きつねの銀治ぎんじ千草姫ちくさひめ・その1

※このお話は、現代的な価値観で書かれた、「昔話風」の創作物語です。
なお、出てくる時代などは、架空のものとお考えください。

 昔、あるところに、一頭のおすのきつねがいました。天気のいい日には、よく、すみかの近くをさんぽしていました。
 その日は、いつもより少し遠くまで来ていました。きつねが草むらの中から、草のかり取られたような広場をのぞくと、15歳くらいの、小柄な少女がいました。少女は上等そうな着物を身にまとっています。
「あの方は、もしやこのあたりを治められている殿さまの姫君、千草姫ちくさひめさまだろうか。うわさ通り、かわいらしいお方だなあ。」
 少女――千草姫は、二人ほどいる、おつきの者らしき男女と、楽しげな様子で話をしています。よく手入れのされた、長く美しい黒髪と、清らかなほほえみに、きつねはすっかり見とれてしまいました。
 そのとき、きつねは自分の足に、ぐさりとした痛みを感じました。おそるおそる、痛みのあるところに目をやると、一本の矢が軽くささっていました。たまたま千草姫の近くを通りかかった猟師が、きつねを見つけ、矢を射たのです。
 きつねは地面に倒れ、こんこんと、か弱い声を出しました。すると千草姫がきつねに気づいたのか、はっとふり返り、きつねのほうへと歩いてきます。
 千草姫はきつねを見るなり、声を上げました。
「まあ、こんなかわいいきつねを射るなんて、なんてことをするの。」
と言って、きつねを射た猟師をしかりつけました。
 そして、ふところから美しい手ぎれを取り出すと、きつねの足に巻き、けがの手当てをしました。
「きつねさん、これで大丈夫かしら。」
 千草姫は、けがをしたきつねの足を、優しくなでました。きつねは立ち上がると、森の中へと逃げました。
 千草姫のおつきの若い女性、いよ・・が、千草姫に、
「姫さま、けものの手当てなど、なさる必要はございませんのに。」
と言うと、千草姫は、
「なぜかどうしても、手当てをしたかったのよ。」
と答えました。
 しばらくして、千草姫たちは、自分のお城へと帰っていきました。

 森へ帰ったきつねは、千草姫に手当てをしてもらったところを、いとおしそうにながめていました。さいわい傷は浅かったようで、しばらくするとすっかり治っていました。
 千草姫の手ぎれはもう必要なくなりましたが、捨てることができず、大切にとっておきました。毎日、手ぎれをながめては、千草姫の顔と声を思い出していました。
 ところがある日のこと、きつねは手ぎれを落としてしまいます。気づいたときにはすでにおそく、心当たりのある場所をいくら探しても見つかりませんでした。
 千草姫を思い出す手がかりをうしなってしまったきつねは、胸が苦しくなり、食事ものどを通らなくなっていきました。
 千草姫にもう一度お会いしたい、できればずっと、おそばにいたい。そう考えたきつねは、ある日心を決め、きつねの村の長老さまに、相談しに行きました。
 長老さまは、きつねの話を聞くと、真剣な顔をして言いました。
「そなたの願いはよくわかった。だが、人の世で生きていくのは、そんなやさしいものではないぞ。」
「はい、長老さま。よく覚悟しております。」
 きつねもまた、長老さま以上に真剣な顔をして、答えました。
 きつねの言葉に、長老さまは少し考えたあと、言いました。
「では、人の姿になって、姫さまのおそばでお仕えしなさい。そのために、この魔力をさすげる。必ず役に立つであろう。」
 長老さまは、きつねの頭の上に、しばらくのあいだ、前あしをかざしました。きつねは自分の頭と体が、どこか変化したように感じられました。
 魔力をさずける「儀式」が終わると、長老さまはきつねに、注意することを言って聞かせました。
「それから、よいか。あまり姫さまに入れ込みすぎないように。あくまで、おそばでお仕えすることができるだけだ。ましてや結婚など、考えてはならない。」
「はい、胸にとめておきます。」
 きつねは深々とおじぎをします。
「もう一つ、そなたは姫さまにお会いするまでのあいだに、矢で射られ、そこそこ深い傷を負う。それにたえられれば、姫さまのおそばにいることができるであろう。」
 きつねは一瞬口をぐっと結ぶと、どこかふるえるような声で、
「承知いたしました。」
と答えました。
「さすが、覚悟はできているようだな。では、人の世では、銀治ぎんじと名乗りなさい。」
 長老さまに見送られ、きつねは、千草姫の住むあたりへと、向かっていきました。

 千草姫のお城の近くの森まで来たきつね。いよいよ人の姿になって、千草姫にお会いしようとするのです。
 姿を変えているところをだれにも見つからないよう、慎重に、茂みのあたりを選び、変身の儀式をおこないます。
 ですが、ずっと人の姿でいられるよう、少し特別な方法を使うため、時間がかかってしまいます。なんと運悪く、近くまできた猟師に見つかってしまいました。
「うわあ! ばけものだ!」
 なれた猟師は、その場に倒れ込もうとする前に、目にもとまらぬ速さで、矢を放ちます。
 矢は、きつねのおなかのあたりに命中してしまいます。きつねはその場に、ばたんと倒れ込みました。
(苦しい……。長老さまのおっしゃっていたとおりだ……。)
 少しして、心を落ち着かせた猟師が、きつねの近くへとやってきます。えものの姿を見た猟師は、先ほどとは比べ物にならないほど、腰を抜かします。なんと、自分が射た相手は、けものではなく、人だったのです。
 仲間の猟師に知らせようと、森の外へ出た猟師。そこへちょうど、千草姫とおつきの者たちが通りかかりました。青ざめた顔をしている猟師を見た千草姫は、わけをたずねます。
 ひととおり、事の起こりについてわかった千草姫は、猟師に、もしかすると、もののけが人にとりついていたのかもしれない、今回は罰をあたえたりしないので、とにかくその者の居場所を教えてほしい、と言いました。猟師はあわてて、千草姫とおつきの女性、いよを連れていきます。
 到着した千草姫が見ると、少年と思われる者が倒れています。かなり深い傷を負っているようでした。千草姫は猟師にたのんで、きつね――人の姿になった――をお城まで運ばせました。
 千草姫は、みずからこの少年――もちろん正体はきつねです――のけがの手当てをしました。お城の召使いたちは、だれともわからない者の手当てなど、姫さまのお仕事ではありません、わたくしたちにおまかせください、と言いました。でも千草姫はそのような意見を聞かず、どうしてか、自分で手当てしたい、と言い、他の者にはなるべく口を出させませんでした。
 千草姫の看病のかいあって、人の姿になったきつねは無事に体力を回復し、元どおり元気になりました。
 きつねは千草姫と対面し、自身のことについて、たずねられました。
「姫さま、拙者は、さすらいの忍び、銀治と申します。」
「まあ、そんなに若いのに、さまよっていたの? あなた、わたしと同じくらいの年よね?」
 千草姫は、気の毒そうな顔をします。
「はい。ですが姫さま、こうして姫さまみずからお手当てをなさり、助けていただいたお礼に、今後はずっと、姫さまの忍びとして、お仕え申し上げたいのです。」
 きつね――銀治は、深々と頭を下げ、床につけました。
「それは、わたし一人では決められないわ。父上と母上に、おうかがいを立てないと。」
 千草姫から銀治の話を聞いた、姫の父上である殿さまと、母上である奥方さまが、二人の元へやってきました。
「そなたが千草にふさわしい者であるかどうか、確かめたい。武芸のたしなみはあるか?」
 殿さまが、銀治にたずねます。
「はい、もちろんでございます。」
 銀治はそう言うと、殿さまと奥方さま、それから召使いたちの前で、武芸を披露してみせました。
「ほう、これは感心だ。身のこなしがすばらしい。」
 殿さまは、とても感心した様子を見せていました。
 今度は奥方さまが言いました。
「すぐれた者は、武芸のたしなみだけでなく、教養もあるものです。そなた、和歌を詠むことはできるか? 今の時季の、新緑の美しさについて、一首願いたい。」
 銀治はまた、奥方さまと殿さま、そして召使いたちの前で、奥方さまに言われた題で、すらすらと和歌を詠んでみせました。そのあまりの表現の美しさに、奥方さまと殿さまはもとより、召使いたちも、どよめいていました。
「これはこれは、そなたはただ者ではないな。」
 奥方さまも、たいへんに驚きの様子を言葉にしていました。
 銀治が見せた、武芸のわざや、歌詠みの才……これこそが、長老さまからさずけられた魔力でした。
 殿さまと奥方さまは、銀治を、千草姫の勉強や武術鍛錬、遊びの相手として、また護衛として、やとうことにしました。
 銀治は、ありとあらゆる才にめぐまれていました――もちろん、あの魔力のおかげでした。
 和歌を詠ませれば、その場にいるだれもが感心し、ほめたたえます。その場で出された題に、すぐに答えるのです。自然の美しさから、恋のやり取りを想定した歌まで、どんな歌でも、流れるようにすらすらと詠むのでした。また、整った美しい文字を書くのです。
 絵を描かせれば、墨の濃淡だけで、まるで色づいているような、あざやかで細やかな仕上がりをみせます。おかげで、もっと表現力のある絵を見たい、と、貴重な顔料(色をつけるための絵の具)を使わせてもらえるのでした。墨だけで描いた水墨画とは、また別のおもむきを見せ、目のさめるようないろどりを、紙の上に乗せるのでした。
 楽器を弾かせれば、だれもがうっとりと聞きほれます。銀治は数多くの曲を知っており、この曲を弾いてほしい、というたのみに、いつも、すぐにでも応えていました。
 語りもとてもじょうずで、おなじみの物語でも、銀治が語ると、情景がありありと浮かび、新しい物語を味わっているような気分になれるのです。千草姫は銀治の語りを、夢中になって聞きました。
 銀治には、あらゆる分野の知識があり、しかも教え方もとてもうまかったので、千草姫はどんどんと、新しいことを覚えていきました。姫君として身につけておくべき教養から、銀治が忍びとして身につけたという、薬草などの話もありました。今まで知らなかった世界は、千草姫に、あふれんばかりの楽しさや驚きを教えてくれました。
 銀治と一緒に勉強や遊びをしていると、銀治の才に刺激され、千草姫の才も、どんどんとみがかれていきました。
 武術の鍛錬は、忍びだという銀治の得意な分野でした。刀さばきのあまりの素早さに、千草姫は、自分にはできない、とあきらめかけてしまいます。ところが、銀治が教えると、なぜだかあっさりとできるようになるのです。千草姫は、武術も少しずつ身につけていきました。
 また銀治は、目鼻立ちが整っていました。ひそかに銀治をしたう召使いも、かなりの数がいました。若い女性はもちろんのこと、結婚してからも仕えている女性、男性まで、銀治を見るとやる気が出る、と話す者が多くいました。中には、和歌のやりとりを申し込む者もいました。でも銀治は、姫さまとの歌詠みの場以外では、だれとも歌を交わす気はない、と、きっぱりと断るのでした。
 銀治のあまりのできように、あるとき千草姫は、ふと一つの疑問が浮かびました。人払いをして銀治と二人になり、千草姫は銀治にたずねました。
「銀治、あなたはさすらいの忍びだと言っていたけれど、ただの忍びだとはとても思えないわ。もしかして、身分のとても高いおうちの生まれではないの?」
 銀治は少し、答えにくそうな顔をして、言いました。
「姫さま、拙者は姫さまにお仕えするために、過去をすべて捨てたのでございます。あるのは、姫さまと過ごす今と、これからだけ。ですからどうか、拙者の生まれや過去については、おたずねにならないでください。」
 銀治が、あまりにも悲しそうな顔をするので、千草姫は、今後はこの話をしない、と銀治に約束しました。
 銀治と千草姫の仲は、少しずつ深まっていきました。それにつれて、千草姫と銀治との話題の種類も、増えていきました。
 あるとき、千草姫は、自分の理想について、銀治にひっそりと語りました。
「わたしはこの国が大好きなの。豊かな自然と平和な暮らし。わたしは姫として、国とたみを守っていきたいわ。この国をますます豊かにして、民の暮らしをもっと良くしたいのよ。」
「姫さまのお力があれば、そのお考えは、きっと実現することでしょう。」
 銀治が、にこやかに返します。
「いいえ、わたし一人の力だけでは、何もできないわ。銀治、あなたの力を貸してほしいの。」
「お安いご用でございます。」
 銀治は、あまり自由に行動できない千草姫に代わり、ひまを見つけては出かけ、国のあらゆる情報を集めました。ときにはとなりの国まで出て、何食わぬ顔で民にまぎれ、結果を千草姫に伝えるのでした。
 集めた情報は、銀治と千草姫にしかわからない、暗号のような文字や文章、図で、小さな紙に、ぎゅっとまとめました。千草姫はそれを、ひみつの箱に、大切にしまい、ときどき取り出して、国を良くするための方法を練っていました。
 千草姫が外出するときは、いつも銀治が護衛として、おともしました。千草姫の時代、このあたりの小さな国では、姫君や若君の、息抜きのための外出時は、あまり目立たないようにと、おともは少人数にするのがふつうになっているようでした。ですから、多くの場合、千草姫は銀治、おつきの女性いよ・・の3人で外出していました。
 ふだんはお城の中で、同じような景色を見て過ごしている千草姫にとっては、外出はとても楽しみな行事の一つでした。春はお花見、夏は川辺など、水のあるところで涼んで、秋は赤や黄色、美しく色づいた木々の葉を見に行きます。外に出る、ということだけでなく、銀治と一緒であることも、千草姫にとっては、ひそかな喜びのもとになっているようでした。
 ときどき、山賊や、千草姫をねらう者におそわれることがありました。そのようなときでも、銀治は瞬時に敵の気配を読み取って、さっと刀をかまえます。そしてあっという間に華麗に、敵を一人残らず倒すのです。敵の出方によって、手裏剣など、ほかの武器を使うこともありました。百発百中な銀治を、千草姫といよはもちろんのこと、殿さまや奥方さまも、とてもたよりにしていました。
 とある、もみじ狩りに行った日のこと。お昼どきになり、昼食をとったあと、千草姫・銀治・いよの3人は、休憩がてら、歌合うたあわせをしていました。それぞれが紅葉こうようのあざやかさを詠んだり、紅葉と恋をかけて、恋の歌のやりとりの遊びをしたりと、存分に秋を味わっていました。
 銀治といよが詠んだ歌に、千草姫はにっこりとした笑みを浮かべます。
「さすが、銀治もいよも、歌詠みのすばらしさがけた・・違いだわ。」
「本当に。拙者も、いよさまにはかないませんよ。」
「いよは昔から、歌の才がずば抜けているものね。」
 千草姫と銀治にほめられて、いよは恥ずかしそうに顔を赤らめます。
「いえいえ、銀治さまも、もちろん姫さまも、どなたにも負けない美しい歌をお詠みになるので、わたくしはいつも、感激しているのですよ。」
「もう、いよはおだてるのがうまいわね。」
 千草姫は、玉のような笑みをたたえていました。千草姫の顔を見ながら、銀治もうれしそうに、目を細めています。
「こんなに身近に、歌のすてきなお手本が二人もいるなんて、わたしはとてもめぐまれて……。」
 千草姫がそう言いかけたとき、とつぜん銀治が立ち上がったかと思うと、さっと刀をふり回し、手裏剣を投げました。
「姫さま、ふせてください!」
 千草姫をねらう者たちが何人か、現れたのでした。千草姫はあわてて地面にしゃがみ込み、いよが千草姫を包み込むように、上からおおいます。二人はそのままじっとしていました。
 少したって、場が静まると、銀治は千草姫たちのところへかけ寄ってきて、
「もう大丈夫です。敵は全員倒しました。」
と伝えました。
 千草姫はほっとした様子で起き上がると、銀治に、
「ありがとう、助かったわ。銀治は本当に素早いのね。」
と言って、ほめました。銀治は、
「気配を感じ取るのは忍びの基本。朝飯前でございます。」
と、ほほえみながら返しました。
 その後は3人で、帰り道は何事もなく、お城に着きました。
 このようなことがときどき起こっていましたが、銀治は必ず、千草姫といよを守るのでした。千草姫もいよも、そして銀治自身も、おそわれることによってけがをすることは一度もありませんでした。
 懸命に尽くす銀治の姿勢に、千草姫にとっても、銀治は離れられない存在になっていきました。