどこか近づけたかった、みたいな感じです。ちなみに鳥が出てくる&人間になっている以外は、内容全然違うと思いますが(笑)。むしろ違わないと困る…!

フルートにつきまして、作者である私自身は、フルートを触ったこともなく、聞いた・調べた範囲で書きましたので、おかしいところなどありましたら教えていただけると助かります。
なお、楽器の習得には個人差があると思いますので、あまり細かいご指摘はご遠慮願います。

風歌ちゃんが、すぐ練習がいやになって投げ出してしまうのが、まんま自分だな…と、書きながら笑ってしまいましたが(^_^; こうやって、寄り添ってくれる存在があると、とても心強いですね。
「不思議な雰囲気」を味わいたくて書いたお話なので、少しでも、その不思議さを楽しんでいただけたのなら、とても嬉しいです。

2018.11.27