きつねの銀治ぎんじ千草姫ちくさひめ・その3

 さて、落ち込んでいる様子の千草姫ちくさひめのことを、実は銀治ぎんじは森の奥から、きつねとして見ていたのでした。
 銀治はたいそう、心を痛めていました。自分を責めてすらいました。なんとしてでも、姫さまのことを元気づけたい、そんな思いで毎日を過ごしていました。いい方法を考えますが、まったく思い浮かびません。
 やはり、銀治にとっては、自分がそばにいることしか、考えられないのでした。思い切って、長老さまに相談に行きました。
「長老さま、どうしてもまた、千草姫さまにお仕えしたいのです。もう一度、機会をお与えくださいませんか。」
 銀治は深々と頭を下げます。長老さまはけわしい顔をしながら、しばらくだまって考え込んでいました。
 銀治が顔を上げると、長老さまが口を開きました。
「そなた、すべてを捨てる覚悟はあるか。」
 長老さまに、つきささるような目で見つめられて、銀治の体は、思わずこわばります。
「すべて、とは……。」
「文字どおり、すべてだ。以前そなたにさずけた魔力も、きつねとしての生き方も、姫さまへの想いでさえも。すべてを捨てるというなら、また機会を与えよう。」
 銀治は一瞬、迷いました。千草姫を想うからこそ、千草姫に仕えていたのです。もちろん、今後もそうでしょう。
 でも、ほかに方法はありませんでした。銀治は覚悟を決めます。
「はい、長老さま。すべてを捨ててでも、姫さまにお仕えし、姫さまを笑顔にしたいのです。」
 長老さまは感心したようになり、銀治に説明しました。
「そうか。では、これからしばらくのあいだ、修行にはげんでもらわねばならん。」
「どんな修行ですか?」
 長老さまは、せきばらいを一つしてから、続きを話しました。
「そなたが今まで使っていたあらゆる才、例えば歌詠み、書や画、楽器、語り、武芸に忍びの知識、わざまで……。これらはすべて、以前さずけた魔力によるものだ。つまり今からそれを、自力で身につけてもらう。魔力でおこなっていたのとおなじくらいに、だ。」
 銀治は思わず、口をぐっと結びます。
「しかも、あまり長い時間をかけては、修行はなしえなくなる。せいぜい一年ほどで終わらせねばならぬ。そうして修行が終われば、そなたは永遠の人の姿を手に入れ、また姫さまにお仕えすることができるであろう。」
「かしこまりました、長老さま。」
「ただし、また人の姿になって、人の世に行ったのなら、もうわしや、ほかのきつねにたよることはできない。きつねの世にもどることは許されないのだ。そなたが自分自身で、そのせいを切り開いていかねばならぬ。」
「心にとめておきます。」
 こうして、銀治の修行が始まりました。
 修行は、それはきびしいものでした。長老さまからさずかった魔力によっていたあらゆる才は、そのへんのふつうの、人ですら、とてもかなわないくらいの、ものすごいものでした。それをきつねでありながら、身につけるわけですから、どれほどの苦労なのか、想像もつきません。
 でも銀治は、どんなきびしい修行にもたえてみせる、と、けして弱音をはくことはありませんでした。銀治にとって、きびしい修行よりも、千草姫のそばにいられないこと、自分のせいで千草姫の元気がなくなってしまったことのほうが、よほどつらいことなのでした。
 銀治の修行は、きつねの村でも話題になりました。きつねの中にも、優しいきつね、いじわるなきつね、特に興味のないきつね、さまざまな性格の者がいるものです。はげましてくれる者もいれば、ひどい言葉を投げかけてくる者もいました。銀治はどんな言葉にもまどわされず、ただ千草姫のためだけに、修行を積んでいきました。
 いつしか銀治は、少しずつ顔つきが変わってきたようでした。長老さまも、銀治の修行の成果に、目をみはっているようでした。

 いっぽう、ずっと落ち込んでいた千草姫でしたが、あるとき、気分転換にと、いよにすすめられ、自分の部屋のもようがえをしていました。
 箱をいくつか動かしているとき、ふと、一つの箱が目にとまりました。
 手の込んだ、きらびやかで美しい花のもようが描かれた、貴重な和紙がはられたふたを開けると、何枚もの紙が出てきました。にわかに思い出し、千草姫はゆっくりと、紙を広げます。
「これは……。」
 千草姫はなつかしそうに、紙を見つめ、内容をながめました。
 かつて、国を豊かにし、たみの暮らしをよくしたい、と語った千草姫のために、ひまを見つけては、千草姫の国や、ときにはとなりの国まで、すみからすみまで、情報を集めてくれた銀治。この紙は、銀治がその情報をまとめてくれた、あの報告書なのでした。
 ひさしぶりに見た暗号に、千草姫の目からは、涙がどんどんとこぼれていきます。
 紙を読み返しながら、千草姫は決意しました。
「落ち込んでいる場合ではないわ。銀治の気持ちと、果たしてくれた役目に、きちんと応えなければ。」
 その日から、千草姫の様子は、今まで落ち込んでいたのがうそだと思ってしまうくらい、いきおいづいたものになっていきました。和歌の才、書や画の美しさ、楽器の調べ、武芸、あらゆる千草姫の才能はよみがえり、前よりももっと、みがかれていったのでした。まわりのだれもが、信じられない思いで、千草姫を見守っていました。
 父上と母上である、殿さまと奥方さまに言われてしぶしぶ、といった感じだったお見合いも、自分から前向きに、この国にふさわしい婿君を選ぶ、という心意気を見せるようになりました。殿さまと奥方さまの驚きようは、なんとも表現できないくらいのものでしたが、同時に、国の将来と、娘の未来の幸せを予感し、喜ぶようにもなっていました。たださすがに奥方さまは、ときどき千草姫のことが心配になり、
「千草、無理はしていないかしら。」
と声をかけます。そのたびに千草姫は、
「母上、わたしが自分で、ぜひ婿君にむかえたい方を選んでいるのです。ご心配にはおよびません。」
と答えました。
 千草姫の気持ちが変わったことにより、お見合いはうまく成立することができました。どの若君もりっぱでしたが、中でも、国と民を守りたい、豊かにしたい、という、千草姫のこころざしをいちばんわかってくれて、ともに国の未来を作っていけそうだ、と千草姫が感じた若君を、婿君としてむかえることになりました。
 結婚の話がまとまると、すぐにでも、と、婚礼の準備が進んでいきました。
 千草姫にはもう一つ、決めたいことがありました。それは、かつて銀治がおこなってくれていたあらゆる仕事をしてくれる者でした。護衛、情報集め、勉強や遊び、武術鍛錬の相手。どれも、千草姫にとって、大切な役割です。勉強などの相手は、子どもが生まれたときにも、と考えていました。
 銀治の代わりは、一人にしぼることにはこだわっていませんでした。一つの分野でかまわないので、銀治のように優秀な者を何名でも、と考え、城の者のつてをたどったり、見込みがありそうな場で声をかけてみたりと、いろいろな方法を試して探していました。
 ですが、ひそかにおこなわれていたせいもあるのか、なかなかいい者は見つかりませんでした。婚礼の少し前までには、なるべく決めたい、と思いつつも、一人すら決まらないのです。思いどおりにいかないことに、千草姫はあせりを隠さずにはいられません。そのたびに、いよ・・になぐさめられ、千草姫は、自分の情けなさをくやみ、銀治に恥ずかしくないように、と決意を新たにするのでした。
 婚礼の準備もいよいよ大詰め、という、ある日のことでした。一人の若者が、千草姫にお目通り願いたいと申している、と、千草姫のところに連絡がありました。
 ことづけにきた召使いは、最近新しく入った者でした。あまりなれていない様子のその者に、千草姫は優しくたずねました。
「どのような用事で、わたしに会いたいと言っているのかしら。」
「ええと……。姫さまの側仕そばづかえの募集について知った、ということのようでしたが……。」
 つまり、いまだに決まっていない、銀治の代わりに関して、募集を知って、応募してきた、ということのようでした。
「わかったわ。通してくれる?」
 千草姫は、まるで期待していませんでした。今まで、千草姫のおめがねにかなう人は、ついぞ現れなかったのですから……。このまま結婚しなければならないことに、大事なものを忘れていくような、不安をおぼえていました。
 応接のための部屋に行き、待っていると、召使いたちがざわざわとさわぐ声が聞こえます。なにごとかと思いながら、部屋に入ってきた若者の顔を見ると――。
 そこにいたのは、人の姿をした――銀治でした。
「おひさしぶりです、姫さま。」
 銀治はうやうやしくあいさつをしました。
 千草姫は、驚きのあまり、声が出ません。両手で自分の口を、軽く押さえています。
「姫さまが、護衛や、情報集めの仕事や、勉強などの相手……そのような役目の者をお探しだと、風のうわさに聞き、たいへん無礼と思いながらも、お城へとまいりました。拙者でよければ、また姫さまのおそばで、お仕えさせていただけませんか。」
「銀治、なぜ……。もう二度と、会えないと思っていたのに……。」
 千草姫は感激のあまり、目には涙がにじんでいました。
 すぐに、銀治をまた千草姫の忍びとして、やとうことに決めました。二人は千草姫の部屋に行き、人払いをして、二人きりで話し始めました。
「銀治、あのときは、もう人の姿ではいられない、と言っていたわよね。本当に銀治なの?」
 千草姫はふしぎそうに、銀治にたずねます。
「もちろん、拙者は本当に、きつねの銀治でございます。あのあと、どうしてもまた姫さまにお仕えしたい、と考えた拙者は、もう一度だけ、人の姿になる機会を与えられたのでございます。」
 銀治は、千草姫に別れを告げてから、10日とたたないうちに、修行を始めた、と説明します。考えられないような量の、さまざまな知識や教養、武芸やわざを、わずか一年ほどで、身につけたのでした。銀治が語る修行のきびしさに、千草姫の心には、ずっしりとした重みがのしかかりました。
「そのようなわけで、拙者はもう、きつねにもどることはございません。永遠に人の姿で、姫さまのおそばにいられるのです。」
 銀治はとてもうれしそうにほほえみながら、千草姫の顔を見つめます。
 そのとき、ふと千草姫は、心がゆらいでしまいます。
「ねえ銀治、永遠に人の姿でいられるというのなら、もしかして、わたしの婿君になることはできるのかしら。ごめんなさい、もうこの話はしない、と約束したのに、やぶってしまって。」
 予想しない言葉に、銀治は目を丸くし、あわてたように言います。
「で、ですが姫さま、となりの国の若君さまとの婚礼の日も、近くていらっしゃるのではありませんか?」
「そうだけれど、いっそのこと、この結婚を取りやめてもいいと思ったわ。銀治を婿君としてむかえて、あなたを殿にし、この国の未来を作っていきたい。それくらい、銀治にまた会えたことが、夢みたいなの。」
 千草姫が言うと、銀治は急に、悲しそうな顔になりました。
「いいえ姫さま、それはなりません。拙者は、姫さまはもちろんのこと、ほかのだれとも、結婚することはできないのです。」
「なぜ?」
「先ほども申し上げたとおり、拙者は、きつねであることを完全に捨て、人として、姫さまにお仕えすることを選びました。だれとも結婚できなくなることは、永遠に人の姿となる、その条件の一つだったのでございます。」
「そう、なの……。」
 千草姫が、がっくりと肩を落とします。
「姫さま、もし拙者が、万が一にでもおきてをやぶって、だれかと結婚してしまえば、相手に不幸をもたらしてしまいます。ましてや姫さまの婿君になるなど、この国の将来もあやうい。悪くすれば、国がほろびてしまうかもしれません。そのような思いを、姫さまに味わわせるわけにはいかないのでございます。」
 うそのない言葉を、まっすぐに千草姫へと伝える銀治。千草姫はだまって聞き続けました。
「姫さま、拙者にできることは、姫さまのおそばで、忍びとしてお仕えすることだけでございます。もし、それはできない、ほかの道をお考えだというのなら、拙者は姫さまの前から去ることになり、今度こそ、二度とお会いすることはないでしょう。」
 少しのあいだ、しんとした空気が、二人のまわりを取り巻きます。
 やがて千草姫が、口を開きました。
「たしかに、今さら結婚を取りやめるわけにはいかないわね。わたしもあなたのように、夫になる相手と、夫婦として協力して、よき国を作っていくよう、覚悟を決めたわ。だから銀治、ずっとわたしのそばで、忍びとして力になってほしいの。」
「ありがたき幸せにございます。」
 銀治は、これ以上ないくらい、深々と頭を下げました。
 千草姫は、夫となる若君に、銀治のことを話しました。とても優秀な忍びで、国と民のために、力になってくれていること。和歌や書に画、楽器、武芸に知識、あらゆる才にすぐれていること。護衛として、とても心強いこと。きっと夫であるあなたにも、多くのさちをもたらしてくれる、と――。
 若君も、銀治と会いました。銀治のりりしい風格に、まぶしささえ感じているようでした。心の広い若君は、銀治のことがとても気に入ったようでした。うまくやっていけそうな二人を見て、千草姫はほっと胸をなでおろしました。
 それからしばらくして、千草姫と若君は、婚礼の日をむかえました。大勢の人が、二人の門出を祝っています。
 銀治も、もちろん祝っていました。ですが、晴れ姿の千草姫を見つめる目は、少しだけうるんでいるようでした。

 銀治は千草姫によく仕え、千草姫と夫の殿さまの右腕として、あらゆる仕事をし、国の発展につくしました。幅広い才を持っていたため、千草姫の子どもたちの勉強や武芸を教え、子どもたちにも信頼されました。護衛としても、すぐれた力を見せ、いつも千草姫たちは、安全に暮らしたのでした。
 千草姫の孫の代まで、銀治はよく働き、孫たちからも、とてもしたわれていました。
 こうしてこの国は栄え、豊かな自然に恵まれました。民たちの暮らしもどんどんよくなっていき、末永く、平和が保たれたということです。

(おわり)






あとがき

「忍者とお姫様の恋」が書きたい!と思って考えた話ですが、前作(「笛の」のこと)を書き終わってすぐ思いついたからか、引っ張られて(?)主人公がきつねになったり、そもそも全然忍者っぽさが出せなかったり(T_T)、時代がいろいろごちゃまぜだったり(笑)と、斜め上でカオスな内容になってしまいました(笑)。きつねにした意味とか、あるのか…的な(^_^; なんかほとんど人間ですよね(笑)。それほど、うまく化けていた、ということなのかもしれません!? そういう場面を書いている時、銀治が実はきつねなのを忘れて、普通の人間として書いていました(笑)。

思ったより長くなってしまったので、HTMLのページを分けました。こんなに長くなるとは思わなかったです。もっと省略した感じで書くつもりだったのですが、恋愛要素があるのでテンションめちゃくちゃ上がったし、重要なシーンは、やっぱり気持ちが入ってしまって、会話とか、少し詳細に書いたりしてしまったのでした。でも、キャラが見えてくる、個性が浮き立ってくる感じ、内面に入り込める感じが、とても楽しかったです。
そして、敬体はやっぱり癒されます…!

筋書きの一部や、結末のタイプが微妙に「一生、お仕えします」(以前書いた小説)に似ているのがあれですが(^_^; こういうパターンが好きなんですかね? でも、主人に忠誠を誓ってひたすら尽くす「従」と、そんな「従」をしっかり守る「主」というのは、現実にはほとんどありえないからこそ萌えますし、そこに、密かな恋心とかあったら、男女カプ脳的にはもう最高です!(>▽<) 許されない恋ゆえに、お互い、気持ちを言うことはできないし、結局ずっと主従のままなんだけど、心の中では、主従というだけではなく、大切に思っている、みたいな…。
でも、たまには結婚するパターンも書いてみたいなーと思っています(笑)。
そして、いずれは、忍者も普通の人間のパターンも書いてみたいです(笑)。
あと、銀治が、私のキャラには珍しく、ハイスペックなイケメンだなーと思いました(笑)。それにちゃんと刺激を受けて伸びる千草姫も、優秀すぎ…!(←自画自賛?)千草姫は、私好みの、理想のお姫様です♪

というわけで、お読みくださりありがとうございました!

2018.12.3